第27話 世界樹の番人
――――翌朝、早朝。
「毎度毎度、早朝で悪いな」
早朝、むくりと身体を起こした俺は、優しくリューイを揺する。すると、こんな朝早く起こされたってのに、妙に幸せそうな顔をするのだから。
「いえ、旅には付き物です」
リューイが微笑む。
確かに。まぁ夜の移動ってこともあるが。
俺とリューイの今日の行き先は、特別な場所だ。
「父さん、予定どおり?」
リビングでは、父さんと母さんが既に起きて待っていてくれた。それから母さんはサンドイッチを俺たちに渡してくれる。
朝は早いから、何も食べずに出ても良かったのだが……。
俺の考えなど最初からお見通し……ってことか。俺たちよりも前に起きて作ってくれたのだ。いやはや、200年経っても母と言うものは、変わらず偉大である。
俺もリューイも母さんのサンドイッチをいただく。それと、コーヒーな。
子どもの頃とは違って、リューイもコーヒーを飲めるようになったか……。砂糖、4スティックも入れてるがな。
「無論。むしろクロムが来るのならと、彼女もとても喜んでいる」
父さんはまるで数百年来の友人のように彼女を語る。いや……実際にそうなのだろうが。先代竜皇妃を友だちと言う母さんも母さんだが、父さんも父さん。やっぱりふたりは息の合う夫夫である。
「奥地まではさすがに大勢では行けない。スオウたちもリファやリリィたちと留守番だ」
「それは……護衛としては心苦しいですが、竜神の祭壇にもそう言った事情はありますので」
竜神の祭壇の総本山の生まれ育ちなだけあって、理解が早い。むしろ今いるメンバーは、リファやリリィが一緒でも気に留めないから、種族や血統にこだわらないメンバーである。
それは恐らく、彼女にとっても心地よいことである。でなきゃ、彼女の住まうこの原生林には連れてこないし、父さんも入れないだろう。
「どうぞお気を付けて行ってらっしゃいませ」
リファが相変わらず尊い。リファ頭をついついなでなですれば、案の定スオウがムッとしたがな。それでも反対しないのは、リファが本気で喜んでいるからだろうなぁ。
「それじゃ、行ってきます」
「行ってまいります」
みなにそう告げ、『行ってらっしゃい』と送り出されるのも悪くはないな。
俺がここを出ていくことを決めた朝とは違って……ここはまた、帰ってくる場所だから。
※※※
「ひとの手がなかなか入らない……と言えど、祭壇までの道は整備……と言うか、自然に拓けているように見えます」
「だろう?そして確かにひとの手は入ってないよ。彼女が招いているから、こうして森が道を開けてくれているんだ」
「森が……」
「そうそ。世界中の森は彼女の兄弟姉妹でもあるが、この原生林の奥地は、とりわけ彼女の手足でもある。だから自由自在ではあれど、木々や花ひとつひとつが、それぞれ生命を持つ」
「私には計り知れなさそうな世界です」
「だが彼女が作る世界は、美しいだろ?」
緑の木々、太陽光が射し込み神秘的に輝く木漏れ日、森を彩る美しき花々。
「はい、もちろんです!」
「感覚の違いを理解し合うのは難しいが、しかし同じ感覚を共感し合うことはできるし、それができたのなら、彼女も喜ぶよ」
そうして辿り着いた大木の前で立ち止まれば、リューイも緊張したように俺の隣に立つ。
そうすれば木々がさざめき立ち、やがて緑の髪のかわいらしい少女が光を帯びながら、俺たちの前に姿を現す。
「久しぶりだな、ユグドラシル」
「私は兄弟を通して、ずっとあなたを見てきたの、クロムウェル」
ユグドラシルがにこりと笑う。
「……それもそうか」
ヌシも、森も、俺を見守ってくれた。彼女は兄弟を通して。
「でも、ここに会いに来てくれるのは、特別なの」
ユグドラシルが微笑む。
「クロムウェルは命の契りを結んだの」
ユグドラシルはひとの世の契りをそのように呼ぶ。
「あぁ。だから報告に来たんだ。彼が俺の伴侶の、リューイだよ」
「よ……よろしくお願いいたします」
リューイが緊張しながら告げる。
「緊張しないで、竜神の子」
リューイはユグドラシルの言葉に驚くように彼女を見る。まぁ、この世界の住民なら、竜皇は竜神の子孫、竜神の子と言うことは認識しているが、竜神は畏れ多い存在だから、竜皇に対してそう告げるものは少ない。
竜神が畏れ多い存在だからこそ、その子である竜皇を呼ぶのだ。
「ここでは、竜神の子も、ひとの子も、竜の子も、全部全部等しく同じ命に変わりはしないの。クロムウェルも、リリィも、アルダも全員、同じ」
世界の生命の根源は、俺たちを混ざりものや純血だと区別しない。みな等しく、根源から生まれた命。それを理解できるものは、世界樹の番人が招き、ユグドラシルもまた、扉を開けてくれる。
だから混ざりものが番人に相応しくないと、純血のエルフを番人に押し付けるものたち、押し掛けてきたものたちを、ユグドラシルが入れるはずはないのだ。
「……ひとつ、お聞きしても?」
リューイが恐る恐るユグドラシルに問いかける。
「どうぞ」
ユグドラシルも微笑みながら了承する。
「あなたは先ほど、竜の子もと言った」
「そう。竜の子も、同じ、この世界の住民」
「竜神も……そう見なすのですか?」
リューイが何を恐れているのか、分かった気がする。この世界には、竜神がいる。しかし竜は一体じゃない。中には神になれなかった竜もいる。
「もちろん。竜人の祖先は竜。さまざまな竜が人間と交わり、竜人が生まれ、竜人として子々孫々世界に在り続ける」
「竜人の祖先が……竜、そして、人間……」
「少しでも人間に近付きたくて、獣の血や、精霊の血を入れて、獣人やエルフも生まれた。そうして長い時をかけて、近付こうとしたの」
つまりはみな……そもそもが混ざりものである。
「どうしてそこまで、近付きたかったのですか……?」
今や人間の方が竜人やエルフに憧れる。
「この地上で、短き生命で愛を育み、知恵を育て、繁殖し、何かを成し遂げ、仲間と生きる。そんな生活に、群れることのできない竜たちは憧れたの」
「孤独が……寂しかったのですね」
そう考えれば、竜人がどうしてあそこまで同族で群れたがるのかが分かる気がする。当初の目的を、今ではまるで忘れて、混ざりものや他種族を排除しようとするが。
「そう。だから、ここにルーンやリーシアが一緒にいてくれるのは、幸せ。クロムウェルが番を連れて会いに来てくれることが、幸せ」
ユグドラシルが嬉しそうに頷く。
ほんと、俺もちゃんとユグドラシルに孝行しないとって、改めて思うな。
「けど……分からないことがあります」
「私に分かることならば」
ユグドラシルが頷く。
「竜皇は、どうして人間を番に選ぶのか……私の場合は、クロムですが」
歴代の竜皇はずっとそうだった。エルフももとは人間の血を混ぜ、近付こうとした産物ではあるが、エルフの血の濃い俺は、異色だった。
本来竜人となったことへの意義を忘れ、排他的になった竜人たちの中で、ただ脈々と、人間の血を引き入れる竜皇だけが異色だ。
「竜神は竜の中でも特別。世界のために神となったけれど、ひとの心が分からない。だから少しでもひとに近付いた我が子を竜皇として、地上を統べる窓としたの。けど……竜皇は神に近く、ひとの心を忘れそうになる。だから代々、ひとの心を失わないように、人間を番に選び、その血を継承するの」
「そう言う……意味が……。では私は……っ」
「歴代の竜皇の中でやっと……ひとに近付けた、奇跡の子」
つまりは竜神や竜人たちの悲願が、リューイだったのだ。
それを竜人たちは人間の血が混ざっただの、それは先代竜皇妃のせいだなどと宣った。本当に……はた迷惑な話である。
それはずっとずっと、お前たちが望んできたことではないか。
「奇跡の子と共に歩んでくれる、クロムウェルを、誇らしく思う」
「ユグドラシル……でも、俺は……」
俺が口に出そうとしたことを、ユグドラシルが手で制する。
「稀代の結界の番人ルーンの子、クロムウェル。あなたは私の兄弟を、その結界で守り続けてくれている」
それはもちろん今もだ。あそこにはまだ隠れ家もあるし、それから俺を見守り育ててくれたヌシもいるから。
恩返しも込めて、ずっとずっと守り続けている。
「そしてクロムウェルには、奇跡の子と、愛を育んで、夢を叶えて欲しい」
それは、ユグドラシル自身の願いでもあるから。
「この世界樹の森の次代の番人は、クロムウェルではなくなる」
俺は、その任からやっと解放されるのか。エルフたちが俺を追い出そうとも、番人の後継者と認めなくとも、それでも彼女が俺を後継者だと定めたのは……。
「だけどここはあなたの故郷、あなたが会いに来てくれなければ、私は寂しい。ほかの誰でもない、クロムウェルと、奇跡の子リューイ、あなたたちが恋しい」
「……もちろん。ユグドラシルが望んでくれるのなら、俺はまた、この故郷に戻ってくるよ。ユグドラシルに、会いに来る。もちろんリューイと一緒にだ」
彼女は俺に、故郷を与えるためにずっとそうしてきた。だがもう、後継者の縛りがなくとも、俺がここを故郷と思い続けることを彼女は知っている。結婚したお陰か……俺も随分と丸くなったからな。
「もちろん、望む」
ユグドラシルが笑顔で頷く。
「だけど……次の番人はどうするんだ?」
「……決めた。だからこそ、力を授けるの」
誰に……いや、彼女が望むことくらい、分かるよ。だってずっとずっと彼女は俺を見守ってくれた恩人だから。
「次の後継者は、ロイド」
「そうだな。アイツにも、ここに戻ってくる口実を与えにゃぁな」
父さんから役目を引き継ぐ頃には、また新たな女王、または王が育っていることだろう。
なら次は、故郷に帰って、女王を引退したククルと共にここに暮らせばいい。
錬金術師のロイドなら、工房も引き継げるし、ここの暮らしにも困らないはずだ。
でもそこまで至るまでにも……。
「たまにはここに顔を出してくれにゃぁ、母さんが寂しがるもんな」
「そう。リーシアが寂しがる」
ユグドラシルもまた、母さんのことが大好きだから。いや……もうかれこれ何百年も共に暮らす家族だ。ユグドラシルが母さんのことを想わぬはず……ないだろう?
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