第71話
「なんだこれ……?」
廊下から見た教室は、カーテンが閉められ、中が見えなくなっている。お化け屋敷と間違われてしまいそうだ。
受付係の北条さんが翔の姿を見つけて手を振った。
「みんな七瀬くんが戻ってくるのを待ってるよ」
「ちょっと待って、何があった?」
「いいから早く戻って、いま忙しいから」
背中を押され、翔は教室に戻る。
「これは……!」
開放感のあった教室内は、廊下側だけでなく全てのカーテンが閉められ、暗く狭い印象を与えるものに変わっていた。
各テーブルには置き型の照明。それは翔が教室を出たときには無かったものだ。しかしよく見てみると、その正体はスマホだった。スマホの懐中電灯機能を照明として使っているのだ。
大人が通うバーのイメージにも似ているが、なんとなく見覚えがある。
思い出した。この前姫奈と行った九女川だ。
テーブルごとの照明は、九女川で見た蛍の群れに似ている。
「翔氏」
薄暗闇の中、より艶っぽい美女と化した哲太が近づいてきた。
「哲太氏、どうなっているんですか?」
哲太は耳打ちで答える。
「実は、翔氏が教室を飛び出した後、姫奈さんが提案したんです。夜営業しているカフェもあるし、飛行機には夜行便もある。だから、いっそモデルチェンジして『そらの旅~夜の部~』を開店してはどうかと。店内の灯りを客席だけにしてしまえば、プロジェクターを使わなくても旅の気分を味わえますから」
翔は改めて、暗い店内を見渡す。
午前の部が旅先での未知の景色に対するワクワク感を表現しているとしたら、今は日常を忘れて旅先でくつろぐ癒しの時間を表しているようだ。
「姫奈が、これを……」
「そうです。さあさ翔氏、仕事に戻りましょう。小生たちの戦いは、まだまだこれからですよ」
翔が教室の中に進むと、方々から黄色い声援が湧き上がった。だがそれは、翔に対してのものではない。
注文の品をサーブするためキッチンから出てきた、ある美青年に向けられたものだ。お客さんは皆、教室に入ってきた翔には見向きもせず、その美青年のみに集中している。
「お待たせしました。こちら、お団子パフェでございます。ごゆっくり、お寛ぎください」
美青年が言って、教室内がざわつく。まるで指揮者とオーケストラだ。
彼は今、この教室内の空気を掌握している。
だが、そんな男子がクラスメイトの中にいた覚えはない。
男子にしては背が低めだが、ピンと背筋を伸ばした威厳のある佇まいが、彼を大きく見せている。長く美しい髪は頭上で一本に束ねてあり、凛とした印象を与える。
よく見てみると、彼が着ているのはカフェのユニフォームではなく学校指定のブレザーだ。少しサイズが大きいように見えるが、そんな着こなしすらも彼の手にかかれば、まるでこのカフェ専用の衣装のようだ。
そして、胸元のネクタイ。翔はそれに見覚えがあった。いつも翔が身につけている青いネクタイだ。
それに、さっきの彼の声。低めの声色を装った高めの声に、翔は聴き覚えがあった。耳が、身体が覚えている。その声を。
「姫奈っ」
翔は思わず、教室の真ん中にいる彼──姫奈に呼びかけた。
姫奈は静かに翔の方を向き、ウインクしながら人差し指を唇の前に添える。
その瞬間、翔は魔法にかけられた。
姫奈以外、何も見えなくなる魔法。こんな魔法、とっくの昔からかけられていたはずだった。
それなのに、普段と違う振舞いを見せる姫奈にまた翔は心を奪われてしまう。
ああきっと、姫奈が本当に男だったとしても、姫奈のことを好きになっていただろう。
厄介な魔法にかかってしまったと思わずにはいられない。もし告白の返事がノーだったら、一体これから自分はどうすればいいのだろう。
いや、先のことを考えても仕方ない。今は目の前にいる姫奈との時間を楽しみたい。翔にはそれしかできない。今までもそうやって積み重ねてきたのだ。
ろうそくの灯が溶けるのを待つように、翔は残りの文化祭を姫奈と共に楽しんだ。
すべての終わりの時間が、刻一刻と迫っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます