第10話 友達になれる?

「ねぇ、怒ってるの?」


「お、怒ってません!」


「怒ってるよね?」


「怒ってないったら!」


 食堂に向かい合って座るのは、顔を真っ赤に染めるディアーナと、それを面白そうに眺めるユーリだ。

 食後のお茶の時間。

 ディアーナとユーリはそんな他愛もない会話を繰り広げている。


  書庫でユーリが倒れたあと、大声で呼ぶと、使用人たちは思いの外あっさりと駆け付けてくれた。彼らの助けを借り、どうにか寝台まで運ぶことができたのだ。

 ユーリは気を失っていたが、その顔は満ち足りていて、とてもではないが直視することができなかった。

 ユーリが気を失ったのは、ディアーナの唇を奪ったあとだ。


 突然、口づけをしたと思ったら、すーっと眠るように目を閉じ、四肢の力が抜けてしまったようで、ディアーナの後頭部を抑えていた手もずるりと落ちた。

 いきなり口づけされたディアーナは、しばらくは放心状態で、同じ体勢のまま動けなかった。が、ややしてはっとすると、我に返ったようにすぐ上体を起こし、床に尻をつけたまま、ずずずっと後退した。

 それから震える両手で口元を覆い、真っ赤になる顔を震わせながら、横になるユーリに目を向けた。


(キ、キ、キ、キ……)


 顔ばかりか体中が熱い。

 手先、足先まで赤いに違いない。


(キ、キ、キ!)


 なんでこんなことになってしまったのか!


(キスされるなんてっ⁉)


 思いもよらぬ事態に、頭も心も全くついていかない。

 それでも、冷たい床に横たわったままのユーリが不憫だったので、抜けた腰でどうにか這いずって廊下に出た。それから、上擦った声を張り上げて使用人を呼び寄せたのだ。当初の懸念は杞憂で終わったわけである。


 ユーリの部屋は簡素だった。ディアーナの客間と比べると、使用人の部屋なのではと疑ってしまったほどだ。置かれた家具がみんな木製で、目立った装飾もなく、寝台に至ってはさほど広くもなければ、天蓋もついていない。

 文机の前には数冊の本が並んでいたが、それ以外に目につくものはなかった。

 必要最低限のものしか置いていない部屋という印象だ。

 魔術師というから、魔術に必要な物品が所狭しと並べられているものだと思っていたので、えらく拍子抜けしてしまった。


 寝台に横たえるとき、ユーリは年相応の少年の顔をしていた。

 それは、ずいぶんと幸せそうな顔で。

強いて言えば、美味しい物をたらふく食べて自然と緩んでしまった顔に似ていた。

だが、その思考をディアーナはすぐに中止した。

「その美味しい物とは何ぞ?」と考えはじめたら、自分で自分の首を絞めかねなかったからだ。


 そのあと、とてもではないが仕事に戻れなかった。

 窓を閉めるために一旦書庫に戻りはしたが、すぐに自室に引きこもった。

 それから、掛け布団を被り、書庫でのことを思い出さないように努めたのだ。

 ユーリが寝ているからなのか昼食のベルはならなかった。

 心配が先に立ち、ユーリの様子を見に行こうかと思ったが、心臓がバクバクと音を立てて、正常な挙動など期待できない。


(ムリムリムリ! どんな顔して行けばいいの⁉)


 ディアーナは寝台からおろしかけた足を引っ込め、また布団を被った。

 次にベルが鳴ったのは夕食時。

 うとうとしていたディアーナははっと目を覚まし、掛け布団を払った。

 窓の外では橙色の光が輝いている。

 ベルが鳴ったということは、ユーリが目覚めたということだ。


(目が覚めたのね。良かった……)


 安堵で胸を撫でおろし、浮足立って食堂に向かおうとしたところで、はたと足が止まる。


「どんな顔して会えばいいのよぉ……!」


 思い出すたびに、体中に血が巡り、火を噴くように熱くなる。

 きっと、顔だって真っ赤に違いない!

 それでも、ユーリへの心配と、空腹が勝り、ディアーナは何食わぬ顔をして食堂へ直行した。

 すっかり顔色の良くなったユーリを見て、ほっとする一方で、かーっと体が火照る自分を宥めるので精一杯だ。

 それでも何とか食事を摂り、ようやくお茶の時間まで漕ぎつけたのだ。

 あともうひと踏ん張り。


 だが、爆弾を投下するかの如く、笑いを堪えながらユーリは問うのだ。


「ほら、怒ってるでしょう?」


 と。


 クスクスクスと笑い始めたユーリは、食事の後ということもあり、頬に赤みが差している。

 それに、いつもよりもどこか温かい。

 いつもはわざと大人ぶっているだけなのではないか。

 そんな風に思わされるほど、今のユーリにはどこか打ち解けた雰囲気があった。


(なんでだろう……?)


 不思議だった。


(何か心境の変化があったのかしら……?)


 こんなユーリなら、もしかしたら友達になれるのではないか。

 ふと、そんな考えが頭を過った。

 だからだろうか——つい、妙なことを口走ってしまったのは。


「私たち、お友達……になれる?」


 ふいに口をついて出た言葉に、自分でも驚いて、ディアーナは口を手で覆った。


(あわわわ! わ、私、何てことをっ⁉)


 自分の紡いだ言葉の反応が気になって、おそるおそる上目遣いでユーリを窺えば、ユーリは笑うのをやめ、すっと表情を消した。


(……え? 何……?)


 刹那、気まずい沈黙が落ちる。

 ユーリは持っていたカップをカチャとソーサーに置いた。

 その音がやけに大きく響く。


「どうかな……僕たちはもっと別の……ものだと思っていたけれど」


 和やかだった雰囲気ががらりと寒々しいものに変わる。

 急に壁ができた気がした。

 打ち解けた空気が一変、よそよそしいものに変わる。


「あの、私っ……」


 何か気に障るようなことを言ってしまっただろうか。

 慌てて言い繕おうとするが、その隙をユーリは与えてくれなかった。


「どうやら疲れたみたいだ。ごめん、先に行くよ」


 ユーリは椅子を引くと、さっと立ち上がり、そのまま逃げるように食堂を後にしてしまった。

 ひとり取り残され、ディアーナはユーリのカップと、その横に置かれた食べかけの焼き菓子を見やる。


「怒らせちゃったの……?」


 先程と逆転してしまった立場に、ディアーナは戸惑い、そして鉛を飲んだような思いに囚われた。

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