花火・神隠し・メール

朽木 堕葉

魔が差した待ち惚け

 綿菓子やりんご飴を片手に、子供たちが目の前を横切っていった。今度は射的ゲームの屋台の前で輪をつくりはしゃいで、財布のなかのお小遣いを使うかどうかで葛藤しているらしい。

 修也しゅうやはそんな様子を、石階段の二段目に腰掛けて、ぼんやり眺めていた。

 真夏の夜の熱気で滲んだ額の汗を拭い、ポケットからスマホを取り出す。linneリンネの通知を確認してみる。

『今どこにいるの?』

『とっくに着いてるよ』

『ごめん、少し遅れるかも』

『オッケー。なるだけ急いでな』

 このメッセージのやり取りが、待ち合わせ時間である19時を過ぎた頃。今現在が、20時直前の時刻。まもなく花火の打ち上げが始まる頃合いだ。

 交際を始めてから半年になる彼女――愛美まなみの遅刻癖は、変わる気配はない。思い返せば、付き合うキッカケになった合コンの際も、かなり遅れて来たのが彼女だ。

 とはいえ修也は別段、大学生にもなって、と苦言を呈することはしなかった。

(いつだって、待たされるのは俺のほう)

 昔からそうだ。なにかと待たされることが多く慣れていた。

 それにしても暇だな、と修也は周囲を見回す。すると、朽ちかけた小さなやしろが目に留まる。石階段の中段あたりの脇にぽつんと存在していた。

 見覚えがあった修也は、無意識に階段を上っていた。

 この辺に来るのは、ずいぶん久しぶりだ。十年前くらいになるだろうか。通っていた中学校からほど近く、ここで開催される花火大会は思い出深い。

 本来、デートの予定だった花火大会が水害で中止にならなければ、隣町のここまで足を運ぶこともなかっただろう。

(散々、遊んだっけな)

 修也は懐かしそうに目を細めた。不意に疑問が湧き起こり、より目がきつく細くなる。

(……誰とだ?)

 少女の笑い声が脳裏に響く。不思議と耳に馴染む声だった。

 気づけば、修也は社に手を伸ばしていた。閉じてあった扉に手が触れた途端、それは崩れ落ちた。

 なかには、ずっとそこに収められていたとは思えない、綺麗な万華鏡が置き忘れたようにあった。

 おそるおそる、修也は震える手で万華鏡を覗く。

 そこには色鮮やかな世界が広がっている。その世界を、狐のお面を被った少女が駆け回るのが見えた。まるで出口のない迷宮をぐるぐると彷徨さまようように。

 修也は急に頭がズキンと痛んだ。

 脳裏に蘇る記憶に、それが中学生時代のものだとわかった。

 そのとき、たしか自分は――興味本位で今ここにある社をつついていたはず。

 そこへ狐のお面を被った少女がやって来た。

「お待たせ、修也。……って、なにしてるの?」

「いやさ、一緒にお宝でも祀られてねえかなって」

「やめようよ。そういうのにむやみに触るとね、神様の罰があたるっておじいちゃんが言ってたよ」

 浴衣の袖をひらつかせて、少女は修也の腕を掴んだ。修也はぶつくさ文句を言いながら、その手を振り払う。

「なんだよ。待ち合わせに1時間も遅れて来たやつが言うことかよー」

 あの女の子は――そうだ、幼なじみの沙織さおりだ。

(沙織……?)

 たしかにそういう名前の幼なじみがいたはずだ。それはいつのことだった?

 やっとのことで、古びた小さな社の扉が開き、やんちゃな中学生の修也は目を輝かせてなかに手を突っ込んだ。

「お、なんかあるぜ」

 手に取った物を見ると、煌びやかな万華鏡だった。

 修也は我先にと万華鏡を覗き込む。初めて見るカラフルな光景に、すっげえと感嘆の声を上げていた。

「おい、沙織も見てみろよ!」

 返事をしない沙織を奇妙に思い、修也は万華鏡から目を離した。

 ついさっきまで、隣にいたはずだ。しかし周囲を見回しても、どこにも姿はない。

「おーい、沙織?」

 段々と気味が悪くなってきた。まさか――と嫌な予感を引きずってもう一度、万華鏡に目をつける。その目を強く疑った。

 狐の面をした沙織が、万華鏡の中にいた。不安そうにきょろきょろと、出口を探している様子で。

 修也は情けない声を漏らして、社のなかに万華鏡をもどした。

 修也は大慌てで帰宅するなり、

「沙織が神隠しに遭ったんだ!」

 両親に大声でそう主張した。

 “神様の罰があたる”と沙織が言ったから、その言葉を使ったのだろう。それが怪奇現象でも巧妙な手品だったとしても、異常事態に変わりはない。

 だが、両親は呆れたように笑い、ちゃんと手を洗えと返されるばかりだ。何度か言い換えてみても、無駄だった。

(事故に遭った、とでも言うべきだったんだ)

 今の修也は当時の自分をなじった。

 翌日、担任教師にはそう訴えて連れ出した。沙織が階段から転んで大怪我を負ったのだと嘘をついて。

 沙織の姿がどこにもないことに、疑念の目を向けてくる担任教師の前で、修也は古びた社の扉を開いた。例の万華鏡を引っ張りだそうと手を差し入れるが――なかは空っぽだった。

 救急隊員と担任教師が、呆れたように修也に視線を注ぐ。たまらず、修也は叫んだ。

「本当なんだ! 沙織はたしかに此処ここにいたんだ……!」

「あのなあ。やっぱり、そもそもうちのクラスに山中 沙織なんて生徒はいないんだぞ」

 担任教師の発言に修也は愕然となり、踵を返して走り出した。道中、嘘だと何度も胸中で唱えながら。やがて到着した沙織の家があったはずの場所は、空き地となっていて、片隅に不動産屋の連絡先が記されていた。

 その後も、自分なりに試行錯誤したはずだ。手立てなんて皆目見当もつかないが、その出来事を忘れようとなどしていない。忘れたくても、忘れられるはずがない。沙織のことを。

(なのにどうして――今まで忘れていたんだ?)

 修也は万華鏡を手に取り、目をくっつける。咄嗟の思いつきで、あのとき、やってなかったことを試みた。

「沙織、そこにいるのか? 俺だ。修也だ」

 必死に呼びかける。しかし、修也の声変わり前の声しか知らない沙織に、かえって不審を抱かせてしまう可能性もある行為だ。

 修也の呼びかけが聞こえたのか、万華鏡の迷路で、狐の面をした沙織が立ち止まる。

 沙織は今となっては年代物の携帯電話を取り出し、なにやら打ち込んでいる。

 と、修也のスマホから通知音が鳴った。新着メールが一通、届いている。

 差出人のメールアドレスは文字化けして滅茶苦茶だったが、

『修也? そこにいるの?』

 本文ははっきりと文字が読めた。

「ああ、俺はここにいる。だから……」

 感動で震えた修也の声は尻すぼみに消えていった。

 どうすれば沙織をこの迷路から解放できるのか、修也にはわからない。ただただ、そうなることを歯嚙みして祈った。

 神隠しにあった幼なじみに出来ることが、神頼みしかないなんて。修也は情けなく、諦念の滲んだ顔で夜空を仰いだ。

 そのとき、夜空で花火が輝いた。

 僅かに遅れるドン! という音。そして、スマホから着信音が鳴った。

 愛美からだ。しかし、修也が通話に応じる前に、切れてしまった。

「お待たせ」

 出し抜けに背後から聞こえた声に、修也の肩がビクッと震えた。

 が、それは聞き覚えのある愛美の声だった。

「脅かすなよ……」

 修也は振り返ると、目を丸くした。

 愛美の好みの少し派手めな浴衣が、修也の視界に映っている。その顔は、子供っぽい狐の面に覆われている。

 修也は口を開きかけたが、手元にあった万華鏡が忽然となくなっていたことに気づくと、言葉を失った。二人の名前が喉元でつっかえたまま、彼女の声に耳を傾けることしかできない。

「長いこと、待たせちゃったね」

 弾むような声音に、修也は奇妙な懐かしさと怖気を覚えた。

 石階段のなかほどで見つめ合う二人。万華鏡に負けず劣らず、花火が夜空を彩りつづける。


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花火・神隠し・メール 朽木 堕葉 @koedanohappa

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