第2話 黒き森に来た理由

 シュベーナ王国の東部に位置するバルム村には由緒正しき教会がある。

 そこが、ディアーナの家代わりだった。

 村の周辺で、記憶を失って彷徨っていたところを、面倒見の良い神父様に拾われたのが一年前。

 それからは、教会で下働きとして置いてもらっている。


 修道女にならないかというお誘いもあったのだが、教会に在籍する修道女たちになぜか嫌われてしまっているディアーナはそのお誘いを断っていた。

 肩身は狭いながらも、神父様をはじめ、修道士や村の子供たちが優しく接してくれるので、ささやかな幸せを糧に、何とか暮らしていた。


 そんなある日、村の子供たちがディアーナに助けを求めてきたのだ。


『ディア、助けて!』

『クロスケがいなくなっちゃったの!』

『クロスケ、あの屋敷に入っちゃったんだ!』

『このままじゃあ、クロスケ、魔術の材料にされちゃうよ!』


 子供たちが大慌てでやってきたのは昼過ぎのこと。

 泣きながら、あるいは興奮気味に捲し立てる子供たちを宥めてからどうにか話を聞くと、黒き森にある屋敷に子犬を置いてきぼりにしてきたという。

 どうやら度胸試しのつもりだったらしい。

 意気揚々と屋敷の側に行ってみたはいいものの、それ以上は近づけなかったそうだ。なんとも異様な空気がしていたと。

 けれど、勇敢なのか無謀なのか、子犬のクロスケだけは、女の子の腕からするりと逃げ出し、鉄柵を潜り抜け、庭に忍び込んでしまったようだ。

 庭に向かって何度か呼びかけたが、結局姿を見せなかった。

 だから、子供たちは急いで村に戻って来て、ディアーナに泣きついてきたのだ。

 クロスケは、最近村に迷い込んできた子犬で、子供たちにとって格好の遊び相手だった。


 そのクロスケが入り込んでしまったというのは、一月程前に新たな住人を迎えたばがりの古い屋敷。

 バルム村の北側を覆う黒き森は、黒と表現されるほど鬱蒼とした森で、特別な用事がないかぎりは村人が足を踏み入れることはない。森は人々にとって恵み多き場所だが、黒き森に関しては、恵みよりも恐れの方が勝るのだ。

 黒き森の奥深くには、狼をはじめとした危険な獣が住むだの、幽鬼たちの巣窟だの、様々な噂が取り沙汰され、実際に夜ともなれば、不気味な咆哮や奇声が聞こえるものだから、人々は震え上がって近寄れなかった。

 それに、村の南西にも実り豊かな森があり、しかも怪しげな噂など一切ない、健全な森なのだ。黒を意識してなのか、白き森と呼ばれている。だから、村人たちが黒き森に敢えて近づく理由などなかった。

 当然、子供たちは大人から「黒き森には近づくな」ときつく戒められている。


『とうちゃんたちには言わないで、ディア……』

『でも、クロスケは助けなきゃ』


 心配する子供たちに、ディアーナは必ずクロスケを取り戻してくると約束した。

 ただ、黒き森へ入るのはやはり躊躇われた。

 怪しげな噂の数々だけでなく、新しく越してきたという屋敷の主が気がかりの種だった。


 ——得体の知れぬ魔術師。


 何の前触れもなく屋敷にやってきたのは魔術師であるという。

 四大元素の魔法を操る人間は少なからずいるが、彼らは自分を魔術師だとは名乗らない。

 魔術師と言えば、四大元素とは無関係の怪しげな魔術を研究する人々だ。


 そんな魔術師が越してきてすぐのこと、商魂たくましい行商人がいそいそと訪ねて行った。

 商売後、上機嫌の行商人は、酒場でエールを呷りながら赤ら顔でこう言った。


『ずいぶん若いあんちゃんで、そりゃあもう色男だったなぁ。それに羽振りがいいときてる。魔術師なんて名乗っちゃいるが、訳アリのお貴族様かもしんねぇなぁ』


 ディアーナが言い知れぬ不安を抱きつつ、黒き森へ足を踏み入れたのは、すでに夕刻に差し掛かった頃だった。

 伸びた枝葉に覆われた天井は、ささやかにしか光を通してくれない。

慌てて出てきたため、カンテラを忘れた。いち早く用事を済ませて、村へと帰らなくてはならなかった。

 だが、そんな折、突然魔物に襲われた。その窮地を救ってくれたのが——くだんの魔術師ユーリだったのである。




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