五 しおん



 あれは、たしか石州(島根県)の銀山でのことだったと思うが……


 私と日ごろから付き合いがあった知人が一人、入道した。

 入道とは、出家せずに剃髪ていはつして仏門に入ること、あるいはそうした人のことを言う。

 法名ほうみょうは『芝恩しおん』とつけたそうだ。


 ところが、彼の友達ににぶい男がいて、いつも芝恩しおんという名を忘れ、「お禅門ぜんもん禅門ぜんもん」とばかり呼んでくる。

 禅門ぜんもんとは、入道の別名である。


 これに芝恩しおん入道は腹を立てた。

「おい、お前、紫苑しおんという草を見たことはあるか」

「いや、見たことない」

「じゃあ見せてやる」

 と言って、男を庭園に連れて行った。


 庭には紫苑しおん射干しゃが(アヤメの仲間)が咲いている。

 芝恩しおん入道は一つ一つ花を指さし、

「これが紫苑しおん。これは射干しゃが

 この花の名前をよく覚えておけ。ワシの名はそれと同じだ。忘れるんじゃないぞ!」

 と、よくよく言い含めて帰った。


 男は納得したようだったが、また二、三日たった後に顔を合わせてこう言った。

「やあ、シャガさん! お久しぶり」

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