第9話 一緒に服を取りに行こう

「おい、見ろ。あいつだよ、あいつ。恋人か何かに『ご主人様』とか呼ばせてた奴」


 今ほど友達がいれば、と思ったことはない。


 大教室での講義。


 授業時間10分前くらいに着いたせいか、だだっ広い教室内も既にほぼ満席で、前方の方しか空いてなかったので、最前列辺りにぼっちで座る俺。


 それだけでも後ろに友達同士で座ってる奴らへの見せ物感が半端ないのに、何やらコソコソと後方で俺の噂をしている奴がいた。


 死ぬほど恥ずかしい。


「他学部だとは思うんだけどさ、パーカーにズボンなのにめちゃくちゃ可愛かったんだよ。そんな女の子に、『また後で! ご主人様!』とか言わせてたんだぜ? 控えめに言って爆発しろ、とか思ったわ。どういうプレイだよ、ちくしょう」


 違う……違うんですよ……プレイとかじゃなくて、それは勝手に保野さんが言ってるだけで……。


「どんな子? 俺、この大学の可愛い子割と把握してんだけど、写真とかあったら一発でわかるよ?」


「いや、写真はねーんだけどさー。ほんと爆発して欲しい気分にはなったね。お前らも見てたら歯ぎしりしてたはず」


「はぁ? そんなに? あの人、めっちゃ陰キャラっぽいのに、そこまで可愛い子と付き合えてるとか考えづらいんだが?」


「ワンチャンさ、レンタル彼女とかかもよ? 最近流行ってるっぽいし」


「大学内で朝からレン彼はやばいっしょw それはなかなかえぐいww」


「だから色々わかんねーんだって。後で声かけてみる? レンタル彼女借りてる? って」


「くっそ笑うwww お前失礼すぎだろそれwww」


「だってよぉ〜」


 人が大勢いるこの雑音の中だ。


 きっと本人たちは俺に聞こえてないと思ってるんだろうけど、しっかり聞こえてる。


 何もかも彼らの妄想、推測だ。


 俺はレンタル彼女も借りてないし、そういうプレイもしていないし、保野さんと付き合ってもない。


 ただ、家の中で監禁してるだけである。


 何もかも違う。


「はーい、静かにしてくださーい。授業資料、前の人から取りに来てー」


 授業を担当している教授が、マイクを通して俺たちに告げる。


 会話こそあまり鳴り止まないものの、ゾロゾロと学生たちは前の方まで授業資料を取りに行く。


「……ふぅ……」


 とりあえずこれで助かった。


 授業が始まれば、ある程度は静かになって俺の噂をしてた連中も黙ることだろう。


 心の中で安堵し、俺は手にした資料へ自分の名前と学籍番号を書き込むのだった。






●○●○●○●






 そうして、午前の授業をすべて受け終えた俺は、保野さんとの約束通りいったん家へ帰ることにした。


 キャンパス内を歩き、大学前にあるコンビニへ向かおうとする。


 が、だ。


「あーくん! あーくんあーくんあーくん! あーくぅん!」


 ヒクッと頬が引きつる。


 後ろからすごく聞き覚えのある声がした。


 あの呼び方。


 誰か、なんて考えずともわかる。


 速攻で後ろへ振り返ると、そこには駆けてくる保野さんの姿があった。


「保野さ……って、ぐぉっ!?」


 すごい勢いで俺へ抱きついてくる保野さん。


 ご主人様呼びはしていないけれど、こういうのがさっきみたいな噂を呼ぶわけで……。


 非常にやめて欲しかったが、それを注意する暇も無い。


 彼女は俺に全力で密着してくる。


「あぅぅ……! 会いたかった、会いたかったです! あーくん!」


「べ、別にさっきまで一緒にいたわけだし、そんな何年かぶりに再会したような言い方しなくても……」


「私があーくんを目にしていない1分は1ヶ月に相当するんです……! それはつまり、180年ほど会わなかったというのに等しくて……! うぅぅぅ……しゅきぃ……もう絶対離さないぃぃ……♡」


「だ、だからやめてください! 人が見てるんで、こういう場所で密着しまくるのは……!」


 気にしたところでもう遅い。


 昼休みだ。


 そこらじゅうに学生が歩いてて、俺たちのことを皆がチラチラ見ている。


 またさらに噂が拡大しそうだ。


 泣きたい気分になったけど……保野さんのいい匂いと、柔らかい体の感触が俺の拒絶心をこれでもかというほどに無くしていく。


 俺はもうどうしていいかわからず、保野さんにハートを飛ばされまくりながらされるがままになっていた。


 どうにでもなってしまえ……。


「はぁ……はぁ……♡ あーくんあーくん……いい匂いぃ……ふぁぁ……♡」


「あっ……あぁぁ……」


「ねえ、あーくん? 知ってますか? いい匂いだなぁ、と思う異性は、遺伝子レベルで相性がいいらしいです。私、あーくんと遺伝子レベルで相性がいいみたい……♡」


「っ……。 そ、そうなんですか……?」


「あーくんはどうでしょう? 私のこと、いい匂い、と思って頂けてますか?」


 病みまくっている瞳に強烈なハートを浮かべ、上目遣いで問うてくる保野さん。


 俺は心の底から答えに困った。


 なぜなら、彼女の匂いにほだされ、抵抗する力を失ってしまったから。


 いい匂いだと思った、なんて認めることもできず、俺はそれを誤魔化すように力を振り絞り、保野さんを自分の体から引き離す。


 保野さんは、子犬みたいなうるうるした瞳で俺を見つめていた。


 大方、まだイチャイチャしていたかったのに、とでも思っているんだろう。


 ダメだ。流石にもうダメ。


 ここ、たくさん人が行き来してる道なんだから。


「さ、さあ、もう部屋に帰りますよ。その前にコンビニで昼飯買わなきゃですが……」


「お部屋に帰ったら、あーくんのこといっぱいギューしていいです?」


「そ、そんなのダメに……」


 首を横に振ろうとして、俺は苦い声を漏らす。


 保野さんが切なそうに上目遣いで見つめてきていた。


 自分の顔が熱くなっているのがわかる。


 俺は顔を押さえ、仕方なく了承。


「す、少しだけなら……」


 言うと、保野さんは安定のゼロ距離密着。


 俺の腕を抱き、「じゃあ、帰りましょう」とノリノリだった。


 昼からの授業、またとんでもない噂を立てられてるんだろうな……。






●○●○●○●






「では、保野さん。放課後はまだですが、今のうちに放課後の動き方考えときましょう。今日は何を俺の家に運びますか?」


「……避妊具……でしょうか?」


「……」


 こほん、と咳払い。


 カーペットの上に置いているちゃぶ台。


 会話をするなら、本来は向かい合って色々やりとりするのがベストなんだろうけど、保野さんにそういうのは通用しない。


 あぐらをかいている俺の横で密着し、にゃんにゃん頭を擦り付けてくる。


 ふぅ、と小さくため息。


「とりあえずは衣服を持ってきませんか? ドライヤーとか、生活に必要なものは俺が持ってますし」


「着る物なんて、私はあーくんのもので充分です。というより、むしろそっちの方が……うぇへへへ……♡」


「勘弁してください。俺は必要最低限しか服持ってないですし、洗濯とかが追いつかないんで」


「じゃあ、私は何も着ずにいます。そっちの方があーくんも……ふへへへへぇ……♡」


「真面目に考えてくださいってば……」


 深々とため息。


 そのついでに、開けていたおにぎりと緑茶を飲んだ。


 やっぱりサケは美味しい。


「とにかくですね、今日は放課後保野さんの家に服を取りに行きましょう。距離、割とあるんでしたよね? 二人で一緒に行きますよ」


「別に服なんていらないのに……」


「そのセリフ女の子として……いや、人間としてどうなんですか……」


 げんなりとした。


 この子、色々と終わってる。


 仕方ない。


「……そんな面倒くさそうにしないでくださいよ。なんというか、俺、保野さんの私服姿とか……ちゃんとしたパジャマ姿とか……なんなら興味あったりするんで……」


「!!!」


 一気に彼女の目が見開かれる。


 服を取りに行くやる気を出させようとした結果だけど、ここまでの大胆発言しなくてよかったかも。


 言った後で軽く後悔するが、時すでに遅し。


 爛々と目を暗黒に輝かせる保野さん。


 息が荒くなり、「はぁはぁ♡」と安定の不審者モード。


「な、なぁんだ……あーくん……そういうことなら早く言ってください……! 色んな私を見たかったんですね……! もう……素直じゃないんですから……!」


「……っ」


「こ、こうなったら、とびっきりの私服姿であーくんをメロメロにさせてあげます……! と言っても、既にあーくんは私にメロメロで……これ以上となると私は赤ちゃんを……ぐへっ……ぐへへっ……ぐへへへへぇ……♡」


「はぁ……」


 とりあえず、彼女をやる気にさせることには成功。


 俺はお茶を飲んで続ける。


「まあ、そういことなんでね。服を取りに行って……」


「はいっ」


「色々とお話ししましょう。その道中に」


「お話、ですか?」


 俺は頷く。


「あなたのこと、俺はもっと知らないといけない。せっかくこうして一緒にいるから」


「これから永遠に一緒ですよ」


「う、うん……。まあ、それはいいとしてね?」


 こほん、と何度目かわからない咳払いをして、


「俺、君にコインランドリーでなんて言ったか、ちゃんと思い出したいですし」

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