第16話 夜のお茶会②

 再び落とされた口づけに、ディアーナは瞼をぎゅっと閉じた。混乱で溢れた涙が目尻に溜まり、つーっと頬に流れていく。四肢に力が入らなかった。熱に浮かされた人のように、ただ熱い呼吸だけを繰り返す。


「どうかな?」


 冷笑混じりの声が耳を突き、混濁しかけたディアーナの意識は急激に浮上した。半ばユーリに預けるかたちになっていた自分の体を起こし、声のした方向に目を向ける。


「それが、大人の男の、僕みたいな男の振る舞いなのかい?」


 廊下の窓から差し込む月明かりで照らされた白銀の髪はまるで刃のように輝き、その下の双眸は射るように冷酷な色を湛えていた。これまでになく厳しい表情を浮かべるルカは明らかに怒りを孕んだ眼差しをしている。


「僕たち一族からすれば、お前たちはまだ子供だ。ここは大人として節度のある振る舞いっていうものを教えてあげないといけないね?」


 言って、ルカは迷いなくユーリの元へ来ると、彼の首根っこを捕らえ、引きずるように立ち上がらせる。それはルカらしくない乱暴な手つきだった。


「ディア、君も心中穏やかでないと思うけれど、ぐっすり眠るといい。そのお茶には睡眠促進作用があるはずだ。飲んでからお休み」


 にこやかに笑い、ルカはユーリを連れ出そうとする。


「ルカ! 無粋すぎるぞ‼ こういうことに大人も子供もない!」


 暴れるユーリの頬を、ルカは思い切り引っぱたく。

 小気味良いくらいの高い音が部屋に響き渡った。その音に、ディアーナは思わず目を瞑り、少しの間を置いてからこわごわと片目を開く。


「そういうことは、一人前になってから言いなさい」


 静かな声だった。

 有無を言わさぬ、ぴしゃりとした物言いだった。

 とたん、叱られたユーリは嘘のように項垂れる。自分の首根っこを掴んだ手を振り払ったものの、歩き出したルカの後ろを幽鬼のごとくとぼとぼとついて行く。


「あ……」


 何か声を掛けなくてはと思い、けれど、何も言葉が浮かばなかった。

 ユーリを庇わなくてはいけなかったのではないかと、ふと思った。


(だって、ユーリは……)


 何もできない自分に腹が立って、ディアーナはカップを持ち上げると、一気にお茶を呷った。熱い液体が喉を通り、腹まで達する。

 それから、混乱する頭のまま寝台に丸くなる。

 薄い掛け布団を引き寄せ体を覆うと、瞼を閉じた。


(何が起こっているんだろう……?)


 使用人たちの解雇。

 ユーリの強引な振る舞い。

 それを叱るルカ。

 そもそも、なぜ自分はこんなところにいるんだろう。


(クロスケを連れ帰るため)


 そのはずだったのに、気が付けばクロスケの姿をついぞ見ない。

 クロスケを連れ帰ろうというのに、当のクロスケを見失っているとはどういうことだろう。

 それに、ディアーナに課された条件はもうひとつ。


 ——君がこの屋敷を出るには、僕の隠した鍵を見つけないと駄目だよ。君の自由は鍵と引き換えだ。


 ユーリはそう言っていた。

 あまり深く考えないようにしていたが、つまりは膨大な本の中から手紙を見つけ出したところで、クロスケを取り戻すことができても、村に帰ることはできないということだ。


(ということは私が先にやらなきゃならないのは、鍵を見つけることなんじゃ……?)


 そう思い当たると、愕然とした。

 今まで鍵を探すことなど全く頭になかった。


(もうー! どうしよう⁉)


 ふいに指先が首筋に触れた。

 それは、先程ユーリが口づけを落とした場所だ。


(ッ——!)


 ディアーナは悶絶し、コロコロと転げまわる。

 敢えて忘れようと努めていたのに!

 掛け布団はくしゃくしゃになって、すっかり寝台の隅に追いやられた。


「あー! もう‼」


 気が緩むと、あのときの吐息や唇の感触が戻って来て、さらにどうしようもなくなる。

 ユーリは強引すぎる。あまりに酷い所業だと思う。こういうことは、ディアーナの同意を得てから、順序立てて——って、何を考えているのだ。これでは自分が受け入れているみたいじゃないか!


 もちろんディアーナは怒っているのだ。怒っていて、混乱していて、涙だって出てきて——でも、それよりも考えるべきは鍵のこと、手紙のことであるはずで。


「わー‼」


 悩むことが多すぎて、頭がおかしくなりそうだ!


  悩ましい夜を過ごしたディアーナは、まさか翌日、それらが後味の悪い結末を迎えるとは思いもしなかった。

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