第3話 黒き森に住む魔術師①

 湯気の立ち上るカップの中身はどうやら香草茶らしい。

 すっとするミントの香りが室内に漂っている。

 ディアーナは円卓に着々と配される茶器や茶菓子をただ茫然と眺めていた。

 花柄の布を張ったソファは、古めかしいが座り心地が良い。けれど、深く腰掛ける気持ちにはなれず、そわそわしながら膝の上で手をきつく重ねていた。


(お茶をいただくつもりはなかったんだけれど……)


 目の前では、揃いのお仕着せを身につけた無表情の使用人たちが卒なくお茶の準備をしていく。一言も発せず、にこりともしない。黙々と仕事に忠実な使用人たち。


(まるでお人形みたい)


 ユーリも人形のような綺麗な顔立ちをしているが、この使用人たちはそれとは別の意味で人形のように見えた。

 そのせいか、何だか妙に居心地が悪く、できればすぐにでも帰りたいと思っていた。

 そもそも、ディアーナは応接間などに招かれるつもりはなかったのだ。


「あの、もう大丈夫なんですか? その、眩暈の方は……?」


 対面に腰を下ろす、この屋敷の主人はにこやかな笑みを浮かべている。


「ああ、もう大丈夫。お気遣い、ありがとう」


 確かに顔色も良さそうだ。

 ディアーナはほっとして、はたと状況を整理してから、さっと表情を改め、居住まいを正した。


「あの、先程は、助けていただきありがとうございました!」


 黒い靄を纏う魔物から助け出してくれた少年。

 一声かけただけで、なぜ魔物が逃げ出したのかはわからなかったが、それはやはり魔術の成せる業なのだろう。


 魔術師ユーリ。


 本人が魔術師と名乗ったわけではないが、黒き森に古い屋敷は一軒しかない。

 だから、自ずと彼が件の魔術師だと知れた。


「いや、むしろ屋敷内のいざこざに巻き込んで悪かったね」


 ユーリは目の前のカップを持ち上げ、口をつけようとして、少し顔を顰めると、ソーサーに戻した。

 熱いのが苦手なのだろうか。


「猫舌なんですか?」


「まあ、ね。でも、君は違うだろう?」


「そう、ですね」


「じゃあ、熱いうちに召し上がれ」


 ふと周囲を見れば、人形のような使用人たちは皆部屋から退室していた。

 応接間に残されたのは、不思議な魅力を放つ屋敷の主人とおどおどと落ち着きのないディアーナだけ。

 その事実にひどく緊張してしまう。


「は、はい。それでは、いただきます」


 おずおずとカップに手を伸ばす。

 ところが、指を取っ手に添えたとたん、別の手が伸びてきて、ディアーナの手にそっと触れた。


「……!」


 思いもよらぬ事態に、ディアーナはとっさに手を引っ込めようとするが、もうひとつの手がそれを許さない。ディアーナの手を包み込むように握り、温もりを分け与えるように密着させる手。それは先程と打って変わって、温かなユーリの手だ。


「あ、あの……」


 おそるおそる目線をユーリに移せば、彼は魅惑的な微笑みを浮かべた。


「手が震えているけれど、大丈夫?」


 言われて、ディアーナはびくりと肩を揺らした。

 ユーリの指摘通り、確かにディアーナの手は震えていた。

 それはそうだ。

 森に入ったと思えば、得体の知れない魔物に襲われ、寸でのところで助けられた。

 そして今度はその助けてくれた魔術師の屋敷に通され、お茶をご馳走になっているのだ。

 目まぐるしい変化に、心も体もついていかない。

 それに——


(あまりに綺麗すぎるんだもの)


 眼前に腰を下ろすユーリの美貌はそこらの村人とは大違いだ。

 あまりに美しいものを前にすれば、戸惑ってもしかたがないではないか。


「さっきは怖かったね。でも、もう心配いらないよ。奴らは追い払ったから。それとも、僕が怖い? だから、そんなに怯えているの?」


「い、いいえ! そんなことありません!」


 ディアーナはぶんぶんと首を横に振って否定する。

 怯えているつもりなどさらさらない。単に初対面の人だから緊張しているだけだ。

 それに、もし百歩譲って怯えているのだとしても、そんなことおくびにも出すわけにはいかない。魔術師という人種は概して変わり者が多いという。その魔術師の気分を害することだけは避けたかった。

 これから、クロスケのことを話さないといけないのだ。


「そう? それなら良いんだけれどね」


 ユーリはふふっと小さく笑って、ようやくディアーナの手を解放してくれた。

 ディアーナは内心で安堵のため息をつき、自然な動作になるよう細心の注意を払って、取っ手を掴み、カップを口元に運ぶ。

 肌にはすっかりユーリの体温が移っており、妙にどぎまぎしてしまう。


(ディアーナ、今は落ち着くのよ。できるだけ穏便にことを済ませなくては)

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