第13話 裏庭のふたり
思ってもみない訪問者に戸惑っていたのはディアーナばかりではなかった。
むしろ、最も動揺していたのはユーリだったといっていい。
ユーリという人物を知る者が、今の自分を見れば違和感があるはずだ。しかもそれが、最も親しい者なら尚更のこと。
「何で、来たんだよ」
昼食を終え、ディアーナを書庫まで送ったあと、ユーリとルカは裏庭にいた。
裏庭といっても、どこもかしこも伸び放題の下草ばかり。この有様では、前庭や裏庭などという呼称は意味をなさない。屋敷の周囲は余すことなく雑草たちの楽園だった。
草に囲まれたように立つ樫の大木に背を預け、ユーリは不機嫌さを隠さない声で、ルカに問うた
緑の中に佇んでいてもその白銀の髪が一際輝くルカは、肩に乗った一房の髪を払い除けてから、天を仰いだ。
屋敷の上だけは鬱蒼とした木々の天井はない。そのため、遮られることのない日光が眩しいほどの光を注いでいる。
顔を下ろすと、ルカは鼻から深く空気を吸い込んだ。黒き森に充満する、むせ返るほど濃い緑の匂いだ。
「何でって、友を訪ねるのに理由なんて必要かい?」
ルカはまっすぐユーリを見据える。
同じ色の双眸がしばし交わって、すぐにユーリの方から逸らした。
「そもそもよくここがわかったな……俺は何も言い残さなかったのに」
「まあ、お前の考えることくらい手に取るようにわかるさ」
笑い交じりに答えるルカに、ユーリはばつが悪くなり、俯きぎみで爪を噛んだ。
爪を噛むのはユーリの悪い癖だ。
子供っぽいからやめようとは思うのだが、思うようにやめられない。
そう簡単に治せないから癖なのだと、ユーリは内心毒づく。
『爪がギザギザになっちゃって、ユーリの綺麗な指が台無しよ』
そう窘めてくれた少女のために、やめようと努力はしていたのだが……
その彼女が傍に居ないのでは、努力する意味など見いだせない。
ユーリの基準はいつだって、彼女だったのだから。
「来たのは正解だったようだね」
ルカは複雑な表情でユーリを見やり、背後の屋敷を見上げた。
古びてはいるが、魔術による修復の跡が見える。屋敷に来てから、ユーリが施したものだ。
「邪魔しに来たのか……?」
怯えをひた隠しにし、ユーリは問う。
ユーリが必死になって取り繕う中で、ルカはなぜか水差すようなことばかりする。
わざとやっていると疑わざるを得ない。
「邪魔? 僕がお前たちのかい?」
ルカは虚を突かれたように目を丸くし、それから鷹揚に首を横に振った。
「お前たちの応援こそすれ、邪魔立てしようなんて今まで一度たりとも思ったことはない。ただ……」
「ただ?」
「お前のやり方に小言は挟まなくてはならないみたいだけれどね」
ルカは苦笑交じりに嘆息し、ユーリの元へ近づいてくる。
ユーリは思わず身構え、そんな自分を笑いたくなった。
いつだって、ルカはユーリたちを守ってくれた。自分たちにとって、唯一信頼できる大人だったのだ。そんなルカが自分に危害を加えるはずがない。今までだってなかったのだ。これから先も絶対にあり得ない。
悠然と歩いて来たルカは、ユーリの額の中央を人差し指で軽く小突いた。
ルカは笑みを消し、至極真剣な顔をしている。
「まず、不当な理由でディアを引き留めてはいけない。ちゃんと彼女に説明しなさい。これでは拉致監禁だ」
「拉致はしていない。ディアがここに来たんだ」
「そういうのは屁理屈という。例えそうだとしても、お前が無理矢理引き留めていることに変わりはない」
子供に教え諭すように、ルカはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「それから、無闇に精霊たちを使役するのをやめなさい。彼らには彼らの生き方がある。お前が人形に閉じ込めて酷使してはいけない」
「酷使などしていない! ちゃんとエネルギーも休息も取らせている! 必要以上に使役していないし——」
声を荒げ、必死に反論するユーリの瞳を、ルカはじっと覗き込んだ。
「それはお前の言い分だ。彼らからすれば、勝手に捕らえられ、器に入れられ、その上働かされている。本来、森を自由に飛び回っている者たちだ。わかるね、ユーリ。全て解放してやるんだ」
「でも、この屋敷はどうする⁉ こんな広い屋敷を、俺とディアだけで管理しろっていうのか⁉ 無茶だ」
「じゃあ、もっとこじんまりした家に越せばいい。以前住んでいたような」
ユーリはさっと表情を強張らせると、それきり黙り込んだ。
言うは易くとはよくいったもので、ルカが口にすればさも簡単なことに感じる。
だが、容易くないことをユーリは痛いほど知っている。実際に行動に移すには、あまりに課題が多すぎるのだ。
しばらくの間、沈黙が落ちた。
わずかに湿り気を帯びた風が葉を揺すり、ざわざわと音を立てる。
やがて、物思いから立ち返ると、ユーリは囁くように言葉を落とした。
「怖いんだ、ルカ」
「怖い?」
訝し気に問うルカに、ユーリは勢いよく顔を上げた。
零れんばかりに見開いた瑠璃色の瞳は大きく揺らいでいる。
「俺はディアの傍に居ていいのか⁉ それを、ディアは許してくれるのか⁉」
ユーリの心を占めるのは暗い影だ。
ディアーナの失踪に纏わる複雑な感情——それらが混じり合い、鬩ぎ合い、ユーリの心を闇に染め上げようとしている。
ディアーナを前にしているときでさえ、闇に囚われそうになることがある。
一秒たりとも傍を離れたくないのに、もう二度と手放す気などないのに、ディアーナを前にすると息ができないときがある。闇が差し迫り、耳元で囁くのだ。
——本当に、お前は彼女の傍にいて良いのか?
と。
「ディアは、なんで……行ってしまったんだ?」
吐き出した声には嗚咽が混じっていた。
迫る闇に怯えながら、それでもユーリは手を伸ばし続ける。
金色に輝く愛しき少女、ユーリのディアーナに。
ユーリはルカに取りすがるようにして、涙をこぼした。ルカの前で虚勢を張り続けることなどできない。
気遣わし気な表情を浮かべたルカは、ただ黙ってユーリの背を撫でる。
「ディアは……俺が嫌いなのか……?」
ほとんど聞き取れないようなひどく掠れた声を、降り注いだ葉擦れの音が掻き消した。
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