三 おだてにフワッと乗る男



 てんびん棒の両端にザルやタライを吊るし、そこに魚介、野菜、豆腐などを入れ、肩に担いで売り歩く……そういう商人を『棒手振ぼてふり』とか『振り売り』とかいう。

 今では全く見かけないが、明治のはじめの頃までは、棒手振ぼてふりが街中にあふれるほどいて、さかんに商売をしていたそうだ。


 さて、ここにも一人、棒手振ぼてふりの魚売りがいる。

 顔つきが柔らかく、いかにも心優しそうな、一見してわかる好人物である。


 その魚売りが、前後のザルに鯛を入れ、

「鯛は〜、鯛は〜」

 と声を張り上げていると、ある家の主人が呼び止めた。


「魚売りどの、今日はひどく寒い日だ。うちに来て、ちょっと火にあたり、茶でも飲んでおいきなさい。

 いや、貴公をチラと見ただけで分かった。これはタダ者ではない、とね。昔はさぞ身分の高いお人であったろうが、不運にも落ちぶれて、そういう仕事をしておられるのでしょうな。

 そう思うと、涙がこぼれそうろう


 こう言われた魚売り、変にすまし顔で静かに火にあたり、茶を飲んだ。

 そろそろ出ようかというとき、魚売りは一匹の鯛を、ス……と主人へ差し出した。


「む? いったいどうして、こんなものを下さるのです?」

 主人が戸惑うと、魚売りは肩肘張って答えた。


「追善供養のお振る舞いでござる。今日は我が先祖、みなもとの頼朝よりともの命日でござるゆえ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る