第31話 前日の作戦会議
「――そういうわけで、あーくん? 今から私とチュッチュしましょう?」
「うん。どういうわけなんでしょう、寧子さん? ここは大学の中ですよ?」
昼休み。
人文学部の講義がよく行われる9号館、人気のない通路にて。
外はこんなにもカラッと晴れてていい天気なのに、寧子さんはねっとりじっとり湿っぽく訳のわからないことを俺に言ってくる。
いつも通りの淀んだ瞳を「きゅるん」と甘くさせ、上目遣い。
悔しいが、正直可愛い。
いや、目がどれだけ病んでようが、危ない光を浮かべていようが、彼女の容姿は上から下まで文句無しなのだ。
外見に騙されちゃいけないってのはわかってるけど、それでもジーッと健気に俺を見つめてくる寧子さんは可愛い。
可愛くてイライラする。
こっちはこっちで監禁する側として色々頭を悩ませてるってのに、この人はこうやって自分の想いをいつだってストレートにぶつけてくるだけだから。
いっそのこと、このままここで本当にチュッチュしてやろうか。
そんな思いが頭の中を巡るけど、さすがにそれはできない。
大学内で淫行に及んでいた、なんて噂を流されたくはなかった。
「大学の中でも関係ないです……。私とあーくんは……既成事実を作ってしまわなければいけない事態に陥ってしまったんですから……」
「う、うーん。話が急展開過ぎて。今は寧子さんのお母さんが来るからどうしようか、って話を俺たちしてましたよね?」
そうなのである。
俺と寧子さんは昼休みのこの時間を使って、対お母さん作戦を考えていた。
無策で突っ込むのは当然ながらマズ過ぎる。
どうにかして監禁されてるっていう情報を上手いこと捻じ曲げ、安心して帰っていただかなければならない。
それなのに、唐突に寧子さんはこんなことを口走り始めたのだ。
俺とチュッチュしようなどと。
「それは知ってます。じゅ~~~ぶんに理解してます。だからそのうえで言っているんですよ。私とチュッチュしてくださいご主人様、って」
「う~~~~ん……ごめんなさい。やっぱり話が飛躍してるみたいです。俺にはどうしてそうなるのかさっぱり……」
「動画を撮るんですよ。たくさんたくさんチュッチュして、その流れで私は大学内にいるのにも関わらず、いつも通りあーくんからメス犬調教を受けるんです」
「いつも通りとか全然嘘ですよね!? やめて!? 誰が聞いてるかわからないこの場所で平然と『変態プレイいつもされてます』、みたいに言うの!」
俺の決死のツッコミもむなしく、寧子さんは精神集中するみたいに真面目な顔で「コホン」と咳払いした。
そして、だらしなく口元を緩ませ、
「きっとそれはこんな感じでしょう。『あーくん……わらひ……もうこれ以上は……♡』、『メス犬に拒否権があるとでも思っているのか? お仕置きが必要みたいだな。寧子……いや、マゾメス犬、今から服を全部脱げ。俺がリードでお前の首輪を引っ張り、大学内を散歩させてやる』、『しょ、しょんなぁ……♡ あ、あーく……いえ、ごしゅじんしゃまぁ……♡ そんなご褒美……じゃなくて、お仕置きはらめぇぇぇぇ♡』、『拒否権など無いと言ってるだろう! 早くそのいやらしい体を剥け! 剥いて四つん這いになれぇ!』、『ゆるひてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ♡』……みたいな感じで! ハァ……ハァ……ハァァ♡」
――変 態 確 定。
いや、本当に今さらなんですけども。ええ。
見事な一人二役を演じ切った寧子さんは、その疲労もあってか(たぶん違う)、なぜか気持ちよさそうにその場で座り込んだ。
体をビクビク震わせ、一人で飛びそうになってる。
俺、断じて何もしてないのに……。
「……寧子さん……あの……名演技でした。名演技でしたから、早く正気に戻ってください? このままだと俺、学内の淫行男として名を馳せてしまいそうです」
言いながら、ペシペシ寧子さんの頬を軽く叩く。
……が。
「……あひぃっ……♡♡♡」
なぜかまたしても体をビクッとさせる寧子さん。
口元のよだれの量はいつも以上だ。
ハンカチで拭き取ってあげて、とりあえずそれを頭から顔にかけて被せた。
こんなとんでもない顔した女の子をいつまでも晒してるわけにはいかない。
案の定、俺が寧子さんの顔を覆ってすぐ、三人ほどの男子学生グループが傍を通り過ぎていく。
「……え? あの人何してんの……?」
「なんかヤバくね? 座り込んでる女の人にハンカチ被せて」
「関わらん方がいいって。お前ら見るな」
………………。
深々とため息をつき、俺は物悲しく秋風の吹く晴れた空を窓から見つめるのだった。
●〇●〇●〇●
「――うぅぅぅ……ごべんなしゃい……ごべんなしゃい……あーくん……ひっぐ……!」
「わかってくれればいいんです。ほら、涙拭いてあげますから」
「えぇぇぇん! ごべんなしゃぃぃぃぃ!」
涙と鼻水でぐっちょんぐっちょんになってる顔へティッシュをあてがってあげる。
昼休みからさらに時間は過ぎて、4限の終わった放課後。
俺と寧子さんはアパートの部屋に戻っていた。
チュッチュしようから始まり、さっきまでずっと俺は寧子さんに襲われかけてたんだけど、たった今、ようやく鬼気迫る寧子さんの勢いを止められたところだ。
「そうですよね……そうですよね……イチャイチャとはほんらいこっそりやるもの……。それをどうがにおさめようなんて……あーくんのきもちをなにもかんがえず……ぐすっ」
「寧子さんのお母さんに見せるとなると、なおさら嫌ですね。俺はたぶん殺されてしまいます」
「そんなのわたしがぜったいにとめますけど……」
「止めなくていいですって。俺のせいで二人の間で喧嘩勃発、とかになっても嫌なんですよ。穏やかに、穏便に済ませるには、そもそも動画なんて撮らなかったらいいんですから」
「うぅぅ~……」
「はい、ちーんして?」
「ちーん!」
涙と鼻水で汚れたティッシュをゴミ箱に捨てる。
捨てながら、俺は壁に掛けているカレンダーに目をやってため息。
早い話だが、明日だ。寧子さんのお母さんがこのアパートの部屋に来るのは。
「……やっぱり、普通にしておくのが一番ですよね。普通にしてて、正直に事の成り行きを話すっていう」
「……私があーくんをストーカーしてて」
「俺がそれに痺れを切らして部屋に誘導した。そこから監禁生活が始まった、と」
「大学にはちゃんと言ってるよう伝えます。監禁されてる檻は、あーくんの心という名前の檻だと説明して」
「ちょっとその説明の仕方は変にポエムチックなので止めて、こうしましょう。今までストーカーしてたことを通報しない代わりに、俺に料理を作ってあげることになった。料理を作るとなると、自分のアパートに帰るには遠すぎるので、俺の部屋で一緒に生活してる、と」
「ふんふん」
寧子さんは素直にコクコク頷く。
俺は続けた。
「料理を作っていれば学部の勉強の一環にもなるし、何より食生活の安定に繋がる。健康も保たれて一石二鳥」
「なるほどです」
「そういうわけで、寧子さんは今俺の部屋で生活してる。監禁されてるっていうのは言葉の綾だった。これでどうでしょう……? ギリギリ戦えるような気はしてるんですが……」
「いっぱいイチャイチャしてることも口で伝えます。あまり過激にならないように」
「い、イチャイチャって……それは別に……」
してない、とも言い切れなかった。
いや、客観的に見たらとんでもないくらい俺たちはイチャついてるはず。
ストーカー矯正が目的だったはずなんだけど。
「……まあ……そこんところは本当に上手にお願いします」
「わかりましたっ」
敬礼して、にへらと笑む寧子さん。
いっそのこと、ここで俺が告白したらいいんじゃないか、という考えもよぎる。
でも、すぐにそれはダメだと自分の中で思いを捨て去った。
告白するならもっとちゃんとしないと。
適当じゃダメだ。本当に、誠心誠意彼女に向き合って想いを伝える。
どんなところが好きかも言えないと。
そこはしっかりとしたい。
「じゃあ、そういう感じでお母さんには――」
と、俺が言いかけたところで、寧子さんのスマホが鳴る。
「……お母さんです」
「了解です」
頷き合って、俺は生唾を飲み込む。
寧子さんは電話に出た。
「はい。私です」
「……」
何だろう。
前日だから、なんか色々確認したいこととかがあるのかな。
「え!? も、もう来てる!?」
「……へ……?」
突然驚くようにして声を上げる寧子さん。
思わずドキッとした。
「あ、アパートの前まで来てるんですか!? え、えぇ!?」
マジですか。
俺は、静かに頬を引きつらせた。
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