第8話 一人目の男と、二度目のデートイベント
次の日。
布団の中で目を覚まし、ボクはもぞもぞと寝返りを打った。
いつもより暑い。
それに焦げ臭いにおいもする。
再び眠ろうと試みるも、努力は徒労に終わった。
仕方なしにぱちりと目を開く。外を見ると母屋の方が炎に包まれていた。
なんだこれ。
現実なのか?
逃げないと。
布団から飛び起きると、薄暗闇に鼠色の物がぼんやりと浮かび上がっていた。
「しゅ……ご……」
影は、途切れ途切れに声を発した。それが母親だと認識するのに数秒かかった。
鼠色の着物はだらしなくはだけ、白い鎖骨と腿が剥き出しになっている。
白い肌と着物には、赤い液体が飛び散っていた。
「
母親の言葉を理解する前に、手首を捕まれた。女とは思えないほどすごい力だ。近づくと母親からは血の匂いがした。
「痛い……かあさ……」
「さぁ宗護。母さんと行きましょ」
「どこ……に?」
「極楽に決まっているじゃない!」
そのままボクは母親に引っ張られた。母親は、あの女は今、塀の向こう側にいる。
目を開くと、女の顔が視界いっぱいに広がった。
背中まで届くふわふわの茶髪。ぱっちりと大きな金色の瞳が、眠るボクを覗き込んでいた。
彼女はボクが転移させられた乙女ゲーム、『ヤミのマギア~少女は孤島で溺愛される~』の主人公、
そして今は、ボクの愛する
「やっと起きたぁ。うなされていたみたいだから心配しちゃったよ」
「ここは……?」
「寝ぼけているみたいだね。マギア・アカデミーの寮だよ」
陽彩ちゃんに言われてボクは現状を認識した。認識すると共に、顔が熱くなった。
「あ、あの……ひい……セカイ、顔が、その……」
近い。
近すぎる……!
そんな近距離で見つめられると、ボクは芋虫にでもなってしまって、太陽の熱に「じゅっ……」と溶けておだぶつしそうだ。
「あっ、ごめんね、起きる上がるのに邪魔になってたね」
そう言って陽彩ちゃんはどいた。
例え君が全人類の敵になってしまったとしても、君がボクの邪魔になるわけがないよ。
「早く準備しなくちゃ、遅れちゃうよ」
陽彩ちゃんは言った。
「えっ、でも今日って学校休みだよね……」
「
すっかり忘れていた……。
カフェデートをした後もボクはマメにあいつに会いに行き、好感度を上げ続けた。
その結果「中間テストの結果がよかったら、ご褒美に、日曜日にデートしてくれないかな……」と、ミナセから誘われたのだ。
初の休日デートの約束にボクは快諾したのだ。
テストが返却されたのは先週。当然のようにミナセの成績は学年一位だった。
そしてご褒美デートの日が今日だった。
「メイク手伝ってあげるから、顔を洗って来て」
洗面所で顔を洗ってから部屋に戻ると陽彩ちゃんはいくつかの瓶を用意していた。
すべて基礎化粧品とかいう奴だ。
メイクをする前やお風呂上りにこれらを全部顔に塗らないといけないらしい。
(ボクが何もつけないで寝ようとすると、陽彩ちゃんに驚かれた)
ボクは渋々、化粧水から順番に使い始めた。
昨日なんて「勝負の前日なんだから」と、パックまでさせられた。
女の人ってみんなこんな面倒くさいことをやっているのか……。
化粧水やクリームは、綺麗で身だしなみの整った女の人から漂って来そうないい匂いがした。
やっとのことで全部つけ終わると、今度は下地とかいう肌色のクリームを顔に塗らないといけない。
それも終わると陽彩ちゃんから「こっち向いて」と促された。振り向くと陽彩ちゃんはファンデーションをパフにつけて馴染ませていた。
「目を瞑って」
「え、ええ……」
言われた通りに目を瞑ると、陽彩ちゃんの気配が顔の近くに迫る。
こんなの耐えられない!
今目を開けたら恐らく失神するだろう。
だけどボクが自分でやるとむらだらけになるからこれは致し方ないことなんだ。
「っ……!」
陽彩ちゃんの指先がボクの顎に触れ、思わず変な声を上げそうになった。
役得だ。
男のままじゃこんな体験はできなかっただろう。女同士って最高だな。
それに自分が美少女になって好きな女の子にメイクをして貰うシチュエーションにはクるものがある。
何かに目覚めそうだな……ふぅ。
フェイスパウダー、アイブロウ、アイシャドウ、チーク。順番に施される。
最後にリップ。
細くて小さな刷毛が、優しいタッチで唇の輪郭をなぞる。
唇に触れられるのは、キスされているみたいで恥ずかしい。
特に陽彩ちゃんにされているのだと思うと、体がむずむずして太腿同士を擦り合わせた。
熱い息がこぼれそうになって、堪えるために身を固くする。
「できたよ。……どうかな?」
陽彩ちゃんに言われて鏡を見ると、華やかになったマモリの顔があった。
流石は陽彩ちゃんだ。
それにマモリって、こうやって見ると本当に美少女なんだな……。
「あとは服と、髪も綺麗にしないとね」
陽彩ちゃんは妙にやる気だった。
親友のデートの準備を手伝うのが楽しいのだろう。女の子って恋愛に関する話に目がないな。
だけど、陽彩ちゃん自身の恋愛はどうなんだろう。
今回はどいつを狙っているんだ?
少なくともミナセではないだろう。
いくら親友相手でも、自分の好きな男が盗られるかもしれない時に、楽しそうに手伝ったりするわけないし。
「私の服、気に入ったのがあったら貸すよ?」
ボクの思考は陽彩ちゃんの爆弾発言により中断された。
陽彩ちゃんの服を……ボクが?! そんなの駄目だろう。いや、洗濯した物ならセーフか?
……って、何を変態みたいなことを考えているんだ。陽彩ちゃんは善意で言ってくれているのに。
それにボクの彼女への愛はけして変態じみたものではなくて純粋なものであってだから服を借りるのはセーフだ。
セーフでしかない。
「……お、お願いしようかな」
「あ、でもマモリにはちょっと大きいかな? マモリって小さくて可愛いよね」
陽彩ちゃんの方が百億倍可愛いよ。
ボクはデートの準備が終わると、軽く朝食をつまんでから出掛けた。
服や髪を整えて貰うの時もドキドキの連続で、朝から満足を覚えると同時に少し疲れたな。精力を搾られた感じだ。
陽彩ちゃんにはサキュバス的な才能があるのかもしれない。
彼女のテクニックには学びがある。
ボクもそれらを習得し、『ヤミマギ』の男たちに存分に使って行こう。
※※※
ボクはミナセを海まで連れて来た。海はミナセの好感度がかなり上がるデートスポットなのだ。
波打ち際では一定のリズムで海水がこちらにやって来て、また海に帰って行った。
ボクは砂浜の上に立ち、海面を見つめるミナセに視線をやった。
休日のデートイベントでは攻略キャラが私服で現れるのが特徴だ。
ただミナセの私服は制服とあまり変わらない。プレッピースタイルとかいう服装らしい。
白いブラウスに紺色のベスト。
胸元で光る青いループタイ。
ダークグレーのチェックのパンツ。
黒いローファー。
派手さはないが、優雅で上品で、こいつには似合っている。
ファンからは「私服が無難すぎる~。もっとイメージの違う服も見てみたかった!」とか言われていたが。
だけどもしこいつの私服がメン●ナックルみたいだったら嘆いただろお前。
ガイアが輝けと囁くとか言い出してもお前はファンを辞めないのか。
「姫野さん、付き合ってくれてありがとう」
ミナセはこちらを向き、微笑んだ。
「しかも僕の好きな場所にしてくれて……」
「わたしも海に来たかったの。春の海もいいわね。風が気持ちいい」
ボクは水平線を睨みつけた。本当は海なんて好きじゃない。
ボクが昔住んでいたところはここと同じ島で、少し歩けば海が見えた。
海を見ていると嫌でもあの頃のことを思い出す。あの頃の生活はもう思い出したくなんかない。
「今日の服、可愛いね。普段の制服姿もいいけど」
休日のデートイベントでは、主人公ももちろん私服になる。この時に選ぶ服装によって、相手の好感度が上がるのだ。
ボクはミナセの好感度が上がる「清楚」な服を選んだ。
白いワンピースに、ライトグレーのカーディガン。青い宝石のついたペンダント。白いサンダル。
陽彩ちゃんからは結局、カーディガンだけ借りた。
「……なんだか、姫野さんからは僕ばかり貰っている気分だよ」
「でも今日は王侍君のご褒美なんでしょう」
「そうだけど。せっかくの休日だし、君にも楽しく過ごして欲しい」
ミナセは少し考える素振りをした後で、何か思いついたみたいに顔を上げた。
「海の宝石を見せてあげるね」
ミナセは海に手を伸ばし、呪文を詠唱した。海水が渦を巻き、天に吸い込まれるように上昇した。
その後、石ころくらいの大きさの海水の塊りがいくつも落ちて来たが、すべて空中で静止した。
ミナセの手の平に、大粒の塊りが収まった。
海水の塊りは太陽の光を照り返し、煌めいていた。
ミナセの手にあるものも、空中を漂うものも、全部。
幻想的な光景だった。
キラキラしたものに囲まれていると、ミナセの容姿のよさが際立った。
このシーンはゲームでもあったしスチルにもなっている。
「わぁ……綺麗」
ボクはゲームのセカイと似たようなセリフを吐いた。
「こんな事もできるよ」
空中の水の塊りが形を変えながら地上に降りた。
塊りは子犬や猫やウサギの形になっていた。
「狩人君にね、これを見せると喜ぶんだよ」
動物たちは意思を持っているみたいに、リアルに動き出した。繊細な動きだ。
ミナセは涼しい顔でやってのけているが、本来は難しいマギアなんだろう。
「さわっても大丈夫だよ」
ボクはしゃがんで、子犬を模した水に手を伸ばした。
子犬は甘えるようにボクの手に頬を擦りつけた。
ひんやりとしていて水滴の表面を触っているような感触だった。だけど普通の水滴みたいに指が入って行かず、少し弾力感があるのが不思議だ。
ふとミナセを見ると、うかがうような濃いブルーの瞳をこちらに向けていた。
「最近、君のことをよく考えているよ。どうしたら君が喜ぶのかとか、笑ってくれるのか……とか」
間違いない。こいつはボクに恋をし始めている。
まだ五月だというのにすごい勢いで好感度が高まっているな。
このまま行けば乙女ゲーム
「僕と過ごす時間が、姫野さんにとって少しでもいいものになって欲しい」
「……また、無理してる」
「無理なんかしてないよ」
ボクは立ち上がり、ミナセに近づいた。
「貴方はもっと、ありのままでも自分は愛されるということを知った方がいいわ」
「ありのまま……そんなのは無理だよ」
こいつの境遇を考えればそうだろうな。
ずっと何かをやらなければ、何者かにならなければ許されなかった。
甘えることもできず。
「ありのままの王侍君も、わたしは受け入れるわよ」
聖母のような笑みを浮かべる。
聖母は本の中でしか知らなかったが。ボクの母は聖母には程遠かった。
背伸びをし、手の伸ばし、ミナセの頬に触れる。
「君がいなくなるのが怖くなりそうだよ」
ミナセはボクの手に頬を擦りつけた。
さっき見た子犬のようだと、ボクは思った。
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