第8話 ふたりの騎士?

 逃げても無駄だと悟ったディアーナは表面上、大人しく書庫に籠る生活をしていた。

 内心は、逃げる算段をあれこれと考えてはいたが、良い案は一向に浮かびそうになかった。得体の知れない魔術師に太刀打ちする術などあるのだろうか。


 屋敷に来てから三日目のことだ。


「おい、門を探すんじゃなかったのか!」


「んな回りくどいことしなくていいだろうが。相手は誘拐犯だぞ」


「相手が悪だからといって、こちらも悪の道に染まる必要はない!」


「なら、お前だけ門から入れや」


 半分ほど開けた窓辺に、うず高く本を積んだ小さな円卓と座り心地の良い布張りの椅子椅子を置き、時折吹くそよ風に当たりながら作業していたディアーナの耳に、思わぬ人物たちの声が聞こえてきた。


「何のために一緒に来たんだ! 共同戦線を張るためだろう! ここで二手に分かれてどうする!」


 杓子定規な態度を崩さないのは、生真面目と堅物で有名なディーターだ。

 バルム村村長の三男坊で、剣術の才があり、村に引っ込んでいた元騎士の目を本気にさせた将来有望な若者だ。農家に鞍替えしていた元騎士は、自らディーターの師を買って出て、近いうちに王都に連れ出そうと考えているらしい。


『俺はまだ見習いの身だが……どうだろう? 一緒に王都へ行かないか?』


 ディアーナが井戸で水を汲んでいるとき、背後からディーターが声を掛けてきた。

 剣術の鍛錬後ということもあり、全身に汗を光らせていた。栗色の短髪は湿り、身に着けている薄手の衣服も汗まみれだ。

 ディアーナは隠しから手拭いを取り出すと、木桶の水に浸してから絞り、ディーターに手渡した。


『これをどうぞ』


 ディーターの暗緑色の目を大きく見開かれ、みるみるうちに喜色に彩られた表情に変わった。それから感極まった様子で、手拭いを持つディアーナの手を両手で握ろうとしたが、ディアーナがとっさに手を引いたので、はっと我に返ったように目を瞬く。


『すまないっ。つい……あの、先程の話だが、王都へ行けばディアーナさんのことを知る者もいるかもしれないだろう? だから、俺と師匠と共に王都へ行けば、君の過去がわかるのではないかと』


 ディーターは所在なさそうに頭を掻くと、眉を上げ、軽く笑った。


『まだ時間はある。考えておいてくれ』


 そう言うと、さっと身を翻しその場を去った。

 ディアーナはまだその返事をしていないが、そもそもディーターと王都へ行くなど想像もできない。

 そのディーターの声が書庫の窓に届いた。

 ディアーナは窓をさらに広げて、下を覗き込む。

 伸び放題の下草ばかりだが、少し目を凝らせば遠くに黒い鉄柵が見える。

 そのあたりに人影がおぼろげに見える。


「共同戦線だぁ? んなつもりは端からねぇよ」


 ディーターの言うことにいちいち突っかかっている声の主は、まだ声変わりしたての不安定なところからしても、スヴェンのものに間違いないようだ。

 スヴェンは、バルム村にある唯一の宿屋〝歌う山鳥亭〟の息子で、口の悪さには定評があるまだ幼さの残る少年だ。


『ディア、あのおばさんたちにこき使われて悔しくないのかよ』


 ディアーナが買い物をした紙袋を両手で抱えていると、突然現れたスヴェンがその袋の一つをひょいっと奪った。


『もうひとつも貸せ』


 言って、ディアーナから荷物を奪ったスヴェンは、当然のように隣に並んで歩く。

 今はまだディアーナより背が低いスヴェンだが、成長盛りなので、そのうちあっという間に逆転するだろう。現在は、赤銅色の髪がつんつんと逆立っていて、その毛先を含めればディアーナとほぼ同じくらいとも言える。


『もういっそ、下働きなんてやめて、俺んとこに嫁に来ればよくね?』


 紙袋の間から顔を出してそう口にするスヴェンの顔は赤い。

 鳶色の瞳は動揺で揺れている。

 その気遣いを有難いと思いつつも、ディアーナは、


『心配してくれてありがとう。でも、大丈夫よ』


 と笑って返した。

 正直なところ、宿屋のおかみさんになる自分を想像できないのだ。

 それに最も重要なことは、ディアーナがスヴェンを夫となる人物として見られないことだ。やはり、婚姻は好きな人と結びたい。

 それはスヴェンに対しても同じことが言える。

 「嫁に来い」というのは思いやりから出る言葉なのだろうが、いくら良かれと思ったとしても、口にすべきではない。スヴェンは心から好きだと想う人と夫婦になるべきだと思うのだ。


 ディアーナを気に掛けてくれる二人——村長の三男のディーターと宿屋の跡取り息子のスヴェン。このふたりの取り合わせはかなり珍しい。

 一度、スヴェンの暴言をディーターが窘めている姿は見たことがあるが、記憶を辿っても他に思い当たらない。


「なぜ、ふたりがお屋敷に……?」


 門から入るだとか、誘拐がどうとか言っていた。


「もしかして……」


 もしや、ディアーナを探しに来たのだろうか。

 そう考えついた瞬間には、窓から身を乗り出していた。


「ディーター‼ スヴェン‼」


 大声でふたりの名を呼ぶと、左手で窓枠を掴み、右手を大きく振って見せる。


「ふたりともぉー! ここよぉー‼」


 声が聞こえたのか、人影は一瞬動きを止め、けれどすぐに大きく下草を揺らした。

 ふたりは草をかき分け、競うように鉄柵の間から顔を出した。


「ディアーナさんっ‼」


「ディア‼」


 ディアーナに居場所を知らせようとしてか、ディーターも大きく両手を振り返してくれる。


「無事か! 君は囚われてるのか⁉」


 スヴェンが口の大横に手を当て大声で叫ぶ。


「ディア、ここまで走ってこい! 柵を飛び越えるの手伝ってやるから!」


 やはりふたりは自分のために来てくれたのだ。

 その事実に、胸が熱くなる。


(ふたりとも……)


 良い友達に恵まれたと思う。

 たった一年の付き合いだというのに、いつも親身になってくれるのだ。それが有難く、同時に申し訳なくもある。ふたりの気遣いや親切に、ディアーナは何も返すものがないのだ。

 ディアーナは何も持っていない。記憶さえもない、空っぽの人間なのだ。

 ディアーナは何を言うべきかしばし逡巡したが、一番伝えなくてはならないと思うことを口にした。


「神父様に伝えて! 仕事を終えたら帰りますって! 仕事をほっぽらかしてすみませんって。あと、子供たちにも……クロスケは必ず連れて帰るからって!」


 そうだ。ディアーナは逃げるわけにはいかない。

 逃げたいのは山々だが、おそらくユーリがそれを許してはくれないだろう。

 昨日のユーリの態度を見れば、次があるとは思えない。

 従順に手紙探しを続行すべきなのだ。

 本当は、逃げ出したい。

 いつも通りの生活に戻りたい。

 けれど——ここだって、別につらいことがあるわけではない。

 自由が制限されているだけで、むしろ快適だと言っていい。

 手紙を探すのは途方もない作業だし、屋敷の主人であるユーリは人を平気で軟禁するような恐ろしい人間だけれど……


 ディアーナは「助けて」と叫び出したい衝動を抑え込み、ふたりに見えるかわからないと思いながらも、精一杯微笑んで見せる。


「必ず、伝えて! それから……来てくれて、ありがとう!」


 じわりと視界が滲んだが、涙を見せてはいけない。ふたりにこれ以上心配をかけたくないのだ。そう思うのに、自分の下した決断に、鼻の奥がつんと痛んだ。

 どうか、ふたりには気づかれませんように。


 そう願いながら、ディアーナは別れの挨拶のつもりで大きく手を振った。

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