第6話 敵の襲撃

 生前の大臣は,自分が殺される可能性のあることを十分に認識していた。そのため,自分が殺された場合の対処方法を,自分の弟である北西領域の領主と,大臣補佐をしている2番目の弟に指示していた。


 その方法は,あまり洗練されたものではなかったが,充分に実現可能性が高いものだ。


 まず,Sクラスの冒険者を全国から80名ほど集める。大臣の暗殺者が,闇の死刑執行人である尊師だと思われる場合には,Sクラスの冒険者50名をもって尊師を確実に殺す。


 尊師との戦闘で,冒険者の被害は15名程度と予想する。生き残った冒険者は,すぐに王都に戻り,王立魔法学院のナタリーを襲撃する。


 これで,国王側の最強魔法士2名を排除させることに成功する。あとは,脅威になる魔法士はいないので,大臣側の私設兵隊とSクラスの冒険者全員をもって,国王の王宮を襲撃する。


 そして,国王を退位させて,次期国王として,大臣の娘と現国王の弟の間にできた一人娘であるマレーベリを擁立し,現在の三権分立制度を廃止して中央集権制度に改めさせる,という筋書きだ。


 生前の大臣は,膨大な賄賂で蓄えた潤沢な財力があった。そのため,財力に任せて,強化してきた私設兵隊は2000名にも達していた。いつでもクーデターを引き起こせる準備はできていた。


 大臣が殺されたという知らせを受けて,大臣の弟たちは,大臣を暗殺した人物が尊師だとすぐにわかった。そして,すぐに,大臣の考えたクーデーターの筋書きを実行に移すべく,金に任せて全国かS級の冒険者を集めた。


 冒険者とは,魔法士もしくは剣士がなる職業だ。名前はカッコイイが,単純に言うと,日雇い労働者の別称だ。国や地方の地主に雇用されなかったあぶれ者が,冒険者と名乗って,日銭を稼ぐ道を選ぶしかない。S級レベルともなると,普通はいくらでも就職先はあるのだが,治安が安定している近年では,よい就職先はなかなか見つけることができない状況だ。


 この国では,SS級魔法士は10名程度しかいない。そのため,全国から集められる優秀な魔法士はS級レベルになる。


 剣士のレベルについては,その運動能力に依存すると言っても過言ではない。初級は,基本的な剣技をマスターするレベルだ。中級では加速が1.5倍,上級では2倍,S級では3倍,SS級では5倍もの加速が可能となる。さらに,剣士と言っても,ある程度の魔法が使える場合が多く,剣技に魔法を付与して,さらに殺傷力を高めることが可能だ。


 そのため,同じレベルの魔法士と剣士が戦うと,剣士の方が有利になる場合が多い。


 大臣の弟たちは,大臣が殺されてから,わずか3週間で,S級レベルの魔法士と剣士,併せて80名を採用することに成功した。そして,最初にすることは,尊師の討伐だ。



 冒険者の中で,実力No.1と誉の高いビレットが,尊師の討伐部隊を指揮することになった。彼は3倍速で加速でき,かつ,剣にS級電撃魔法を付与することもできる。


 SS級魔法士と戦っても,ビレット隊長なら,ある程度戦えると認識されていた。


 ビレット隊長は,大臣の弟たちから,尊師討伐の命令を受け,1週間かけて,討伐部隊の編成と作戦を練ってきた。


 その結果,尊師とその弟子を討伐するメンバー構成を以下のように設定した。


 回復魔法士5名,敷地にある結界の解除を担当する魔法陣解除士10名,尊師とその弟子の討伐を担当する剣士と魔法士をそれぞれ15名,そして,尊師らが転送で逃亡するのを防止のための,転移防止結界を構築するための魔法士10名だ。さらに,遠方からこの討伐結果を視察するメンバーを3名配備した。


 彼らは,いずれも魔界全土からえりすぐられたS級の超エリート冒険者だ。


 総勢58名による,必勝の構成メンバーと言ってもよい。



 これだけのメンバーを一同に揃えられると,どんなに優れたSS級の魔法士や剣士でも,戦って勝てるものは誰もいない。おまけに,転移魔法の妨害結界を張られてしまうと,逃げることもできなくなる。死刑宣告に等しい。


大臣の弟たちが,このようにあからさまに尊師らを討伐する,ということは,大臣の弟たちから,国王側への宣戦布告と同じ意味を持つことになる。



 大臣が殺されてから,ちょうど1ヶ月後が経過した。この日は,尊師とその弟子を討伐する日だ。


 討伐隊は,夜8時に,尊師のいる町,ベラルーレに転移した。そして,人目につかないように,尊師の敷地を包囲した。


 

 事前の打ち合わせ通り,ビレット隊長は,魔法士10名に命じて,敷地全体に転移防止結界を構築させた。


 この転移防止結界は,空間の磁場をわずかに歪めるだけで,充分に効果がある。そのため,敷地全体を大きな箱のようなもので囲うような形で,結界を構築するのだが,見かけほどには,魔力を消費しない。一面を1人の魔法士が,1時間ほど持続させることができる。5面必要なので,10名だと2時間ほど持続させることができる。


 そして,午後9時に,箱型の転移防止結界が完成した。これで,尊師とその弟子は,もうこの敷地から逃げることはできなくなった。ビレット隊長は,これで,もうほとんど討伐が90%成功したと確信した。


 ビレット隊長は,次の手順に移った。討伐担当の魔法士らを指揮する分隊長のカラードに,命令を下した。


 ビレット隊長「カラード。お前たちの部隊の出番だ。敷地内にある道場の建物を破壊して,尊師とその弟子,サリーを誘い出せ」


 カラード分隊長「了解した」


 カラード分隊長は,自分の部下14名を,1番隊員から14番隊員という名称で呼ぶことにしている。


 カラード分隊長「1番隊員,2番隊員。2名で,道場の建物を,爆裂魔法で破壊しなさい」


 1番隊員と2番隊員は,軽く頷いた。彼らは爆裂魔法陣を起動した。彼らが隠れている場所は,敷地から5m程度しか離れていない。その距離で魔法陣を起動したことで,まだ爆裂弾を生成する前に,敷地内に設置された魔力探知結界が反応した。


 

 尊師の敷地には,魔法攻撃を探知する魔力探知結界が張られていた。この結界は,3mおきに線状のセンサーが敷地を覆っているだけなので,長時間起動していても,あまり魔力を消費することはない。その線状部分から5mの範囲に存在する魔力に反応して,瞬時に魔力攻撃無効化結界を起動させることができる。ひとたび,この結界が起動すると,3時間ほど連続的に動作してしまう。


 ブューーーン!!


 敷地全体に,魔力攻撃無効化結界が,一瞬にして構築された。


 カラード分隊長は,一瞬にして出現した結界に,少し驚いた。だが,敵対する相手が尊師であることを考慮すれば,あながち驚くには当たらないと思い直した。


 カラード分隊長「ビレット隊長,魔力攻撃無効化結界が起動しました。当分の間は,魔法攻撃が無効化されてしまいます」


 ビレット隊長「当分の間って,どのくらいだ?」

 カラード分隊長「これだけの広範囲で,魔力攻撃無効化結界を構築するとなると,個人の魔力だけで起動させることはできません。備蓄した大量の魔鉱石で起動しているはずです。常識的に考えれば,10分か,20分程度で消滅するでしょう」


 ビレット隊長「常識的に考えればそうかもしれん。しかし,相手は,あの尊師だ。常識が通じないかもしれん。万一,2時間以上も結界が続けば,転移魔法で逃げられてしまう」


 カラード分隊長は,ふふふ,と笑って反論した。


カラード分隊長「それは絶対にないです。これだけの広範囲の魔力攻撃無効化結界を2時間も稼働させるとなると,あの道場の建物くらいの魔鉱石が必要ですよ」


 ビレット隊長「そういうものか?この魔力攻撃無効化結界をすぐに解除する方法はないのか?」


 カラード分隊長「結界を解除するには,尊師が設定した暗号を知る必要があります。それを知ることはまず無理です」


 ビレット隊長「それ以外に方法はないのか?」

 カラード分隊長「結界のキャパを超える攻撃をすれば結界を破壊できます」


 ビレット隊長「そんなこと,言われなくても誰でも分かる。結界のキャパを超える攻撃は,可能なのか?」

 カラード分隊長「無理です。この結界は,半端な結界ではないです。素直に,結界の効果が消えるのを待つのが得策です。この結界を破壊するのは可能と思いますが,われわれの魔力をほとんど消耗してしまいます。そうなると,尊師との対決では,われわれが不利になってしまいます」


 ビレット隊長「では,可能性は低くてもいいから,尊師が設定した暗号をいろいろ考えて,解除を試みなさい。このまま何もせずに手をこまねいているのは,性に合わん」

 

 カラード分隊長「わかりました。では,暗号の解読を試してみます」


 カラード分隊長のチームは,暗号をいろいろと考えて,結界の解除を試みることにした。だが,20分経ち,30分経っても,結界は解除されなかった。


 ビレット隊長「カラード,30分経ったが,結界は解除されていないぞ。いったい,いつまで続くのだ?」


 カラード分隊長「分かりません。暗号の解読をいろいろ試していますが,解読はちょっと無理のようです」


 ビレット隊長「使えん奴らだな。ほんとうに,S級の超エリート集団かよ。高い報酬もらっているくせに。


 じゃあ,魔法士5名を選別して,転移防止結界の維持に廻してくれ。われわれの転移防止結界と尊師の魔力攻撃無効化結界のどちらが長く持続するかが勝負だ」


 カラード分隊長「それは,いい判断です。尊師の魔力攻撃無効化結界は,絶対に2時間も持ちません。でも,われわれの転移防止結界は,3時間ほど持続することができるでしょう」


 ビレット隊長「その言葉を信じてみるか。こうなったら,持久戦だ」



 ビレット隊長は,いつ魔力攻撃無効化結界が消滅してもいいように,作戦行動を確認した。


 魔力攻撃無効化結界が消滅したら,まず,魔法士チーム10名が,遠距離攻撃で道場の建物を破壊して,尊師と弟子を建物から追い出す。


 次に,魔法士チームを2チームに分かれて,尊師と弟子に魔法攻撃を実施する。弟子は,魔力ゼロだから,すぐに殺せるはずだ。その後は,尊師の討伐に集中する。尊師に休息の時間を与えないように,継続的に魔法攻撃をする。


 剣士達には,1分間,魔法攻撃を無効化するバリアを覆うことができる魔法石を持たせている。それを起動して,尊師に剣技で攻撃を行う。1分あれば,充分に尊師を討伐することが可能なはずだ。


 剣士は5名で1チームとし,3チームに分かれて,尊師一人を討伐する。安全にして確実な戦法だと,ビレット隊長は自負していた。


 尊師の敷地を守る魔力攻撃無効化結界が起動してから,すでに2時間が経過した。



 ビレット隊長は,我慢の限界が来た。討伐隊のメンバーも,同じように2時間も,ただじっとしていることに耐えかねて,地面に腰を降ろして,リラックスしだした。


 ビレット隊長「カラード!もう2時間が経過したぞ。いったい,どうなっているんだ!」


 カラード分隊長は,冷や汗をかいた。


 カラード分隊長「ちょっと,おかしいです。2時間以上も魔法攻撃無効化結界が続くなんて,あり得ないです。でも,もうすぐです。もうすぐ結界が切れるはずです!」


 ビレット隊長「ふん。もうお前の言うことは信じられん。こうなったら,とことん持久戦でいく。転移防止結界を持続させるため,次の魔法士5名を選別しておけ」


 カラード分隊長は,ビレット隊長の信用をなくしたが,あまり意に介さなかった。この討伐が終わると,また新しいメンバーで編成し直しになるからだ。


 カラード分隊長「了解です。準備だけはしておきます」


 ビレット隊長は,しっかりと腰を降ろして,半分欠伸交じりで,頬杖をついて,いつ消えるかわからない結界を眺めることにした。


 討伐隊全体に,だらけたムードが漂って,緊張感がまったくなくなってきた。あちらこちらで,おしゃべりの声が聞こえだした。とても,これから生死をかけた戦いが始まる,という雰囲気ではなくなってしまった。


ーーー

 魔法攻撃無効化結界が起動してから2時間が経過した頃,千雪と師匠は,道場の中にいた。


 千雪「敵の襲撃を受けているのに,のんびりと構えていますね」

 師匠「私の魔法攻撃無効化結界は,いったん起動すると3時間は持つからな。そう,慌てることもあるまい」



 千雪「えー-?今まで気が付かなかったけど,魔法攻撃無効化結界って,普通は,数秒しか起動させないものでしょう?連続して起動しても,せいぜい1,2分持続させるのが精いっぱいのはずでしょう??」


 千雪は,師匠のすごさがわかってきた。



 師匠は,とても得意がった。師匠は,ちょっと胸を張って説明した。


 師匠「サリーの言う通りだ。本来,結界,つまりバリアというものは,膨大な魔力を消費する。そのため,必要以上にバリアを長い時間起動し続けることはしない。


 だが,この敷地を覆う結界は,一度,起動すると3時間作動し続ける。地下にある魔鉱脈から魔力を吸いだすので,魔力不足を心配する必要はない」


 千雪「えー?そんなことができるのですか?」


 師匠「古代魔法陣は,奥が深い。サリーが覚えたのは,氷山の一角だ。サリーの部屋においてある古代魔法書を完全にマスターすれば,私がどの魔法陣を使ったが理解できる。ここから卒業した後でも,解読していきなさい」


 千雪「はい,師匠。卒業しても,魔法書の解読は頑張ります」



 師匠「その心がけがあれば,大丈夫だ。それと,世の中には,失われた超古代魔法書というものもある。もっとも,仮にそんな書物が発見されたとしても,この時代では,超古代文字の辞典は存在しないから,まったく解読ができない」

 千雪「超古代魔法書ですか,,,おもしろそうですね。縁があれば,一度見てみたいものです」

 師匠「王宮には1冊ほどあるが,今では誰も解読を試みようとしない。古代魔法で充分だからな。

 無駄話は,それくらいにして,そろそろ,サリーへの最後のアドレスをする時が来たようだ。よく聞きなさい」


 千雪「はい。しっかりと覚えておきます」


 師匠から千雨への最後のアドバイスは,以下の内容だった。


 ①サリーの名前は,今後は使用しないこと。


 ②髪型を変え,ソバカスを無くし,外見から師匠の弟子であることがばれないようにすること。


 ③ブレスレットの主には,千雪が師匠の弟子であることを伝えてよい。


 ④千雪の能力は,火炎系,回復系のS級レベルの魔法士,というくらいにしておくこと。でも状況によるから,千雪の判断でよい。


 ⑤もし,ブレスレットの主が,師匠の討伐を命じたら,どうするかは,千雪の判断にまかす。


 さらに,師匠は,言葉を繋げた。



 師匠「ブレスレットの主との契約履行期間が終わったら,サリーは自由の身となる。師匠やナタリーがいる王立魔法学院に来てもよいし,地球界に戻ってもよい。サリーは自由だ。もし指輪の精霊がお前に話かけてきて,ブラック・ウルフ事件で,お前を助けたことに対する見返りを求めてきた場合,どのように対応したらいいか,判断に迷うこともあろう。


 繰り返すが,何年後かはわからないが,サリーの敵は,魔界の魔法士レベルではなく,精霊レベルになる。時間を見つけては,古代魔導書の解読を続けて,精霊に対抗できる方法を探していきなさい」



 師匠の最後のアドバイスは以上だった。師匠の温かい言葉に,千雪は,眼に涙が溢れた。


 師匠は,事務的に言葉を繋げた。


 師匠「今から,魔力転換魔法陣をお前の体に刻む。裸になりなさい」


 千雪は,上下のジャージを脱いで全裸になった。サラシやパンツはつけていない。霊力使いにとって,裸体で戦うのが基本だと知っている。


 師匠は,千雪の見慣れた裸体を見た。


 師匠「サリーよ。もう,顔や体中にあるソバカスで,自分をわざと醜くさせることもあるまい。消去したらどうだ?」


 千雪は,確かに言われた通りだと思った。霊力を流すことで,皮膚を修復させることは容易なことだった。


 彼女は,はいと返事し,霊力を体内,顔面にめぐらせて,顔面,首,背中,胸に点在していたソバカス,赤い小さなシミを一瞬で消去させた。


 これが千雪の本来の美しさだ。


 千雪は,自分がかなり美しいことはよく知ってる。これまで,ストーカーにあったり,痴漢にあったりしてきたからだ。


 だから,わざとソバカスができるように,傷テープに小さな砂粒を貼り付けて,顔や体中のあちらこちらに貼り付けて,傷をつけてきた。


 その結果,ソバカスとは似て非なる赤いシミが全身にできてしまった。でもこれで男性の目から好奇の目でみられることが少なくなったと,嬉しくなったものだ。


 師匠は,千雪本来の美しい顔や裸体を見て言った。


 師匠「なるほどな。サリーが,わざとソバカスをつけていた理由がよくわかる。半年前に,今の姿で私の前に現れたら,私でも,とても修業するという気分にはならなかったかもしれん。


 魔力転換魔法陣を刻み込むから,そこに仰向けで横になりなさい」


 千雪は,師匠の前に横たわった。


 師匠は,空中に直系30cmほどの精緻な魔法陣を描き,ゆっくりと,千雪の腹部に移動させて,その魔法陣を腹部にぴったりと張り付かせた。そして,ゆっくりと,体内に吸収するかのように消えた。


 師匠「サリーよ。これで,霊力とか魔力とか意識することなく,魔法陣を使わずに放出系魔法を扱えるようになる。だが,今は放出系魔法は使うな。ブレスレットに反応させないためだ」


 千雪は,コクッと頷いた。


 師匠「服を着なさい。いまからこの道場を出る。出たと同時に,この敷地全体を亜空間領域に収納しなさい。


 そうなれば,ここに集まった冒険者たちは,一斉にわれわれに攻撃してくる。もう私が,対処できるようなレベルではない。


 千雪よ,お前なら,余裕で対処できるはずだ。遠慮はいらん。全員皆殺しにしなさい。サリーの卒業日に実施する実践訓練としては,ちょうどいい相手かもしれん」


 

 千雪は,ちょっと嬉しくなった。この感情はいったい何なのか自分でもよくわからない。人を殺す,という罪の意識はまったくない。それよりも,ゴキブリ退治をする爽快感を味わえるのが嬉しいと感じた。


 千雪は,微笑んで返事した。


 千雪「はい,ゴキブリ退治をします。師匠,安心して見ていてください」


ーーー

 緊張感を失った討伐隊ではあったが,それでも,結界が消滅するのを,待つことは忘れなかった。

 彼らは,結界が消滅して,道場を破壊することで,尊師とその弟子を,道場から引きずり出せる,という認識を持っていた。


 ところが,ほどなくして,尊師と弟子が道場から出てきたのだ。


 千雪は,右手で,左手の指輪に触った。すると,亜空間領域が開いた。


 その亜空間領域は,道場,千雪の住んでいた家,そしてその敷地全体を,呑み込むかのようにして消滅させた後,亜空間領域が閉じて,千雪の指輪に吸収されるように消えた。



 そこに残されたのは,地表から地下1mほど堀り起こされたかのような大きな窪地があるだけだった。



 師匠は,次に,自分が構築した魔法攻撃無効化結界を解除した。



 その窪地には,尊師が一人ぽつんと立っていた。


 ビレット隊長は,一瞬,何が起こったかわからなかった。弟子の千雪の姿が消えたのだ。


 すぐに我に返ったビレット隊長は,剣士たちに突撃を命じた。いや,正確には,命じようとした。


 彼は,『ぼーっとしていないで,突撃しなさい!』と口から言ったつもりだった。しかし,その時はすでに,首が胴体から離れていた。


 

 それから,3秒後,千雪は,師匠のもとに戻り,報告した。


 千雪『師匠,一匹残らず,ゴキブリ駆除を完了しました!!』


 千雪は,そう言って,右手と左手に施した刃の変形を解いた。


 55名の討伐隊は,全員,首と胴体が離れていて,一戦の矛先を交えることもなく,3秒で全滅した。千雪がしたことは,20倍速で移動し,両手の部位に霊力で刃を形成して,無抵抗な彼らの首をはねるという,千雪にとっては,なんら実践経験の足しにもならない単純作業を行っただけだった。



 師匠「サリーよ。よくやった!完璧なゴキブリ駆除だ。『霊力を操る』とは,こういうことだ」

 千雪「はい。とても気分が爽快です。なんか,癖になりそうです」

 師匠「だが,無駄に敵は作るな。自分の能力は隠して,目立たないようにして生活していくようにしなさい。


 ところで,サリーよ。今,張られている転移防止結界を解除できるか?」


 千雪「はい。やってみます」


 千雪は,4枚の側面と天井面に構築された5面の転移防止結界に,魔力転送魔法陣を貼り付けた。


 千雪の解除方法は,古代魔法陣からヒントを得たもので,魔法陣が保有する魔力そのものをすべて千雪の指輪に転送させるという方法だ。


 魔力を用いて起動する結界なら,すべてに有効な方法だ。もし,解除したい結界が近くにあれば,直接,指輪をその結界に接触させることで,指輪が勝手に魔力を吸収して,結界を消滅させてしまう。



 魔力転送魔法陣は,転移防止結界の魔力をすべて千雪の指輪に転送させた。わずか5秒足らずで,転移防止結界は消散した。


 師匠は,内心思った。『私は,この魔界に化け物を生ませてしまったのかもしれない』と。

 

 師匠「サリーよ。真面目に古代魔法書の解読をしてきた成果だな。見事だ」

 千雪「ありがとうございます。この指輪は,魔力があるものなら,なんでもその魔力を吸収してしまうことがわかったので,応用した使い方ができました」


 師匠「サリーよ。名残惜しいが,われわれは,早くここから去るほうがいい。ここでお別れだ」

 千雪「はい,お世話になりました。師匠が10年前から,月本国で月本語を習得することから始めたこと,また霊力の習得をゼロから始めたこと,その周到な準備期間があったからこそ,私は,こんな短期間に,ここまで成長できたのだと思います。本当に感謝申し上げます。師匠もお体を大切に」


 

 師匠「では,サリーよ。天空に向けて右手を上げなさい。そして,無理しない程度でいいから,火炎をイメージして,天空に向けて放射してみなさい。霊力が魔力に変換されるから,ブレスレットが反応して,『魔王』のもとに転送されるはずだ」


 千雪「わかりました。では,師匠,お元気で!!」



 千雪は,火炎をイメージして,天空めがけて,火炎を放出させた。



 パシュウ--------------!!!!



 それはSS級レベルをはるかに超える,直系4mにもなろうという火炎の柱が構築された。


 その火炎の柱は,成層圏に達する程だった。


 かすかな三日月の月明かりの天空で,それは,あまりにも目立ちすぎる炎の柱だった。


 1分ほど火炎の光が輝き続けて,そして静かに消えていった。



 この異常現象は,1000km離れた王都からでも確認できるほどだった。魔界の全住民がそれを目撃した,といっても過言ではなかったかもしれない。その後しばらく,不吉なことが起こる前触れではないかと,魔界全体で噂が広まった程だ。


 そのあまりに常識はすれた威力に,師匠は,一言いった。


 師匠「サリーよ。指輪の精霊にほんとうに愛されたのだな。これは,精霊からサリーへの『新しい旅たち』を祝福するプレゼントだ」


 千雪「はい,師匠。ほんとうに,ほんとうに,ご指導ありがとうございました」


 千雪は,その言葉が終わると同時に,ブレスレットが発光し,千雪の体全体に転移魔法陣が覆い,千雪は師匠の元から姿を消した。


 師匠は,それを見届けて,自らも転移魔法陣を起動し,魔法石の力を借りて,長距離転移を可能にして,王立魔法学院へと転移した。



 まだ状況が呑み込めないのは,討伐隊の成果を遠くから眺めていた視察者3名だ。夜目が効くと言ってもあまりにも一瞬の出来事で,理解が追い付かない。


 最初に弟子らしき女性が転移し,次に尊師が転移したのはわかったので,急ぎ現場に向かった。


 そこで見たものは,えぐられたかのように,尊師の敷地が窪地状になっていたこと,そして討伐隊全員の頭部が胴体から離れた死体が,えぐられた敷地の外周を覆うかのようにちらばって横たわっていたことだった。


 こんな状況は,あまりに想定外の出来事だ。


 しかし,死体をこのまま放置するのはまずいので,土魔法が使える者が,窪地をさらに深く掘り出した。次に55名全員の死体をそこに放り投げて,火炎魔法を扱えるものが,全員を焼却した。その上から土魔法で土砂を覆った。


 敷地周囲に流れた血のりも,土魔法で土壌を耕すようにして,わからなくした。


 依頼者に報告する内容は片言で終わってしまう。その内容はこうだ。


 『討伐隊は全員首と胴体が離れていて全滅しました。尊師のいた敷地は,窪地状になっていて,火炎の柱が天空を走りました。その後,弟子らしき女性が転送して姿を消し,次に尊師が転送して姿を消しました。その後,われわれは,全滅した討伐隊全員の後始末をしました』という事実を淡々と述べるだけだ。


 なぜそうなったのかという,一番大事な点がまったく欠けている。これでは,子供の使いと同じではないかと,叱られるのは承知の上だ。だが,ほんとうにその理由がわからないのだ。


 視察隊3名は,依頼者である北西領地の領主で,故大臣の2番目の弟,エルバックのいる屋敷に魔法石を何個も使って長距離転移した。


ーーー

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