第36話 一緒に作りたいもの

 ハッキリ言って、俺の住んでた地元は田舎だ。


 人が少なくて、少し歩けば海が見えるような、そんな町。


 海が見えるということは、温かい時期になると皆で泳いだり、釣りができたりする……のだが、残念ながら俺はあまりその二つをしてこなかった。


 何でかはわからない。


 もちろん、付き合いで誰かに誘われたりしたら一緒になって泳いだりもしたけど、自分から率先して、ということはなかった。


 今思えば、少しもったいなかったようにも感じる。


 そこに住んでいた時、もっと地元ならではのことをしておけばよかった。


 後悔はあまりしないようにしたい。


 最近そう思うようになって、そのように生きるようにしていたけど、とりあえず過去は変えられないから。


 これからは、そんなことが起こらないように生きよう。


 水族館で泳ぐ魚を見て、イルカのショーを見て、俺はボーッとそんなことを考えたりしていた。




「それで、物田君。問うのだけれど、私がどうしてカラオケボックスへ行こうとあなたたちを誘ったかわかるかしら?」




 ……?


 水族館巡りも終盤に差し掛かったところ。


 イルカのショーも何もかも見終え、売店の前のベンチに座っていると、隣にいた都子さんが俺へ問いかけてきた。


 寧子さんは、絶賛売店の中で商品を見てる。


「……えっと、それはまたとんでもない類の質問だったりします?」


「……? 何? とんでもない類、とはどういうこと?」


「……だからその、R18的な要素の含まれた……と言いますか」


 俺が言うと、都子さんは「ふふっ」と鼻で笑い、


「あなたの指すそれがどのようなものなのか、私にはわかりかねるけれど、安心しなさい。大丈夫だから」


「は、はぁ……」


「というより、いつ私がそんなR18的な要素の含まれたことをあなたに話したかしら? そんな下賤な話、私はしないわ」


「なるほど。都子さんの言うことはあまり信じない方がいいんだな、って今わかりました。ありがとうございます」


 俺の感謝の言葉を受け、都子さんは「どういうことかしら?」と聞き返してくる。


 俺はため息をつき、首を横に振った。


「何でもいいですけど、カラオケボックスを選ばれた理由はわかりません。覚悟決めたんで、お話ししてもらっていいですか?」


「ふふふっ。いいわ。そんなにお願いするのなら話してあげる。いずれあなたは私と同族になってもらわないといけないから」


 すみません。そんなの絶対に嫌です。


 都子さんは艶やかな自身の髪の毛を耳にかけ、話し始めてくれる。


「ズバリね、夜にかけてのムード作りのためよ」


「はぁぁぁぁぁ〜……」


 深々とため息。


 聞くんじゃなかった。


 本当に訳がわからない。


「大丈夫。大人のデートが何もわかっていないあなた、いえ、寧子を含めたあなたたちにね、私がしっかりみっちり雰囲気作りをさせてあげる。これで夜はもう、家に帰ることなくそのままホテル行きよ。安心しなさい」


「すみません。どうせなら普通に歌を歌わせてください……」


 観念したように言うも、都子さんは俺に詰め寄ってきながら「何言ってるの!?」と息巻いている。


 あなたが何を言ってるのか、とツッコみたいけど、それをやればまた面倒なやり取りが始まるだろうから、俺はグッと言葉を飲み込んだ。


「いい!? デートの締めというのはね、ただ単純にディナーを食べ終わってから雰囲気作りをすればいいものじゃないの! 明るいうちから意味深な行動、仕草、デートプランを練っておく必要があるのよ!」


「……はい……」


「ハッキリ言って、寧子もあなたも、まだ大人になりきれていない子どもよ! 見なさい、あそこで無邪気にイルカのぬいぐるみを眺めてる私の娘の姿! あの生娘をあなたが夜、大人の女に変えてやるの! わかる!?」


 わかりません……。


 周りに人もいるので、お願いですからもう少し声を抑えてください……。


「まったく……。本当ならあの子を大人にさせるのに、まずは私が手取り足取りあなたへ技のすべてを教えてあげようと思うところだけれど、残念ながらそれをすると寧子が悲しむわ。そこは自分で何とかしなさい」


「なんてこと言ってるんですか……本当に……」


 ゲンナリする。


 まさか、大人向けビデオみたいなことをしようとする人がリアルにいたとは。


「ただ、本当のところ、最後に大切なのはあの子を大切に想う気持ちだからね。ご主人様といえど、寧子を蔑ろにする行為や発言はダメ。わかったかしら?」


「……なんだかんだ、良いこと言う時は言いますよね、都子さんって」


「当然でしょう? というか、ずっと良いこと言ってるつもりだけれど? 物田君、あなた私にまで段々辛辣なこと言ってきてないかしら?」


「あ、す、すいません。調子に乗り過ぎました」


「わかればよろしい。これから昼食に向かうけれど、まだ今日は始まったばかりだから。頼むわよ?」


「……はい」


 返事をし、俺は都子さんと一緒に立ち上がる。


 イルカのぬいぐるみを抱いていた寧子さんは、俺たちを見ると笑顔になり、こちらへ歩み寄ってくるのだった。






●○●○●○●






 水族館を出て、俺たちは最寄駅から中華街付近の場所まで、電車に乗って移動する。


 電車から降りれば、そこから先はまたタクシーだ。


 車窓から見る都会の街はどこか新鮮だった。


 前に寧子さんと一緒に中心街を歩いたけど、あの時は夜だったから、明るい今だと尚更だ。


「物田君、中華街は初めて?」


「……えっ! あっ……そうですね。初めてです」


「だったら今日はたくさん堪能しときなさい。食べ歩きとかもできるから」


 ふむふむ。なるほど。食べ歩き。


「……寧子さんは中華街、行ったことあるんですか?」


 後部座先に座ってる俺の隣。


 車窓じゃなく、さっきからずっと俺の横顔を見つめていた寧子さんへ問いかける。


 すると、彼女はハッとして、すぐに視線を下にやった。


 恥ずかしそうに、口元をもにょもにょさせて答えてくれる。


「昔……神奈川の中華街に……家族旅行で行ったこと……あります」


 いきなり質問するんじゃなくて、あらかじめ目配せとかしとけばよかったかもしれない。


 恥ずかしい思いをさせてしまった。


「でも、寧子も兵庫の中華街は初めてなのよね?」


 都子さんに言われ、寧子さんはこくんと頷く。


「よかったわね、物田君? 寧子と初めてを共有できて」


「……ま、まあ、そうですね」


 お母様、横に運転手さんがいるのを忘れないでくださいよ……?


 痴女と思われたら非常に気まずいので。


「……あーくん……」


「……?」


 都子さんに対してお祈りしていると、寧子さんが俺の手を握りながら見つめてきた。


 俺に向けられている瞳は僅かに揺れていて、思わずドキッとしてしまう。


「あーくんは、どんな中華料理が好きですか?」


 何を訊かれるんだろうと思ってたら、いたって普通のことだった。


 そんなおねだりするような切なげな顔で訊いてくることじゃ無い気もするけど、俺はとりあえず宙を見上げて考える。


「そう……ですね。色々好きですけど……やっぱり麻婆豆腐と八宝菜の二強ですね、俺は」


「へぇ〜……! へぇぇぇ〜……!」


 すごく目をキラキラさせてるな、寧子さん。


「逆に寧子さんは何が好きなんですか? 俺と同じで麻婆豆腐とか?」


「麻婆豆腐ももちろん好きですけど、私は八宝菜が一番好きです……! たまに自分で作りますし、餃子とかも得意なんです……!」


「ふむふむ、餃子。なら、今度一緒に作りたいですね。皮から包んで」


「はいっ……! 私もあーくんと一緒に……お話ししながら作りたいです……」


 二人きりで。


 そうやって寧子さんが熱っぽく言うからか、遂に運転手さんが笑み混じりに俺たちへ話しかけてきた。


 仲が良いですね、と。


 俺と寧子さんは、恥ずかしくて曖昧な返事しかできないけど、都子さんが嫌な予感のする含み笑いをし、


「この二人、昨日初夜を迎えたばかりですの」


 なんて、とんでもないことを言い出す。


 俺は吹き出し、運転手さんは動揺。


 都子さんは楽しげに笑み、寧子さんは耳まで真っ赤にして黙り込んでいた。そこは真っ先に否定して欲しい。まるで肯定してるみたいだ。


「お二人とも、これからも仲良くね」


「「は、はい……」」


 俺と寧子さんは、声を揃えて控えめに頷いた。

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