十三 京都所司代、名裁き



 従一位じゅういちいの右大臣、征夷大将軍徳川家康公が天下を治めなさった頃。

 賢臣や義士が数多くいる中で、板倉伊賀守いがのかみ勝重かつしげ)様は、京都所司代しょしだいとして京の治安維持や裁判にあたっておられた。


 所司代しょしだいが民の訴えを聞いて物事の理非りひを決断なさるときは、金持ちや貴人に対してもびへつらうことがなく、また、貧しく身分の低い人々を見下みくだすこともなかった。


 だから、上の者から下の者まで、万民みな所司代しょしだいの裁きを喜んで、

「奇なるかな! 妙なるかな!

 まれにみる賢人だ! 絶妙なお裁きだ!」

 と称賛する人が街に満ちあふれた。


『一滴舌上ぜつじょうに通じて大海の塩味を知る』という金言を言えば、そこから先は言わずとも分かるだろう。



   *



 さて、その頃……

 越後えちご(新潟県)で、ある山伏が宿を借りた。


 その山伏が腰に差していた刀。これがまた、こしらえといいつくりといい、実に見事なものだった。

 そこで、宿の亭主が頼み込んだ。

「ちょうど今日、帰国する国主様の出迎えに行く用事があるのです。見栄えよく装うために、その刀を貸していただけませんか?」


 山伏はこころよく承諾し、亭主は刀を借りて出かけて行った。


 ところが、亭主が出かけてから宿へ帰るまでのわずかな間に、越後えちごの国に徳政令が出された。

 徳政令とは、貸し借りの契約を帳消しにするという法令である。


 しばらくして亭主は宿に戻ってきたが、刀を返そうとしない。

 山伏はがまんできず、しきりに返却を求めた。

 だが亭主の返事はこうだ。

「あんたの刀を借りたのは確かだ。しかし徳政令の立札が立ったからには、この刀もしたんだ。返すつもりはまったくないね」


 というわけで、出入でいり(訴訟)になった。

 双方とも江戸に参上し、大相国徳川家康公の御前沙汰にまでなった。(大相国は太政大臣の唐名。家康は一時期太政大臣だった)


 ちょうどそのころ、京の所司代しょしだいが江戸に下向しておられた。

 家康公から、

「この裁判、どうしたものか?」

 と御下問があり、所司代しょしだいはお答えした。


造作ぞうさもないことと思いそうろう

 運よく徳政令の札が立ったので亭主が借りた刀が質流れした。

 であれば、山伏が借りた家もまた山伏のもの……ということになりましょう?

 この道理を突きつければ、亭主はすぐに刀を返すでしょう」


 これを聞いた大相国家康公は、深く感心したのであった。

 まさに当意即妙の裁きである。


 以正理之薬 治訴詔之病

 挑憲法之燈 照愁歎之闇

 正理しょうりの薬をもって訴訟の病を

 憲法のともしびかかげて愁歎しゅうたんの闇を照らす


 という金言は、まさにこのことであろう。

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