第30話 先代竜皇夫妻
――――竜皇城へ帰る前に、俺たちが立ちよったのは先代竜皇夫妻の静養地である。
竜皇が引退し、次代の竜皇に世代交替した場合、先代の竜皇はこうして静養地で番と過ごすのである。
静養地と言うのは、竜皇国の中でも特別な竜神の祭壇の近くにある。その祭壇は竜皇族とその番しか入ることを許されない特別な場所だ。
一方で静養地は、許可を取れば訪問することはできるが、許可などそうそう出るもんじゃない。
まぁ、リューイならば実の息子だし、許可も容易に出よう。
俺たちを乗せた馬車が静養地の御殿前に到着し、リューイのエスコートの元、俺も馬車を降り出迎えてくれた先代夫妻に挨拶を……と思った時だった。
リューイに髪や鱗の色がそっくりな先代竜皇リュージュ陛下、そしてその隣に立つ先代竜皇妃ユリーカ殿下を見やれば。リューイに遺伝したその黒い瞳を見開いていた。
そしてふと、ユリーカ殿下が崩れ落ち、リュージュ陛下が何事かと慌てて彼女の身を支える。
一体、何が……。
ユリーカ殿下は体調がよくなかったのだろうか。それとも何か失礼なことを……?
俺の見た目を見れば、混ざりものであることは容易に想像できる。しかし、同じく混ざりものである母さんと仲良くなれた彼女が、そんな愚かな間違いを犯すとは思えないのだが。
「あなたが……あなたさまが、リューイの……番……っ」
ユリーカ殿下は震えながらそう口にする。
「……どこかで、お会いしたでしょうか」
ふと、既視感を抱いたのは。崩れ落ちると同時に舞った、その見事な黒髪故か。
黒髪など、東国で幾度も見たと言うのに、ふと脳裏を駆けるこの予感は何だろうか……?
「私は……わたしは……っ、あなたさまに決して許されないことをした……っ」
俺に……?許されないこととは……200年の間に、幾度となく許せないようなことはされた。それは混ざりものへの差別や迫害がその主たるものだが、いつしか諦め、引きこもり、怒るのも立ち向かうのもやめてしまった。
以前の俺なら、そんなことはもう忘れたと方便を告げ、立ち去るだろう。
辛いことから、苦しいことから逃げて、引きこもる。だが今は……リューイの手前。リューイと同じ夢を追うと決めた。
そもそも母さんが大切な友だちだと告げる彼女を泣かせたまま去ったとなれば、確実に母さんの雷が落ちるだろう。
そんな親不孝、母さんのためにも、リューイのためにもできまいよ。
俺はゆっくりとユリーカ殿下に歩み寄る。リューイも突然のことで瞠目し、リュージュ陛下はユリーカ殿下を抱き締めるしかできない。
ほんと……どいつもこいつも。似た者父子であるが、何よりも番を大切に思うのは、同じだと思うのだ。
俺はユリーカ殿下の前に、そっと片膝をついた。
「俺は誰にも、許さないようなことをされた覚えはないよ」
本来ならば、先代竜皇妃に向ける口調ではないだろう。
しかし、今はそれが適切だと思ったのだ。
「だが、母が大切に想う友人が泣き崩れるのなら、俺は母に怒られてしまう」
「わたしは……っ、リーシアさまの、友人……そんな資格、ないのです……っ」
母さんは資格など求めていないと思うがな。彼女にとってはそう考えてしまうほどのことなのか。
「わたしは……あなたさまが踊り子であることを奪った……わたしに、あなたのお母君の友人である資格など……ないのです……っ」
その時、俺の脳裏をよぎった既視感の正体が分かった。そうか……彼女はあの時の……。
「そうか……」
俺はそっと彼女に向けて、手を伸ばした。
人間の寿命を遥かに越えて、生きることは、時代や大切な人々に置き去りにされていくだけじゃない。彼女が俺にあの時の悔恨を抱え続けていたとしたら。
それも、150年近く。それに彼女が歩んだ道は、世の人間たちが羨むようなシンデレラストーリーではない。
竜皇に溺愛され、番として幸せなまま生きるはずの彼女が歩んだのは、まさに棘の道であり、まだ彼女はその棘の中にいる。
そっと彼女の頬に手を充てれば、ゆっくりと俺を見上げた彼女の目から、堪えきれぬほどの涙がぽろぽろと溢れ落ちる。
「アンタが悪いんじゃない。俺はただ……諦めてしまっただけだ。混ざりものと言われ、指を指されて蔑まれ……いつまでも変わらないこの世界が嫌になって、人前で踊るのをやめた。そう決めたのは、俺だ」
俺が去った後も、俺の意思を継いで舞い続けた彼女たちのことを知りもせず、ただずっとずっと、森の奥に籠り続けた。
けれど彼女は俺が引き籠っていた間も、竜皇妃としての重圧に耐えながら、悔恨に苛まれてきたのだ。さらにはリューイを生んでからも、人間の血を混ぜたと責められた。
竜皇に人間の血を混ぜる意味すら忘れてしまった愚か者たちに。
「アンタが苛むことじゃない。アンタがいたから俺はリューイと出会えたし、リューイのお陰で、俺は再びひと前で踊ることができるようになった。そして、混ざりものだからと差別されないような世を創る……そうリューイと約束したんだ。アンタが、リューイを生んでくれなきゃできなかったことだ。出会えなかった縁だ。だから、泣かないでくれ。リューイを生んでくれて、ありがとうな」
「……あっ、うぅ……っ、そんなこと……今まで誰にも……っ」
リューイに自分と同じ目の色を受け継がせてしまったことは、彼女は幾度となく責められてきたから。
「少なくとも俺も、父さんも母さんも感謝しているよ。今までよく頑張ったな」
自然と伸びた手が、あの頃と同じ黒髪を撫でる。
「……っ」
そして泣き縋る彼女をそっと抱き締めた。
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