十二 愛しい人



 人の行き来が絶えた寂しい山中に、一宇いちうの堂があった。


 平家物語に、

いらか破れては、霧、不断のこうを焚き……』

かわらが割れて、入り込んだ霧で絶えずこうを焚いたように煙っている)

 という一節があるが、まさにそのような、わびしい堂である。


 それほどの僻地であるから、昼間ですら世間の人々は立ち寄ろうとしない。

 しかし、そんな場所に、どうやら僧が一人住みついているようなのだ。


「いったいどういう不惜身命ふしゃくしんみょう(命も惜しまず修行すること)の行者がこの仏閣に住んでいるのだろうか」

 とあわれむ者が多かった。


 だが、根性の曲がった者もいて、そいつらは変な疑いをかけていた。

「あれほど恐ろしい所に、どうして一人で住んでいられるだろう。仏の道を踏み外して、女房と一緒に暮らしてるに違いない」


 そこで、嵐がすさまじく吹き荒れる冬の夜、疑っている者たちは大勢で堂に忍び寄り、立ち聞きをしはじめた。


 すると、案の定。僧は一晩中、こんなことをささやいている。

「そなたがいればこそ、この寒い夜にも温かでいられるのだ。愛しい人だよ、お前は……」


 もはや疑う余地もない、やはり夫婦で住んでるのだ!

 と確信した人々は、大勢で堂に押し入った。

「やい! この破戒はかい坊主め! 女を連れ込んでるな!」


 だが、どうしたことだろう。堂の中には僧が一人っきり。女の姿などどこにもない。

「おい坊主、お前の『愛しい人』ってのは何なんだ?」

 と問うと……


 僧は、

「これが私の妻だよ」

 と言って、三しょうも酒の入る大徳利おおとっくりを出したのだった。

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