第15話 夜のお茶会①

「ディア、起きてる?」


 控えめなノックの音の後に、くぐもったユーリの声がした。

 寝衣に着替え、燭台全ての火を消し終えたディアーナは、扉を見る。

 開いたままの窓からささやかな月明かりと、涼しい風が吹き込んでくる。


「起きてるよ」


 その声を合図に、扉は開き、ユーリが盆を手に入って来た。

 盆の上にはカップが二つとポットが並び、小皿の上に一口サイズの砂糖菓子が盛られている。


「ちょっと、話があるんだ」


 躊躇うように口を開き、眉尻を下げたユーリはどことなく自信がなさそうだ。いつもとは違う表情に訝しみながらも、ディアーナは円卓の椅子を引いてやる。

 お互いの手が届く位置に腰を下ろし、ディアーナはお茶を啜った。優しく香る花の香りに、自然と心と体がほぐれていく気がした。

 だが、猫舌のユーリはカップに手をつけようともしない。


「あの、話って?」


 珍しくぐずぐずと話を切り出さないユーリに、ディアーナは促すように訊ねた。


「実は……使用人を……みんな里に帰した」


 ぽかんとするディアーナに、ユーリは前傾姿勢で言い募る。


「あの! ルカがみんな寂しがってるから解雇しろって! それで、さっきみんなお役御免にしたっていうか⁉ みんな家に帰した! もちろん、それ相応の物は持たせたよ! 今までの報いに感謝するっていうか? あ、あのだから……」


 急にしゅんと縮こまってしまったユーリが、いたずらを白状する子供みたいに見えて、ディアーナの心はずきりと痛んだ。何だろう。なぜだか胸の奥がざわざわと騒がしい。


(まるで、本当に子供みたい)


 あれほど得体の知れない謎の魔術師だと思っていたユーリが、手の届く普通の男の子に見えたからか?

 だからなのか、普段取り澄ましているユーリがひどく子供っぽく見えて、ギャップを感じてしまったからだろうか。

自分でも意識しないうちに、自然と手が伸びた。

背を屈め、俯くユーリの頬に掌をあてがい、その顔を上向かせる。

ざわつく心から、何か言わなくてはいけないとせっつかれているような気がして、ディアーナは言葉を選んだ。


「今までみたいに至れり尽くせりはできないってことね?」


 ユーリは目を丸くして、ディアーナを見つめる。

 喘ぐように、息を呑み、ユーリは信じられないものを見るような瞳を向けた。零れそうなほど大きな瑠璃色の瞳。それを縁取る宵闇色の長い睫毛がひどく震えている。


「ディ……ディア」


 その瞳が歪むように閉じられた。


(ユーリ?)


 泣いてしまうのではと不安に駆られ始めたときだった。

 ユーリの手が頬に触れていたディアーナの手首を掴み、もう片方の手がディアーナの後頭部に回される。

 円卓に置かれたカップの存在など意に介した風もなく、ユーリはディアーナを思い切り抱き締めた。

 カタンとユーリのカップが倒れ、湯気の立つ茶色の液体を円卓に広げていく。


「ユーリ⁉」


 ユーリの胸板に押し付けられる形になったディアーナは目を見張って、狼狽した。

 どうしていきなりこんなことになったのか!

 抱き締められている理由がわからない。

 ユーリの顔が近い。ふわりと匂い立つのはやはり花の香りだ。何だか懐かしい気持ちになる優しい花の香り。


「好きだ、好きだ、好きだ、ディア」


 けれど、ユーリはますます腕に力を込める。

 ディアーナはあまりの状況に息が詰まって、何も答えられそうにない。


「もう、離さない……何があったって、俺たちを引き離すことなんてできない」


 ユーリはディアーナの肩に顔を埋め、その首筋に額を押し付ける。

 その火傷してしまうのではないかと思うほどの熱が、胸の鼓動を狂わせる。


「あ、あの! ユーリっ⁉」


 ディアーナは自由になる方の手で目一杯肩口を押し、どうにかユーリを引きはがそうとするが、その度にユーリの力は増していく。

 先程まで自信のない子供のように幼気いたいけに見えたユーリ。

けれど、この力は子供らしさの欠片もない力強い男のものだ。


「お、落ち着いて? ね?」


 どうにか宥め、落ち着かせなくてはならない。

 そう思い立ち、ディアーナは肩口を押していた手をユーリの背に回し、ぽんぽんと赤子をあやすように叩いてみるが、戒めるような腕の力は一向に緩みそうにない。


「十分、落ち着いてるよ、ディア」


 ユーリは顔を動かし、鼻先をディアーナの首筋に当てた。びくりとして、ディアーナの背筋がぴんと伸びる。


「俺はいつだって、冷静だ。大人の男みたいに。ルカみたいに」


 熱い吐息が首筋をくすぐり、ディアーナはむずがゆいような気持になる。


「君のためなら何にだってなれる……俺は君のものだ、ディア」


 そのとき、吐息以上に熱い柔らかなものが、ディアーナの首に触れた。


「……ッ!」


そこから体中に向けて熱が走り抜けていく。

ひりつくような、痺れた感覚が頭を支配し、ディアーナの頭は真っ白になった。


「そして、ディア……君は俺のものだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る