第5話 魔術師の書庫

「だ、騙された……ううん、騙されてはないのだけれど……でも、やっぱり、騙された気分」


 お茶が済む頃には、すっかり日が暮れていた。

 帰りたいと言い出せないまま、ユーリに連れられ、探し物のある場所に案内され、愕然とした。

 ユーリが「探し物はとある部屋にあるんだ」と言ったときには、範囲が限られているのならすぐ終わるだろうと高をくくっていたのだが——


 だだっ広い部屋の中は、鬱蒼とした森を思わせる

所狭しと書棚が並べられ、数え切れないほどの本を抱え込んでいる場所。

 天井から床までぎっしりと詰まった書棚は見る者を圧倒する。そこから漂う古びた本のにおいが充満していてむせ返りそうだ。ディアーナはここまで大量の本を見たことがなかった。教会にある図書室はこの半分にも満たないだろう。


『この本のどこかに、栞代わりにしてしまった手紙が挟まっている。それをしでかした張本人は、今旅の途上でね。連絡がつかない。僕も手を放せない研究があって……使用人たちに任せられる仕事ではないし……ディアーナ、君なら適任だ。見つかるまでは屋敷に泊まり込んでくれればいい。部屋は余っているからね。手始めにちょっと探してみてくれるかい? 部屋の準備ができ次第、迎えを寄こすから』


 ユーリはそう言い残し、さっさと書庫から出て行ってしまった。

 ひとり膨大な書物を溜め込む書庫に取り残されたディアーナは、扉に寄りかかったまましばらくの間途方に暮れていたのだ。


「で、でも……子供たちのため!」


 意を決してディアーナは書庫の中へと足を進めた。

 さて、どこから取りかかったものか。


「やっぱり、奥から?」


 書庫では火を使えない。

 だから、ユーリはカンテラに光る虫を入れて渡してくれた。

 けれど、虫の灯りでは非常に心許ない。

 窓掛けを寄せれば、窓から月灯りが漏れては来るが、探し物ができるほど明るくはないし、そもそも奥がどのあたりまで続いているのかわからない。暗すぎるあまり、先が見通せないのだ。そこにあるのは完全なる闇だ。


「て、手前からよね!」


 手始めに、一番身近な書棚から本を引っ張り出す。

 埃をかぶった革張りの本だ。

 ディアーナは表紙の誇りを手で払い、その手を衣服で拭ってから、本を開いた。

 ぶわっと古い本のにおいが立ち上ってくる。


「栞代わりってことはどこかに挟まっているのよね」


 ぱらぱらと捲ったが、何かが挟まれているような痕跡はない。

 嘆息と共に書棚に戻す。

 それから、ずらりと並ぶ背表紙や天井まで続く書棚を見上げ、大きなため息をついてから肩を竦めた。

 ちょうど書棚ひとつを見尽くしたころ、音もなく使用人が現れた。

 はじめたばかりの仕事に辟易していたディアーナは、天の助けとばかりに、その使用人の後についていった。

 案内されたのは、綺麗に整えられた客間だ。

 壁付の燭台は全て灯されていて、真っ暗な書庫にいたディアーナからすると眩しいくらいだった。

 化粧台や円卓などの調度品は、白を基調にしており、ところどころ精緻な金色の彫刻が施されている。猫足なのも可愛らしい。一際目につくのは、部屋の中央にある寝台で、大人三人が横になっても余りあるほど大きい。

 中で待機していたのか、使用人の一人がゆるやかな白の寝衣をディアーナに渡すと、風のように出て行ってしまった。


(みんな無口ね)


 この屋敷に入ってから、使用人たちが言葉を発するのを見たことがない。

 どこか釈然としないながらも、ディアーナは受け取った寝衣に急いで着替えた。

 書庫にいたので、ずいぶんと埃っぽくなってしまったのだ。


「あのお茶が夕ご飯代わりだったのね……もっと食べておけばよかった」


 寝衣の上からへこんだお腹を擦る。


「お腹空いた……」


 緊張のあまり焼き菓子にほとんど手をつけなかったが、食べておけばよかった。


「だろうと思ったよ」


 突如声がして振り向くと、開いたままの扉に寄りかかるユーリがいた。

 その手には湯気を立ち上らせる盆が載っている。


「遠慮するのは君の悪い癖だ」


 言いながら、ユーリは部屋に入ってきて、円卓の上に盆を置いた。

 お茶のカップに、丸パン、香ばしい香りのスープ、それから切った果物が盛られていた。


「あ、えっと……悪い癖?」


 なぜ、今日会ったばかりの人にそんなことを指摘されなくてはならないのだろう。

 反論したい気持ちもあったが、魔術師を怒らせるのはまずい。

 ディアーナは言葉を呑み込んで、ユーリの顔をおずおずと見る。


「あの、お夜食を? 私に?」


「そう、空腹じゃあ、眠れないだろう? それに——」


 ユーリは椅子を引いて、滑り込むように腰を下ろすと、じっとディアーナを見つめた。


「君ともっと話がしたかったからね。さあ、座って」


 おずおずとディアーナが盆の前に腰を下ろすと、ユーリは円卓に頬杖をつくと、ディアーナを見据えた。

 円卓の中央にある三股の燭台の炎が、ユーリの瑠璃色の双眸を怪しげに輝かせる。


「どう? 手紙は見つかりそう?」


 面白そうに問うユーリの真意がわからず、ディアーナは眉根を寄せた。


「ずいぶんと蔵書をお持ちなんですね」


「ああ、僕の持ってきたものもあるけれど、もとからここにあったものがほとんどだよ」


「え……では、前のお屋敷の持ち主の?」


「だと思うよ」


「じゃあ、ルカさんという方がうっかり入れっぱなしにしてしまったというのは、ユーリさんの本なんですね?」


 もし、ユーリの蔵書だと確定すれば、探すのが容易くなるのではないだろうか。

 希望が胸に湧き上がり、声を弾ませると、ユーリは虚を突かれたように黙り込み、それから視線を逸らして、声を落とした。


「いや……ルカは、ここに来たんだ。だから、どの本に入っているのかわからない」

「そ、そうなんですね……」


 ディアーナは肩を落とし、お茶のカップに口をつける。

 やはり、そう簡単な仕事ではないようだ。


「でも、地道に探せば必ず見つかる。君が探すと言ってくれて、とても助かったんだ。ありがとう」


 カップを置き、匙に手を伸ばしかけたディアーナの手を、ユーリは両手で握った。

 それは、初めて触れたときと比べ物にならないほど熱を帯びたものだった。


「い、いえ……」


 放してくれとも言えず、だからといって振り払うわけにもいかず、しばらくの間、ディアーナの片手はユーリの両手の中に囚われたままだった。







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