廿 オセンソク



 山の中に殿様が住んでいた。

 お国のちゃんとした武家から嫁を迎えたところ、おつぼねだの、中居だの、おはしただの、大勢のお供も姫と一緒にやってきて、祝言しゅうげんはつつがなく済んだ。


 しかし、それから二、三日後。

 つぼねたちは眉をひそめていた。

 というのも、祝言しゅうげんからこの日まで、殿様の家臣たちはただの一度も「行水ぎょうずいなさいますか、風呂ふろになさいますか」などと言ってこないのだ。

 田舎者の武士たちには、体を洗うという習慣がないのだろうか……


 不潔さに我慢できなくなって、つぼねは雑務をまかなう役目の刑部ぎょうぶ左衛門さえもんという侍を呼び出した。

刑部ぎょうぶどの。ちと、お洗足せんそくをお出しあれ」


「かしこまりそうろう!」

 と、刑部ぎょうぶはその場を立ち去った。


 刑部ぎょうぶは、すぐさま年寄衆に触れ回った。

「皆さま、お集まりくだされ。つぼねから言いつけられたことがござる」

「なにごとだ、なにごとだ」


「いや、別に大したことではないのだが。『オセンソク』という物を出せというのです。どうお返事したらよいであろう?」


 はて、『オセンソク』とは一体なんであろう?

 国の重鎮たちが寄ってたかって談合し、さまざまに意見を言いあったあげく、一番年上の老臣がこう述べた。

「『戦乱でくした』と申されよ」


 年寄衆はどよめいた。

「それだ!」

「これこそ天下一の思案じゃ!」

「ではさっそく」


 刑部ぎょうぶは、つぼねの元へ舞い戻った。

「『オセンソク』を出せとのおおせでしたが、戦乱でくしまして、ここにはございませぬ」


 つぼねは、話を最後まで聞きもしないで嘆いた。

「ああ、軽忽きょうこつや」


 『軽忽きょうこつ』とは『そそっかしい』という意味だが、刑部ぎょうぶはそれも知らなかった。まためんどくさいなあ、と思い、

「いや、『キョウコツ』も『オセンソク』と一緒にくしたのでござる」

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