第20話 (9/26) 永遠の沈黙
それから五分が経過した。火砕流は近づいてきているが、まだ距離はあるようにも見える。予想以上だったのはそのボリュームだ。双眼鏡で見ると、遠目だが道路を埋め尽くし、木々のかなり上まで埋める高さで雪崩のように流れてきているように見える。
翔真はそれを見て危機感を強めた。
(おいおい、すごい大きさだぞ。これは結構上の方までいかないとやばいかもしれない。それに時間的にも……)
あと五分程度でこの辺りまで到達しそうだが、どこまで登れるだろうか。横の方の遠くの町をちらと見るとそこにも火砕流が到達しつつあった。
「やっぱり低い方はだめだ。これはポンペイ*になるな。とんでもないことになった」
さくらを支えながらの歩くペースはあまり早くない。でもこのまま何とか急ぐしかない。少し考えてから決めた。
「かえで、先に走って行ってくれ。かなり上の方まで火砕流が来そうだ」
青ざめた顔でかえでが振り向いた。
「え、だってさくらと翔真が……」
「大丈夫、念のためだ。こっちは少し遅れるだけだから」
「嫌だよ、そんなの。一緒に行こうよ」
翔真は少し強く言った。
「一緒はだめだ。津波と同じだ。最悪全員やられる」
「かえで。くるみを絶対に守って」
疲労でやつれた表情のさくらも声を振り絞った。
かえでは泣いているくるみをあやしていたが、自分の目にも涙が溢れ出てきた。それでも気を取り直して上の方に歩きだした。
「さくら、翔真! 絶対来てよ!」
「うん。わかった。走って! 早く!」
かえでの叫びにさくらは答えた。
かえでは意を決して、上を向き走り出した。
次に翔真がさくらの顔を見つめて言った。
「おぶっていく。いいな」
さくらはもう自力で動く力が無くなった。翔真に体を預けることしかできない。しかしやや小柄なさくらといえども、翔真がおぶって上り道を歩くのはかなり無理がある。涙声でさくらが言う。
「無理しなくてもいいよ。でもまかせる。ごめんね。こんな体で」
「よし」
翔真の目も滲んできた。
翔真はさくらを背負うと立ち上がって歩き始めた。ずしりと背中に重みを感じたが、可能な限りの速足で登って行った。
翔真は、ずっと運動をしていなかった自分を呪った。本当に悔やんだ。俺は何でこんなに体力が無いんだ。
そのうち歩く速度が落ち、一歩一歩踏みしめながら細い山道をよろよろと進んでいく。
目の端で一瞬火砕流を見た。もうすぐ来る。高さは、ここよりもう少し上か。
次に上方を覗った。かえで達の姿は見える範囲には探せず、かなり上まで行けたらしい。彼女達は大丈夫だ。
さくらを見た。背中に掴まるだけでも体力を消耗しているようで息は激しく、目はほとんど瞑っているような感じだ。二人とも涙だけがとめどなく流れている。
「さくら、行くぞ」
翔真はラストスパートする決意を固めた。一方でこれはかなり厳しい状態であることを認識せずにはいられなかった。
いまいましい火砕流の速度はやや遅くなっているが、あと一分も掛からずにここに到達するのは間違いない。最低でもあと十メートルくらい上らないと巻き込まれるのは必至だ。
左右の地形を確認しながら歩いた。高いところはないか。
左側ちょっと行ったところに五メートルくらいの高さの急な傾斜があった。
「あそこを登るしかない」
翔真はその坂まで力を振り絞って走った。そしてさくらを背負ったまま手も使って傾斜をよじ登り始めた。
さくらもずり落ちないように必死に手を首にまわして掴んでいる。
半分くらい上ったところで、火砕流の音が急に大きくなってきた。
――もうすぐ来る。
翔真は振り向いた。
火砕流の高さは翔真達よりさらに五メートルくらい高かった。
それは―― 絶望の高さだった……
灰色の大津波が目の前に迫ってきた。
「さくら、ごめん。守ってやれなかった」
翔真は体を反転させ、さくらの方に向いて声を絞り出した。
「いいよ、ありがとう。巻き込んでごめんなさ……」
もう声にならなかった。
「そんなことない! 俺が悪かったんだ」
二人はもうがっちりと抱きつくしかなかった。
火砕流に二人が剥がされないように……
――二人の終わりがやってきた。
火砕流の通過は一瞬だった。
翔真が言っていたように高原の頂上付近には達せず、かえでとくるみは助かった。北の方角の比較的高い道路に逃げた両親も無事だった。
逆に中腹より下は街に至るまで全て灰に飲み込まれた。かえで達がもし車で逃げていたら確実にやられていた。
雲海のような一面の灰に覆われ、もうどこに何があったのかわからない。
永遠の沈黙が訪れた……
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*ポンペイ:西暦79年噴火で発生した火砕流に飲み込まれたイタリアの古代都市。
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