第2話エルフが死にかけていました前編
(まずいな……どこも瘴気が濃い)
夕暮れの太陽を遮る、濃密な瘴気のただ中に俺はいた。
瘴気除けのマスクに宿る魔力はもう少なく、呼吸をするたびに気管と肺に小さく……だが確かは痛みが走る。
………状況は、正直に言って芳しくない。
(くそっ……《濃霧期》だしな。穴ぐらも森も………瘴気溜まりになっちまってる)
……この世界を包み込む病とも言える現象……《瘴気》。
辺境の土地だろうが……あるいは人で溢れる大都市であろうとも、この病の影響からは逃れられない。
それこそ、リリアンヌのような特殊な加護が無い限りは。
(……どうしたものかな。近く村にも入れないし。………土下座してでも入れてもらうか……? いや、無理だな。《聖女礼拝派》の影響がこの辺りは強いし……どう足掻いても追い出されるな)
数百年もの間続いているという、この《瘴気》は……かつて存在し、勇者パーティに封印された邪神。
その邪神が遺した呪いだと言われている。
……勇者パーティに封印されるその瞬間に、邪神はこの世界の全てを呪う邪悪な魔力を放ち。
………奴が封印されている限り……つまりは生きている限り、世界を蝕む病となる
これが、《瘴気》の始まりだと言われている。
(啖呵きって出てきたけど……はは……ここで野垂れ死ぬのかな、俺)
近くにあった倒木。
そこに座り込み、俺は静かに息を吸った。痛みはより鋭いものへと変わり、マスクに込められた魔力が尽きかけていることを知らせる。
(……ん?)
弓を構え、矢筒から矢を一本抜き取る。不意に、奇妙な風が吹き付けるのを感じた。
湿ったような……冷たく……けれども熱い怪風。自然に吹き付ける風とは全く違う、ひどく異質な風。
(………よぅしっ……!)
普段なら御免被るこの風だが、今の俺にとっては、どんな吉報よりも有り難い。
番えた矢を引き絞り、息を潜めながら木陰に身を隠す。
(スキルは……いや、まだ早い。タイミングがズレると効果が薄くなる)
やがて……一際に強く風が吹いた。
雷鳴を呼ぶような、豪雨の前に吹き付ける突風が如く力強さで空気が震える。
(来たな。……レベルは……58か。レベル差補正が乗るから一撃あればいけるな。……問題は肺の痛み。集中力を削がれちまうよ)
けたたましい咆哮。
舞い降る羽根は、剃刀のような鋭利さを伴い……ぬらめきながら地に落ちる。目方、8メートルはあるか。
『ーーー………ーーー!!』
数打物の鎧など、簡単に啄み貫く……鈍い赤銅色の嘴。
雄鶏に似た頭部に、猛悪な獅子の肉体を持つ四足の大怪鳥。
広げた翼は、大鷲を思わせる雄大さを誇る。羽搏きで巻き起こる強風は、朽ちかけていた大木を数本。
容易く倒してしまう。
(《鋼翼のグリフォン》……何度聞いてもうるさい咆哮だ)
《濃霧期》の影響か、大気中の魔力が暴走して生まれたのだろう。
現れ出たのは、《鋼翼のグリフォン》。
“冒険者殺し”の異名を取る上位モンスターだ。
手練れの冒険者たちでさえ、このモンスターとの会敵は避ける。
(まだだ……まだ引き付けろ。
早く…こっちへ来い……! 呼吸するたびに痛いんだこっちは……!)
……奴は謂わば、冒険者の嫌う要素を詰め込んだようなモンスターだ。
厄介な上に、ドロップする素材は加工が難しく人気も無い。
『ーーー………ーーーー』
(………あと……5歩。……3歩……)
ドラゴン系にも匹敵する飛行能力。
ブレスや魔法能力などを持たない代わりに、鉄の鎧さえ切り裂く羽根を飛ばす。
その羽根の“弾幕”を凌いだところで、飛ばれてしまえば攻撃は届かない。……いや、届いたところで有効打を与えるのは難しい。
《鋼翼のグリフォン》の身体を覆う羽毛は、物理攻撃に対して高い耐性を持つ。……鉄の剣や槍では、勝負にならない。
(……今だ!! 弓兵スキル発動っ!! 《猟犬の追尾矢Ⅱ》!!)
だから俺は、そうしたモンスターにも対応できるよう、弓を使う。
『ーーー………ーーー!?』
《鋼翼のグリフォン》の前に躍り出る。
目前に現れた俺に、グリフォンが咆哮を上げながら威嚇する。
翼をより大きく広げ、嘴を開いてブレスを吐く予備動作を真似る。
モンスターの中で最も強力な種。
ドラゴン系のモンスターを模した虚仮威し。
「ーーー口を開いたな?」
そこらのモンスターなら、この威嚇だけで十分だっただろう。
だが、俺はお前の弱点をよく知っている。羽毛は生半可な攻撃を通さない頑強さ。
真面目に戦えば、勝ち目はない。
だから、真面目には戦わない。
『ーー………ーーー………!?』
《追尾》状態を付与し、命中精度を上げた一矢を放つ。
狙うのは嘴の向こう側、広げたその口の中。咽頭と舌、内頬の肉と粘膜。柔らかい“肉”で造られた場所。
そこを狙い撃つ。
『ーーーー……!!………ーー………ーーー………』
グリフォンが嘴を閉じるよりも早く。俺の放った矢は、奴の口内を刺し貫いて。
……脳幹を穿ちながら突き出る。
やがてグリフォンの両眼から生気が消え去ると共に。
……嘴の隙間……鼻孔から赤黒い血を噴き出しながら崩折れていく。
巨体が倒れ伏して、ドンッ!……と空気が響くと、二、三度の痙攣の後に《鋼翼のグリフォン》は完全に動きを止め絶命した。
(よし。……急いで取り出さないと)
腰に下げていた短剣を急いで抜き、《鋼翼のグリフォン》の腹に突き入れ切り裂いて行く。
《濃霧期》中さ瘴気の影響で、モンスターの死骸が腐るのも極端に早い。
目当ての物を急いで取り出す。
裂いた部位に手を突き入れて、手先の感覚を頼りに探していく。
(……あった)
柔らかくブヨつくモノに指先が触れた。一際に強く血腥さい臭いがして、俺はそれを引きずり出す。
……《鋼翼グリフォンの魔力嚢》だ。血中の老廃物や毒素を溜め込み、魔力へと変換する為の臓器。
(…………)
思い切り息を吸う。
肺に極力空気を溜め込み、マスクを外した。外したマスクの上で、思い切り魔力嚢を握り潰す。
びしゃ……びちゃと生っぽい厭な音と共に、魔力を帯びた液体が汚臭を伴い滴っていく。
「っ……ふぅー……ふっ!……うぇっ……ぷ……!」
マスクを付け直す。
刺激臭に胸が悪くなる。
……だが、呼吸のたびに感じていた痛みはもう綺麗さっぱり消えていた。
『……助かったぁ。明日までは保つかな、これで』
臭いは最悪だが、これでひとまずは目先の生命の危険は無くなったワケだ。上位モンスターの体液……特に魔力嚢に溜まる嚢液は、非常時の魔力補給に最適だ。
……臭さえ我慢できるなら、上位モンスターをひたすら狩り続ければ瘴気の中でも暮らしていける。
『………おっ? 何処かで雄叫びが……。嚢液、溜め込めるだけ溜め込むかな』
今回の《濃霧期》は、特に酷いらしい。
あらこちらで魔力が暴走して、上位モンスターが沸き出していた。
だから、どの村や街も。
……静かに《濃霧期》が過ぎるのを待つ。
(この雄叫びは……また《鋼翼のグリフォン》か。できればテントとかの素材落とすモンスターが良かったんだけどな)
……ただ、帰る場所の無い俺にとっては、ある意味で有り難い状況ではある。
少なくとも、瘴気除けのマスクの魔力は切らさずに済むわけだ。
(あれは……冒険者か……!?)
咆哮が響いた方へと歩みを進めると、やがて開けた場所に出た。
鬱蒼とした、小高い木々が並ぶ森。
その中にあって、キャンプ地として使えそうな広々とした場所で。
……一人の冒険者が、《鋼翼のグリフォン》と対峙していた。
『おい! 大丈夫か!! 加勢するっ!!』
叫びながら俺は駆け出すが、冒険者はこちらに一瞥をくれることもなく。
……必死に手にした剣を振るいながら、魔法攻撃をグリフォンへと向けて放っている。だが、どちらも狙いは外れて。……剣の切っ先は空を切り、魔法攻撃は虚しく宙を掠めながら消えていく。どうにも、消耗しきっているらしかった。
(……魔法剣士って奴か?)
厚手のローブで身を覆い、シルエットしかわからないが……恐らくは女性だろう。背は幾らか高く、ローブから覗く腕は細い。
彼女の周りにパーティメンバーは見えず、ただ幾匹かのモンスターの死骸が転がっているのが見えた。
……小型のモンスターを相手取って消耗したところを、グリフォンに狙われたか。
『おい! こっちだニワトリ頭!! こっちを向け!!』
弓に矢を番え、挑発スキルを発動させながら矢を放つ。
……今は、グリフォンの意識を俺に向けるのが先だ。
……グリフォンを“倒すだけ”なら簡単だが、冒険者を巻き込む訳にはいかない。
「ーー………ーーー!!」
『そうだ、それでいい!! 俺のが美味いぞ、そっちの冒険者より!』
放った矢は鶏冠に当たり、挑発スキルも相まってグリフォンは苛立たしげに叫ぶ。威嚇の咆哮とは違う、怒りの叫びが木霊して。
……8メートルの巨体が、こちらに向かって殺到する。
(加速スキル発動! 《軽業師のブーツⅢ》、《風喰い鶏の銀羽根Ⅱ》!)
加速スキルを発動させて、さらに距離を取り、最大火力を出せる地点まで誘導していく。
強靭な四肢を持つグリフォン。
その破能力は厄介だが、巨体のせいでスピードそのものは幾らか低めだ。
「ーーーーー!!」
『どうした鶏野郎!! 脚が4本もあるのにそんなに遅いのかよ!』
距離を取りつつ牽制し、目的の地点まで誘導しする。
場所は瘴気が一段と濃い場所。
これから使うスキルの火力を底上げするのに、瘴気を使う。
「ーーーーー……ーーー!!」
瘴気溜まりを踏みつけながらグリフォンは突き進み、両翼を大きく広げた。羽根を飛ばす前の予備動作。
大きく全身の筋肉とを震わせて、最高速度で鋭利な羽根を……『剣』として撃ち出すための習性。
『…………そこだ』
その瞬間を見計らい、俺はスキルを発動させていく。
……上位モンスターを屠りきるための、俺の切り札だ。
使うのは……3つのスキル。それで十分だ。
(《魔弾射手の心得Ⅳ》、《属性転化Ⅳ:爆炎》、《射弾の記憶Ⅳ:グリフォン系》!!)
番えた矢の属性を、《魔弾射手の心得》スキルで二重属性状態にし、《属性転化》スキルで【爆炎】属性を付与する。
その上に《射弾の記憶》スキルを組み合わせることで、【対グリフォン系モンスター特攻・必殺】を重ねて……【爆炎/対グリフォン系モンスター特攻】の二重属性を持つ矢へと変える。
『………吹き飛べ!』
放った一矢。
必中状態のそれは、風切り音と共に飛び出していき……グリフォンの肉体を貫きながら突き刺さっていく。
「ーーー……ーーー………ーー!?」
けたたましい咆哮が響いたその瞬間。
「ーーーーーー……ーーー!?」
轟音と共に……《鋼翼のグリフォン》は、己の肉体を引き裂き、爆散させながら噴き出る火柱に飲み込まれていく。断末魔はやがて掻き消え、グリフォンは劫炎の中へと消えて。
……太陽のように眩い光が辺りを包むと同時に、熱気を伴う爆風が空気を震わせながら広がっていく。
木々の細枝は圧し折れて落ちていき。……大地の奥底にまで根を張り切れていなかった樹木も倒れていく。
やがて火柱が瘴気によって掻き消えると……地面もまた抉れていた。
『………やりすぎたな』
……自分でやっておいてなんだが、あまりの被害の大きさに引いてしまう。ここまでの大火力を出すつもりはなかった。
………せいぜい身体を爆裂させて、一撃で倒すくらいのつもりだったのだが。
(……だから雑魚モンスター専門にやってたんだよな、俺)
街の人々を守りたい、という気持ちはもちろん本心だ。そのためにずっと頑張ってきた。
……ただ、俺の弓使いとしての腕は。
実のところ………最悪だと言える。
いわゆる雑魚モンスターを狩るのに用いる下級の補助スキルはまだいいが、グリフォンのような上位モンスターを狩るのに用いる上級スキルは……魔力のコントロールが上手くできない。
余計に魔力を回してしまって、火力が異常なまでに出てしまうのだ。
だから、上位モンスターの討伐クエストを受けたところで……魔力嚢を得るために使ったような、手間のかかる戦い方でないと仕事にならない。そうして、その方法だと証拠として必要になる部位を手に入れられないこともある。
……下手にスキルを使うと、今度は今回のように、肉片もドロップアイテムも残さずに消し炭にしてしまいかねない……というわけだ。
(………それよりも今は、あの冒険者の様子を見に行かないと)
やってしまったものは仕方が無い……と切り替える他ない。
踵を返して、急いでフードの冒険者の様子を見に向かうことにした。
○
(魔法剣士……ってやつだよな……? それに……やっぱり女性だったのか)
倒れ伏しているフードの冒険者。
手にしていた剣は、剣士や兵士が用いるものより幾らか細い。
斬るよりも、槍のように突くのに向いた作りをしている。
その“細剣”を鞘に戻してやって、俺は彼女を木陰へと引っ張った。
『………ごめん……! 他意はない!』
気絶している彼女。
どうせ聞こえてはいないだろうが、やはり一言詫びは入れておく。
……フードの胸元。
そこにあるボタンに手を伸ばして、ゆっくりと外して緩める。
誓っていうが、やましい目的でそうするのでは断じてない。
……疲れから気絶したのか、それとも傷が原因で倒れたのか。
それを確認したかった。理由によって、しなくてはいけない処置も変わる。
(浅黒い………エルフ……? 珍しいな。ハーフエルフってやつか……?)
顔を覆うフード。
その下から現れたのは、長く横に伸びた長い耳。素肌は小麦色。
長く伸ばした銀色の髪は、軽いウェーブが掛かっている。
顔立ちはエルフらしく……見ているだけで萎縮してしまいそうな程に美しい。
この世にある美しさを表す言葉の全てが、彼女の為に作られたのではないか。……そんな錯覚を覚えさせる。
『……ごめん、服……緩めるよ。ごめん……!』
ローブの下の服は、動きやすさを重視してなのか、《鎧蚕の絹》で編まれたものだ。鎖帷子と同程度には堅牢な居服。
………その服の下で、胸元を緩めるまでもなく……零れ落ちそうな豊満な山が揺れた。
(ご、ごめん! 本当にごめん!)
気を失っているとはいえ、女性に対しての最低限の礼儀だ。
……極力……視界に入れぬようにしながら、外傷を横目で確認する。
(………咬み傷………!)
首筋から鎖骨の辺りに、幾らかの咬み傷があった。咬み傷周りの皮膚は赤黒く変色しており、毒を持つモンスターに噛まれたのだろうと推察できる。
……たぶん、周りに散らばっていた死骸がソレだ。
毒を持つモンスターに襲われ……挙句の果てにグリフォンにも出くわしたのだろう。
(………毒そのものは強くないな。……ただ、かなり消耗してる……)
受けた毒そのものは、致命的なものではない。
身体の持つ自然治癒力で十分対処できる程度のものだ。……ただ、このエルフの魔法剣士はかなり消耗している。
エルフが種族として瘴気に極めて高い耐性を持つとはいえ、マスクも無しに長時間外にいれば影響は出てしまう。
……それこそ、この程度の毒でも命に関わりかねないくらいに。
(何かないのか……? ごめん、君の荷物漁らせて貰うぞ……!)
彼女の近くにあったカバン。
手を入れて中を漁り、アイテムを使わせてもらう事にした。
(《瘴気避けの聖香》に……《退魔の結界石》……くそっ、解毒薬はないのか……!?)
着の身着のままで追い出された俺よりは、ずっとマシなアイテムが入っていたが……回復ポーションや解毒薬は使い切っていたのか、見つからない。
「うっ………ぁ」
『……!? お、おい君! 大丈夫か!? おい!!』
エルフの魔法剣士が、うめき声をあげる。赤黒かった皮膚は、殊更に酷く変色し………広がっていた。
……こうなったら……もう取るべき方法は一つだ。やるしかない。
『抗毒魔法スキル発動……!《猛毒蛇の口吻Ⅲ》……!! ちょっと……くすぐったいかもだけど我慢してくれよ………!!』
スキルを発動させて、意を決する。
………直接傷に口をつけて、毒を吸い出す。端からみたら完全に変質者だが………命には代えられない。
傷に顔を近づけて。
「う…………ん?」
『必ず全部吸い出してやるからな………! ………えっ? あれっ?』
「なっ………あっ………き……きさ……貴様ぁっ………!!」
『ち、違うって!? 誤解だって!? 俺はただーーー』
「た、ただの痴漢だろうがぁっ!!」
………右頬に、強烈な平手打ちを貰ってしまった。
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