プロローグ:現実世界より

第1話 ヤンデレ♂、乙女ゲームの友達キャラに転移する

 ボクには愛する人がいる。

 名前は川合井陽彩かわいい ひいろちゃん。真面目で我慢強くて、誰にでも優しい女の子だ。うちのクラスの学級委員も務めている。誰もやりたがらなかったから。

 彼女はいつも笑顔だけど、注意深く観察すれば無理やり作られたものだとわかる。いつも他人の顔色を窺い全人類から愛されようともがいている。全人類――こんなボクすらも含んでいる。そういうところも……好きだ。


 だけど彼女の「そういうところ」は他人から利用されやすい。特に利己的で、他者を犠牲にしてでも欲望を叶えようと考える輩には。誰かが守ってあげなければ、彼女は他人から消費され尽くしてしまうだろう。


 彼女を守るためにボクは陽彩ちゃんと同じマンションに引っ越したし(諸事情により、ボクは一人暮らしだ)、定期的に盗聴器も仕掛けている。犯罪だ? 彼女を危険から救えるのなら法律違反くらいするよ。国の法律なんかよりも陽彩ちゃんの方がずっと大事なのだから。


 ボクは盗聴器のスイッチを入れた。だいたいの場合と同じように生活音が聞こえるだけだった。彼女が安全な証拠だ。


 安心してパソコンの電源を入れる。今のうちに『ヤミのマギア~少女は孤島で溺愛される~』をまたプレイしておこう。

 通称、『ヤミマギ』は、主人公の女の子が魔法学園でイケメンたちと恋愛する乙女ゲームだ。攻略対象のイケメンが全員ヤンデレで、監禁エンドや心中エンドばかりなのがこのゲームの特徴だった。


 はっきり言ってこのゲームのよさはわからない。


 まずヤンデレの男というのがボクは嫌いだ。


 百歩譲ってひとりで病んでいる分にはいい。誰にも迷惑をかけないし勝手に病んでいればいいんだ。だけどこのゲームの男たちときたら、ヒロインに依存するわ、依存したあげく自分だけのものにしようとするわ、永遠に一緒にいるためにヒロインと共に海に身を投げたりする。

 なんてはた迷惑な男たちなんだ。ボクなら絶対にそんなことはしない。愛する人の幸せを第一に考える。ヤンデレの男の気持ちなんて一生理解できない。


 ボクがこのゲームをプレイしている理由は、陽彩ちゃんがハマっているからだ。彼女と同じゲームをプレイしていると、同じ時間を共有している気持ちになれた。楽しさも共有したいから、ゲームのよさを理解できるまで繰り返しプレイしている。もう何週したかわからない。エンディングはすべて見たし隠しキャラも攻略した。キャラクターのセリフもある程度覚えてしまった。


 盗聴器が男の声を捕らえた。


『陽彩ちゃん勉強しているの? 真面目だなぁ』


 彼女の兄だ。途端に緊張感が走る。ボクはヤミマギを中断し、盗聴器から聞こえて来る声に集中した。

 兄と言っても陽彩ちゃんの父親の再婚相手の連れ子だから血は繋がっていない。こいつは陽彩ちゃんを性的に狙っている下衆な野郎だ。そんな男とひとつ屋根の下で暮らすのは相当なストレスが溜まるだろうが、陽彩ちゃんは両親を気づかって誰にも相談できないでいる。ボクだけは彼女の苦しみに気づいている。彼女を守れるのはボクだけだ。


『もっと楽しいことしない? せっかく二人っきりなんだから』


 盛りのついた雄の息遣いが盗聴器越しに聞こえて来そうだ。吐き気を催す醜い豚め。無意識にきつく歯噛みしていた。


『あ、あの……さ、触らないでくださ……』


 陽彩ちゃんは怯えた声で言う。何をしているんだ。この豚は何てことをしているんだ……!


『兄妹なんだからスキンシップくらい普通だろ』

『や、やめ……!』


 頭が真っ白になった。気づけばボクは包丁を手に家を飛び出していた。冷静さは失ってないよ。彼女の家に向かう途中、念のため警察にも連絡しておいたくらいだ。

 さいわいにも彼女の家のドアは空いていた。


川合井かわいいさん!」


 彼女の部屋のドアを開くと上半身を脱がされた彼女と、彼女に馬乗りになっている男が見えた。美しい陽彩ちゃんとコントラストを作るように醜悪だ。欲望に塗りたくられた顔。だらしなく開かれた口からは、ご馳走を前にした肉食獣のように唾液を垂らさんばかりだ。


内藤ないとう君……?」


 今にも泣き出しそうな彼女と姿にカッとなり、叫びながら畜生野郎に包丁を突き刺した。すんでのところで避けられた。


「なんだお前!」


 畜生が声を上げる。無駄に運動神経がいいやつだ。すぐにまた包丁を向ける。腕を捕まれた。もみ合いになる。

 畜生はボクから包丁を奪うと、こちらに向かって来た。腹部に激痛が走り呻き声を上げる。陽彩ちゃんの悲鳴が聞こえた。気をよくしたのか、奴はねっちゃりとした笑みを浮かべた。元から下品だった顔は目も当てられないくらいに歪んだ。


「きもち悪い……下衆」

「あ? うちに勝手に入って来たお前のがきもいんだよ」


 下衆は再びボクに包丁を突き立てた。舞い散る鮮血。こんなやつに負けるわけにはいかない。刺し違えてでも殺さなきゃ。


「やめて!」


 陽彩ちゃんがボクらに割って入る。ボクを庇おうとしているんだ。


「だ……めだ、陽彩ちゃ……」


 腹部からは血がどくどくと溢れている。叫んだつもりが掠れた声にしかならなかった。


「こんなやつを守る気か?」

「だ、だってこのままじゃ内藤君が死んじゃう!」

「殺した方がいいんだよ、こんなやつ」


 下衆野郎は再び包丁を振りかぶった。このままじゃ陽彩ちゃんまで巻き込まれる。精一杯の力で彼女をつき飛ばした。途端に襲って来る激しい痛み。

 このまま死ぬのか。いや死んでる場合じゃない。ボクがいなくなったら陽彩ちゃんがあいつから何をされるか。だけど体に力が入らない。意識がだんだん遠のいて来た。


「ごめ……ん、ね」


 君のこと守りたかったのに。ボクはなんて無力なんだ……。

 もしも生まれ変われたら今度こそ君を守るよ。何を犠牲にしても。命に代えても。

 そこで意識は途絶えた。



 ハッとして目を開くと知らない天井が目に入った。消毒液の匂いが鼻を掠める。

 ボクはベッドの中で眠っていた。腹部に痛みはなかった。不可解に思って触ってみたが、傷はなさそうだ。あんな怪我が一瞬で治るはずない。それになんだか体に妙な違和感を覚える。


 むくりと起き上がって辺りを見渡す。保健室のような部屋だ。


陽彩ひいろちゃんは……?」


 部屋には誰もいなかった。ボクが助かっても彼女が死んでいたら意味はない。陽彩ちゃんを探さないと。

 大慌てでベッドから降りて保健室の扉を開いた。扉の向こうに人がいてぶつかった。相手は「きゃっ!」と、短い悲鳴を上げた。


「目が覚めたのね」


 ぶつかった相手の女の子は安心しきった声色で言った。ふわふわの茶髪で、白と緑色の制服ブレザーに身を包んだ少女だった。まつ毛に彩られた大きな金色の瞳が印象的だ。何故か彼女を見た瞬間、陽彩ちゃんを目にした時と同じように胸が強く高鳴った。


 ボクはこの子を知っている。彼女は『ヤミマギ』の主人公、


芽上めがみセカイ……?」

 どうしてゲームのキャラクターが目の前にいるんだ。


「やだ、どうしてフルネームで呼ぶのよ。混乱してる? 先生には私から言っておくから、もう少し寝てて」


 セカイはベッドまでボクの手を引いた。その感触は、ずっと以前に陽彩ちゃんが手を引いてくれた時とまるで同じだった。どきどきする。陽彩ちゃん以外の女の子にこんな気持ちを抱くなんて……。


「さっきはマモリがいきなり倒れてびっくりしちゃった」


 セカイは言った。

 マモリ、だって? 姫野ひめのマモリのことか? セカイの態度は女友達にするものだ。さっきまでは気持ちに余裕がなくて気づかなかったがボクはスカートを穿いていた。しかもセカイと同じ制服だ。

 心臓が大きく跳ねる。まさか……。


「……ねぇ、鏡を見せてくれない?」


 ボクが言うと、セカイは「鏡ならそこにあるよ」と、部屋の隅を指さした。スタンドミラーが設置されていた。

 すぐにスタンドミラーの前に立った。そこに写っていたのは、『ヤミマギ』の主人公の親友キャラクター、姫野マモリの姿だった。

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