丗六 宗祇修行



 和歌の形のひとつに、連歌れんがというものがある。


 大勢が集まって、その中の一人がまず五七五の句をむ。

 別の者が、そこへ七七の句をつける。

 するとまた別の者が五七五をつけ、以降、七七、五七五、七七、五七五……と、次々に句を繋いで、みんなで長い歌を作るのである。


 最初の句を発句ほっく、前の人の句を前句まえく、そこに新たな句を付けることを付句つけく、大勢で付句つけくを連鎖させていくことを付合つけあいという。


 と、説明するのは簡単だが、実際に挑戦してみると、これがかなり難しい。

 単に音数が合えばいいというものではない。前句まえくの詩情を活かさねばならないが、だからといって似たような句を繰り返すのもつまらない。

 前句まえくをふまえ、それでいて変化もつけ、知的な驚きをかもしだす。それが連歌れんがの醍醐味なのだ。


 中世から近世にかけて、知識人たちの間で連歌れんがは大いに流行し、数知れない連歌会れんがかいがあちこちで開催された。

 付合つけあいの練習として、一人がんだ前句まえくにもう一人が付句つけくを返す、という遊びもしばしば行われた。



   *



 さて、この連歌れんがの道に熟達した連歌師れんがしのうち最も高名なのは、なんといっても宗祇そうぎだろう。

 そうそうたる歌人に師事して腕を磨いた宗祇そうぎは、諸国を漂泊修行しながら連歌れんがを広め、連歌れんが全盛期を築き上げたのである。


 その修行の旅の途中でのことだった。

 宗祇そうぎが山中を歩いていると、思いがけず三人の人に出くわした。

 その中の一人が、唐突に言う。

『一つあるもの 三つに見えけり』


 宗祇そうがは、ハッ! と目を見開いた。

 今のは前句まえくだ。この人は『付句つけくをしろ』と宗祇そうぎに挑戦しているのだ。

 そうと悟った宗祇そうぎは、即座にこう切り返した。

たぐい無き 小袖こそでえりの ほころびて」


 見事な付句つけくだ。着物は二枚の布を左右から掻き合わせる。片方のえりほころんで二枚に分かれれば、もう一方の一枚も合わせて三枚。確かに一つのものが三つに見える。


 すると、すかさず二人目が言う。

『二つあるもの 四つに見えけり』


 また宗祇そうぎが答える。

「月と日と 入り江の水に 影さして」


 これまた見事。天の月日が水面に映れば、合わせて四つというわけだ。


 最後の一人がまた言う。

『五つあるもの 一つ見えけり』


 宗祇そうぎは朗々とみあげる。

『月に指す その指ばかり あらわれて』


 五本指。しかし月光を浴びて浮かび上がるのは、月を指す指一つのみ。


 この三句を聞いたとたん、三人組は満足げに微笑みながら、すうっ……と何処へともなく消えてしまったのだという。

 果たしてこの三人は何者だったのだろう。

 宗祇そうぎの詩才を試すために現れた神ではないか? などと噂する者もいたが、本当のところは、誰も知らない。

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