第18話 あなたの料理で体ができてる

 二限目の授業を受け終えた後、俺はいったん自分の住んでるアパートの部屋に帰ることにした。


 次の三限目が始まるのは、十三時四十五分。


 大学内は一時間の昼休みになっていて、学生や教授は好き好きに学食へ行ったり、売店で何かを買ったり、大学周辺の飲食店へ向かったりしている。


 俺も寧子さんを監禁するまでは、学食でぼっち飯をしたり、売店で買ったおにぎりなどを自分の部屋に持って帰って食べたりしていた。


 今さら言うまでもないが、ほぼすべてソロ行動だ。


 学食のテーブルに一人で座ってご飯を食べていて、真隣の席にカップルが座り、『あーん♡』なんてことをやり始めた時は、静かに心の中で泣いた。


 たぶんあいつらは鬼だ。


 ぼっちの俺を肴にしながら、微妙な学食の味を引き上げようとしている鬼カップル。


 本当にやめて欲しい。


 今でも思い出すと涙が出そうになる。


 ほんと当時の俺、よく頑張った。


 一刻も早く離席しようと思ってご飯を口の中にかき込んでたら、米粒が喉に詰まって咳き込んで、周りの奴ら全員から白い目で見られるっていう恥ずかしい思いもしたよね。


 なんで何も罪のない俺があんな目に遭わなきゃいけなかったんだろうね。


 涙が出そう、じゃない。


 もう一人で歩きながら泣いていた。


 頑張ったね、俺。


 大変だったね、俺。


 鼻をすすり、目を袖で拭っていると、ポケットに入れていたスマホがバイブする。


 LIMEメッセージが来た。


 たぶん寧子さんだ。


 フォンフォンメッセージが連投されてくるの止めるように、俺はスマホをタップしてチャットルームを開いた。


『お昼は簡単にふりかけおにぎりを作ってみました! だけど、ごめんなさい……お米勝手に炊いちゃって……。監禁されてるダメダメストーカー女のくせに勝手なことするなってお叱りください。私はあーくんの……いえ、ご主人様からの罰なら何でもお受けしますので……』


 寧子さんからのメッセージと、形よく作られたおにぎりが丁寧に皿に盛り付けてある写真一枚。


 俺は拭っていた目元からさらにまた涙を流しそうになる。


 なんてタイミングだ。


 この子、本当に天使か何かですか……? ちょっと変な方向にスイッチ入りがちだし、今も送ってくれてるメッセージの三分の二は不穏な内容だけど。


『あ、それとご主人様、見てください見てください! さっきポ●モンの孵化厳選してたら色違い生まれたんです!』


 既読付けた瞬間に爆速で追いメッセージが来た。


 さすが寧子さん。


 チャットルームを開きっぱなしにして俺の返信……いや、既読マークが付くのを待ってたっぽい。まるで獲物が店から出てくるのを待ってるストーカーみたいだ。


『きゃわ~、です! いっぱいいっぱい愛情持って育てたいのですが……寧子は考えました。もしもご主人様と私の間に赤ちゃんができてしまったら……』


「……」


『あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! そんなことになったらもう死んじゃいます死んじゃいます死んじゃいます!!!!! 想像しただけでどうにかなっちゃいそうです!!!!!』


「…………」


『絶対可愛い絶対可愛い絶対可愛い絶対可愛い絶対可愛い絶対可愛い絶対可愛い!!!!! 男の子なら名前どうしましょうか!?!?!? 女の子なら名前どうしましょうか!?!?!?!? 迷います迷います迷いますよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!』


「………………」


『迷い過ぎて部屋の中で今ゴロンゴロンしちゃってます!!!!! あーくんしゅきしゅきしゅきしゅきしゅきしゅきしゅきしゅきしゅきしゅきしゅきぃぃぃぃぃぃぃ!!!!! 早く帰ってきてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇあああああああああああああ!!!!!!!!!!』


「……………………………………」


『ハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァ……♡♡♡♡♡ あ、ゴロンゴロンしてたらあーくんの髪の毛見つけちゃいました♡ これで百五十二本目♡』


 ――帰ろう。今すぐに。


 部屋にいない間に何をされるかわからない。


 立ち止まっていたところから、俺は猛然とダッシュし始める。


 走っている間にもメッセージはたくさん送られてきてたけど全部無視。


 玄関扉を開けると、きっとそこには寝転がってとんでもないことをしてる寧子さんがいるはず――


「あっ……! おかえりなさい……! あーくんっ……!」


 ――……だと思ったんだけど、全然そんなことなかった。


 花柄のエプロンを付け、綺麗なロングヘアをポニーテールにし、キッチンで何かを作っている寧子さん。


 俺を見るや否や、彼女はいつもの妖しい光を瞳に灯し、頬を朱に染めてから嬉しそうにこちらへトテトテやって来る。


 第一声で注意しようと思ったのに、なんか拍子抜けだ。


 てっきり俺のパンツの一枚くらい被ってるかと思った。


「おかえりなさいっ……おかえりなさいっ……あーくんっ……♡ えへへへぇ……♡」


 手を前に組み、俺の前で横にるんるん揺れて嬉しそうな彼女。


 この可愛さに惑わされてはダメ。


 ダメだけど……俺は見事に惑わされ、強い言葉を言えずにいた。まずは悶える。


 悶えていると、寧子さんが俺の顔を覗き込むようにして続けてきた。


 何だろう。


「あの、あーくん……? メッセージの通りです。ごめんなさい、おにぎりを作るのに勝手にお米を炊いたのと、今簡単にお味噌汁を作ってて。夕飯にもなるかな、と」


「あ、う、うん。あ、ありがとう……」


「お米を勝手に炊いてしまったので、それに対してのバツがあればどうぞ何でも言ってくださいっ……! 喜んで……じゃなくて、しっかりと反省しながらお受けしますのでっ……!」


 眉を八の字にしているものの、淀んだ光が瞳の中でキラキラしてる。


 この辺は相変わらずだ。


 相変わらずなんだけど……。


「ちょ、ちょっと待って、寧子さん? ステイです、ステイ」


「はいっ……! わんわんっ……! 何でございましょう、あーくん……?」


 小首を傾げながら、きょとんと俺を見つめてくる寧子さん。


 後ろのポニーテールがフリフリ動いて、本当にワンちゃんみたい。それもまた可愛くて、俺は「んぐもっ……!」と変な声を漏らしつつ咳払い。


 仕切り直して口を開いた。


「あのとんでもメッセージ見たんですけど……髪の毛百何本目。はーと。とか言ってるやつと、部屋の中をゴロンゴロンしてるとか言ってたやつ」


「ええ……! ええ……! 確かに私、送りましたっ……!」


 ドヤ顔で胸を張る彼女に対し、俺は頬を引きつらせる。


 深々とため息。


「今後はああいうの止めるように。俺が寧子さんを監禁し始めた理由、何でしたっけ?」


「でゅへへぇ~……♡ イチャイチャにぃ~……甘々な生活を~……二人でぇ~……」


「はい、全然違います」


「じゃあ、新婚生活の練習……?」


「っ……。違いますね? 本当はわかってるはずです。ちゃんと答えてください?」


「わかりました……! 主従プレイの練習……!」


「違うよ! 全然違う! そんなこと自信満々に答えないで!?」


 ツッコむものの、寧子さんは楽しそうにニコニコして腰をくねらせてた。


 いっそのこと、今度本当に首輪買ってきて付けますよ!?


 なんて言いかけそうになったが、さすがにそれは気持ち悪すぎるうえに、下手をすればもっと寧子さんを調子づかせてしまう可能性。


 ミイラ取りがミイラになる……じゃないけど、この監禁生活のせいで俺まで寧子さん色に染まってしまったら元も子もない。


 それだけはなんとかして避けないと……絶対に。


「もう……。今日の寧子さん、なんかちょっといつもより機嫌いいですね。良いことでもあったんですか?」


 問うと、彼女は聞いて欲しかった質問をされたようで、にへら、と笑んだ。


 頬が緩み過ぎな気がする……。


「あった、というよりも、これからある、という感じです……!」


「……あぁ……」


 察した。そういうことですか。


「三限目の授業、あーくんと受けられるのが楽しみで……! もう、待ちきれないって感じで……! うふふっ……!」


 きゅぅぅ~っと目を閉じて横に揺れる寧子さん。


 そこまで楽しみにされると、俺としても恥ずかしい。


 教室内で、こんなに可愛い女の子の隣にいてもいいのだろうか……?


 周りの人の目もあるし、寧子さんに迷惑が掛からないかな……?


 そこだけが凄く不安。俺、冴えないモブ陰キャだし。


「……俺、栄養学部の授業に出て大丈夫ですかね? 教授とかにバレたら、寧子さんにも迷惑掛かりませんか?」


「それは大丈夫です。三限の授業をしてくれる先生は、凄く緩くてどんな生徒でも受け入れオーケーという感じなので」


「教室は大教室? それとも、小さめのところ?」


「大教室ですよ。受講生徒の数も多いので、あーくんが人文学部の学生だとはバレないはずです。安心してくださいっ」


「……それならまあ……大丈夫……なのかな?」


「はいっ……! 大船に乗った気持ちでいてください……! 身も心も、私にゆだねて……!」


「それはちょっと不安なので……ごめんなさい」


「えぇ……! そんなぁ……!」


 残念そうにしながら、寧子さんは沸き立っている取っ手鍋の火を止めた。


 中には味噌汁が入ってる。


 残っていた野菜を入れてくれた、美味しそうなものだ。


「ただまあ……そうは言っても……」


「……?」


 たぶん、俺は寧子さんにほとんど身をゆだねてる。


 彼女の作ったものを何度も食べてるし、今からだってそうだ。


 おにぎりと味噌汁。


 あれを食べて授業に向かう。


 俺の体は、とっくの昔に寧子さんのおかげで保たれてた。

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