(2)

 低いところでも風はかなり強いし、風向きが読めないのは上空と変わらない。でも、上空ほど風の気まぐれはひどくない。慎重に翔んだから時間がかかったけど、僕はなんとか川辺まで辿り着いた。

 そして……予測がとことん甘かったことをこれでもかって思い知らされた。


「なんだよ、これ……」


 かなり大きな川だってことは上空で確かめてあったけど、実際には驚くほど川幅が広いわけじゃない。川面かわおもてを翔んで越すのは難しくなさそうな距離だった。だけど……。


「何も見えないよう」


 川向こうの景色が、水色と灰色を混ぜたような薄汚れた膜みたいなもので覆われていて、そこから先に何があるのか全然わからない。

 今まで周囲に川が流れていることすら知らなかったんだから、川の様子も今初めてわかったんだ。そして、僕はものすごくがっかりした。エルフランドの外がどんな風になっているのか見当がつかないと、ここを出てからの行動が決められない。いやそれ以前に。出入り口がどこにあるのかますますわからなくなってしまった。

 僕は、漠然と川向こうに行けば出られると思ってたんだけど。見通しの効かない膜みたいなもののどこかに出入り口がとはとても思えなかったんだ。


「はあ……仕方ない。向こう岸に近いところまでもう少し翔んでみよう」


 決心はしたものの、足は出ない。羽も動かない。そうなんだよね……僕は水が大嫌いだ。川に落ちたら即座に消えてしまうような気がするんだ。意思が強いとか弱いとかじゃなく、自衛本能みたいなものが僕を強く足止めしている。どんどん怖くなってきて、一度柳の木まで引き換えそうと考えたんだけど。


「いいかい、ベル」


 自分にあえて言い聞かせる。マザーの口調を真似て、重々しく。


「ホームツリーとチャムしか知らなかったおまえが、ツリーを離れただけでなくて、森を飛び越え、川まで辿り着いた。ここまで、突風以外の危険が何かあったかい?」


 ない。危険どころか、エルフと草木、川。それ以外のものは僕にとっていいものも悪いものも何もない。何もないってことを確かめただけなら、チャムを探す手掛かりにはならない。これからどこで何があるにしても、全ては僕にとって未知であり、どれもが危険を孕んでいる。危険だからって未踏の地に背を向ければ、その時点でチャムを探すことができなくなる。

 改めて決意する。川向こうまで調べる範囲を広げよう。ここでひるんでいたんじゃ、外になんか出られやしない。


「よし!」


 ……と自分に掛け声をかけたものの、すぐ翔ぶのはまだ怖かった。翔ぶ前に、もう一度川向こうをじっと凝視する。


「あれえ? 岸がないなー」


 僕のいるこっち側には葦が川縁ぎりぎりまで生えているけど、葦原と川との区別ははっきりつけられる。砂と泥が溜まったごく幅の狭い川岸があるんだ。でも、向こう側には岸らしきものが見えない。川水の途中から膜が張ってるみたいな……。


「どういうこと?」


 ここでいくら考えてもわからない。もう、いい! 行こう! 

 意を決して川水すれずれの低いところを翔ぶ。もっと水から離れた高いところを飛びたかったけど、高いところは風が強い。もし激しく吹き下ろす風に巻き込まれたら、川に落ちてしまう。葦原に落ちた時には柳の木を頼れたけど、川には木が一本も生えてないからね。慎重に、慎重に。

 幸い川の上には強い風が吹いていなかった。空気の動きを計りながら、そろそろと岸を離れて川の真ん中くらいまで翔ぶ。さっきはぼんやりとしか確認できなかった向こう側の様子がいくらかわかってきたけど……。


「うわわわわっ!」


 膜みたいに見えたものの正体が分かって、僕は大慌てで元の川岸に引き返した。


「なんだよう! これって、まるっきり壁じゃんか!」


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