第7話 『廊下ダッシュ』


 僕が通っていた男子校の七不思議に『廊下ダッシュ』という話がありました。



 放課後。

 省エネで薄暗くなった廊下を、ダッシュで駆け抜ける足音のみが聞こえるというもの。

 当然、学校の廊下を走ってはいけません。

 廊下をダッシュする足音が聞こえると、たまたま近くに居た生徒が先生に注意されます。

「自分の足音ではない。誰かの足音だけが走り抜けて行った」

 などと言っても先生は信じず、流行りの言い訳だと思われてしまうんです。


 妙な噂話ではありますが、さすがに高校生です。

 何人もの生徒が聞いている足音。先生に間違われて注意された生徒も実際にいる。

 怪奇現象などではなく、誰かの悪戯だと思っていたんです。

 ダッシュする足音で先生をからかっている奴が居るとか、誰かが注意されるようにわざと足音を響かせる嫌がらせ行為だとか。


 僕が3年生だった年の梅雨時期。

 雨続きで暇だった陸上部員が、放課後の廊下で実験をしたんです。

 廊下ダッシュ音が聞こえるかどうか。

 学校七不思議では、

『廊下を生徒が走っていると、自分以外の足音が後ろから近付き、追い越していくものの姿は見えない。ダッシュ音だけが駆け抜けていく』

 そういう話でした。


 1階が1年生で、僕たち3年生は3階。

 1学年に8クラスあり、一直線の廊下に8教室が並んでいます。

 4組と5組の間にトイレがあり、その正面に渡り廊下が伸びていました。

 僕は見張りがてら、暇な友達ふたりと一緒に、渡り廊下の角から陸上部員の実験を眺める事に。

 先生に疑われないよう、僕達は廊下にドッカリと座り込んでいました。

 陸上部員は、1組側の端からクラウチングスタートで駆け出しました。

 上履きでも、陸上部員はさすがに速い。

 そんな事を思いながら見ていると、8組側から駆けて来る足音が聞こえました。

 目を向けても誰の姿もありません。

 でも、友達ふたりも同時に、同じ方向へ目を向けていたんです。

 その音は走っている陸上部員にも聞こえたようでした。

 4組を通り越し、陸上部員が僕たちの目の前で足を止めると、姿の見えない足音も5組の前で消えました。

「……聞こえたよな」

「あっちから聞こえた」

「ダッシュの足音は聞こえたけど、誰も居なかったよな……」

 動けないまま僕たちが言っていると突然、5組の教室の扉がガラリと開きました。

「うわっ」

 座り込んでいた僕たちも逃げ腰で立ち上がりました。

 小さい男の子が、教室から顔を出したんです。

 無邪気な笑顔で幼児がひとり、よちよちとこちらへ歩いて来ます。


 男子校に幼児が歩いている事も、その頃は学校七不思議に数えられていたらしいです。

 しかし、この幼児の正体を知る生徒は多いんです。

 この子は理事長の孫。

 高校には付属幼稚園があり、理事長の息子夫婦がどうしても送迎時間に間に合わないとき、短時間ですが理事長室で孫を預かっているとのことでした。

 でも理事長がちょっと目を離した隙に、学校探検に出かけてしまうのだそうで。

 僕たちは理事長の孫を保護すると、そのまま理事長室へ向かいました。



 あの時、陸上部員が足を止めていなければ、理事長の孫と衝突していたかも知れません。

 七不思議では、廊下を走る者の後ろから近付いて追い越すという話でしたが、あの時は正面からダッシュ音が聞こえました。

 幼児との衝突を防ごうとしたのではないか……。

 正体不明のダッシュ音も、怖い存在ではないのかも知れない。

 そう思ってしまいました。


 僕が1年生だった時の3年生も、1年生の時からダッシュの足音を聞いていたと言っていました。

 僕は3年生になって、実際にダッシュ音を聞きました。

 留年生は居なかったので、生徒の悪戯なら誰かが引き継いでいた事になります。

 その事実を、友達はどう解釈しているのかわかりません。

 ただ僕は今でも、目に見えない足音の主が、あの学校の廊下を走り続けているだろうと思っているんです。

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