第70話
お昼時が過ぎ、すっかり客入りが落ち着いてしまった頃のこと。
交代で休みの番が来た翔は、教室内のキッチンスペースで休んでいた。パーテーションで客席と隔てられているその空間は、A組生徒のバックヤードとしても使われている。
そこにいるメンバーで、午後の集客をどうやって伸ばしていくかを考えていたところ、他クラスの偵察に行っていた藤原さんが切迫した様子で戻ってきたのだ。
「……! っ、はっ、やばい! みんなヤバいよ!」
「何がヤバいの?」
尋ねた姫奈に、藤原さんは慌てた様子で返す。
「外で屋台やってるD組が、すっごいお客さん集めてるんだよ。うさぎ型の揚げパンがSNS映えするって話題になってる」
うさぎ、ということは。
「みみちゃんのクラスだわ。あの子なかなかやるわね」
姫奈は好戦的な笑みを浮かべる。
藤原さんは間髪入れずに付け加える。
「午後に入って『にんじんクジ』っていうクジを始めて、アタリが出たら割引してるらしいんだって。それもあって急に売り上げが伸びてるみたい」
翔は窓の外を見た。天気は曇りのままだが、午前中に降っていた小雨があがっている。
「ねえ私たちも割引とかした方がいいんじゃない?」
藤原さんは翔と姫奈に対してだけでなく、キッチンにいるクラスメイト全員に問いかけるように言った。
しかし姫奈は冷静に、「それは最善策とは言えないわ」と藤原さんをなだめる。
「私たちのカフェは屋台と違って回転率が悪いから、割引しても売り上げが下がるだけだと思う。それにもしお客さんが増えたら、表で接客するキャストを増やさないと、今のサービスは維持できないわ」
恭子さんの一番近くで接客を学んでいるだけあって、姫奈の分析は的確だった。その意見を飲み込んだ藤原さんは、静かに頭を抱えた。
「どうしよう……。せっかくメイクも内装もこだわったのに、ここで負けちゃうの? そんなの嫌なのに……」
やるからには売り上げ一位を目指したい──それはA組全員の共通意識だった。特に藤原さんは、持ち前のセンスで「そらの旅」の世界観を創るのに最も貢献してくれた立役者。リーダーというわけではないのに、誰よりも責任を持って文化祭に取り組んでいた。
そんな彼女の努力をクラスメイトは全員知っているから、誰も「一位にならなくていい」なんていう人はいなかった。
藤原さんは唇をかみしめる。薄っすらと濡れた目尻をクラスTシャツの袖で強く拭う。姫奈は藤原さんを優しく抱きしめ、頭を撫でた。
「大丈夫。諦めなければ、なんとかなるから」
だが、またしても翔たちを悲劇が襲う。
今度は接客をしていたはずの哲太が、綺麗な顔をお化けみたいに真っ青にしてキッチンに入ってきたのだ。
「大変です! 旅の写真を流していたプロジェクターが壊れました」
「え!」
翔と姫奈と藤原さんは、哲太と共に急いでホールに回った。プロジェクターに外傷は無い。何かがぶつかったわけではなさそうだ。コンセントは接続されているのだが、電源ボタンを何度押しても電源が入らない。哲太はある程度機械にも詳しいはずだが、そんな彼でも原因は特定できていない。
プロジェクターが使えなくなったからといって料理が提供できなくなるわけでなはい。だが、「そらの旅」というコンセプトが無くなってしまう。翔たちが提案し、クラスのみんなで作り上げてきたカフェの独自性が失われてしまう。
このままでは、何もかも失敗だ。いや、そんなの絶対に嫌だ。
考えるよりも先に、翔の体が動いた。
「オレ、ちょっと行ってくる」
「ちょっと待って、行くってどこに」
「職員室とか。余ってるプロジェクター借りに」
「でも七瀬くんがいなくなったら──」
お客さんの視線も気になったので、有無を言わさず翔は教室を飛び出した。代わりのプロジェクターを職員室で借りてくるだけなら、5分あれば間に合うはずだ。
しかし、翔の計画は失敗に終わる。プロジェクターは他のクラスや体育館のステージ発表にも貸し出してしまっているため、余りが無いと言われてしまったのだ。他には無いのかと尋ねると、視聴覚室ならあるかもしれない、との答えが返ってきたので、弾かれるように翔は視聴覚室に向かった。
視聴覚室に行くと、棚にはプロジェクターが何台も置いてあった。だがどれも埃を被っている。試しにその中の一つをコンセントに繋いでみたが映らない。迫るタイムリミットを背に次々と試す。時限爆弾を解除するが如く。翔の額には冷たい汗がにじむ。
しかし結果は、どれもダメだった。
想像以上に時間を食ってしまった。仕方なく翔は急いで自分の教室に向かった。
こうなったら今まで通りの形式でカフェを続けるしかない。自分が抜けた穴はこれから倍働いて埋めるしかない。
だが、自分の教室がある階に来ると、またしても異変が起きていた。大勢のお客さんが廊下を埋め尽くしている。しかも客層の偏りが激しく、並んでいるのは他校の女子高生と思われる若い女子ばかりだ。
何事か気になって列の先を見る。
すると、その列が翔の教室から伸びていると分かった。
プロジェクターを見つけるのに時間がかかったとはいえ、翔が不在だったのは一時間弱だ。その間にこんな行列ができるなんて。
もしかしたら何か良くないことで注目されてしまっているのかもしれない。
嫌な予感がした翔は、行列の横を通り、足早に教室に向かった。
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