第68話

 翔たちが教室に戻ると、英雄が帰還したかのような盛り上がりになった。

 キッチンのグループでまとまっている人たちの中に姫奈がいて、目が合った。

 姫奈は翔に見惚れていた。だが、すぐにいたずらっぽい笑みに変わると、何か一言つぶやいた。遠くにいたので、何を言ったのか翔には聞こえなかったのだが、恐らく四文字、「かわいい」と言っていた。


「はい、聞いてくださーい!」


 隣の藤原さんが、みんなに呼びかける。


「CAさんたちの出来が想像以上に良かったので、カフェと一緒にキャストの人気投票も一緒にやったらどうかと思ったんですけど、みんなどう思いますかー」


 誰かが「さんせい!」と言って、みんなそれに続いた。

 さらに藤原さんが畳みかける。


「そして! 人気一位になったキャストには、ディスティニーランドのペアチケットを私からあげちゃいます」


 ディスティニーランドは、言わずと知れた超有名レジャー施設だ。

 本当は藤原さんが友達と行く予定だったのだが、友達が部活の試合で来られなくなってしまったらしい。捨てるのももったいないからと、人気投票の景品にすることを思い付いたのだ。

 教室内はますます盛り上がった。先生も「一応、受け渡しは学校外でやって」と忠告しただけで、それ以外には何も言わなかった。不満を言う生徒は誰もいない。

 なぜなら、「そらの旅」の売り上げ成績は、翔たちキャストがどれだけ話題になるかに懸かっている部分が大きいからだ。文化祭は一日限りの一発勝負。キャスト組のサービスが良ければ、その分「そらの旅」の売り上げも上がる。


「もし一位が同率だったら、男子二人に一枚ずつあげるので、二人で行ってきてくださーい! もちろんCAの格好で」


 藤原さんの冗談で、教室は笑いに包まれた。


──もし一位になれば、姫奈とディスティニーランド……。


 和やかな雰囲気の教室で、翔は一人、やる気を漲らせている。

 人の多い場所は、もしかしたら姫奈が嫌がるかもしれない。でも、チケットを持っていれば、いつか行ける日が来るかもしれない。なんとしてもチケットを手に入れたい。


 しかし、今の翔にはライバルが一人。

 隣の哲太は、藤原さんの冗談に笑いもせず、真剣な眼差しをしている。おそらく哲太も、みみちゃんとディスティニーランドに行くという決意を心に誓っているのだろう。


「こうなったら負けられませんね。正々堂々と勝負ですよ、翔氏」


 まだ、綺麗なCAの格好から哲太の声が聞こえてくる違和感には慣れない。


「もちろん望むところです」


 二人は熱い握手を交わした。

 文化祭まであと1ヶ月。こうして意外な形で、二人の戦いの幕が切って落とされた。



 それからの日々は、瞬きの間に一日一日が終わっていった。

 翔は毎日、キャストとしてのスキルを磨いた。ラブラビのバイトでは恭子さんに接客の極意を習い、家に帰ってからはCAの仕事について調べたり、動画サイトでメイクを勉強したりもした。そして人気投票で一位を取るための、ある秘策を編み出したので、文化祭の準備をしている時間はそれを毎日実行していた。


 哲太も、文化祭の準備期間が始まった頃と比べると、別人のように変わっていた。トレードマークの丸眼鏡からフレームの細いオシャレな眼鏡に変わったし、やけに肌が綺麗になったと思ったら、化粧水を使い始めたのだという。趣味や口調は、いい意味で今までのまま残っているが、彼のことをイケメンと評する女子もちらほら現れ始めた。


──哲太氏、大人になりましたね。

 翔は毎日彼の隣で、その変化を親のような目で見守っていた。

 


 早いもので、もう文化祭の前日になってしまった。

 下校時に他の教室も見て回ったが、どこも飾り付けがされていて、普段の味気ない箱とはまるで別物になっていた。学校全体が明日、一日限定のテーマパークになる。まさに夢の国だ。

 翔は明日が来るのが楽しみで仕方ない。


「翔くん見つけた!」

「──あ、姫奈」


 廊下を歩いていると、後ろから姫奈に声をかけられた。


「一緒にラブラビに行こうと思ったのに教室にいないから、探したのよ」

「ごめんごめん」


 姫奈は「むー」と頬を膨らませるが、本気で怒ってはいないようだ。同じ歩幅で二人は歩きだす。最近はほんの少しだけ、二人の距離も以前より縮まるようになっていた。女装の効果は、無くはないのかもしれない。


「で、どうなのよ。人気投票は一位取れそうなの?」


「どうだろう。哲太の人気が凄いから、当日来る一般のお客さんも、もしかしたら哲太を推すかもしれない」


「あー、たしかに哲太くん、めちゃくちゃイメチェンしたもんね。友達としては、嬉しくもあり寂しくもあるような。今までの真面目っぽい見た目の哲太くんも良かったから」


「分かる。オレもたまに、哲太とどう接したらいいか分からなくなる時がある。キャビンアテンダントの格好してる時とか、哲太は完全にその世界に入り込んでるし」


 それでも翔は、姫奈に対して言い切った。


「でも一位を取るのはオレだよ」

「さすが翔くん、すごい自信ね」


 姫奈は興味深そうに、「どうしてそう言い切れるの?」と尋ねる。

 それに対して翔は、堂々と答えた。


「ずっと、見てたから」

「見てたって、何を?」

「姫奈を」

「え、……もしかして、私をストーカーしてたの?」

「いや違うって」


 姫奈はふざけて軽蔑の眼差しを作る。だが翔が「目標だったから」と話し始めると、真剣な表情になった。


「初めてメイクをしてもらったとき、藤原さんに言われたんだ。『女の子は、自分より可愛いと思う子を真似することで、可愛くなっていく』。『憧れに近づくために可愛くなる努力をする』って。だからオレも、CAの練習してるときは、いつも隣で見てる姫奈の仕草を思い出して、自分なりに真似してたか」


「シンプルに恥ずかしいんですけど」

「それは、ごめん」

「いや、いいんだけどさ……」


 姫奈は体の前で指を組み、もじもじと動かしながら翔に尋ねる。

「どうして私だったのよ?」

「オレにとって一番可愛い女子が、姫奈だから」

 翔は即答した。


「もう……」


 姫奈は立ち止まって俯く。翔が顔を覗こうとすると、違う方を向いた。照れているのを悟られないようにしているのだろうか。だが、頬が紅いことは丸わかりである。


「ほんと、よくそんなこと堂々と言えるわね」

「尋ねてきたのはそっちだろ。それにオレは事実を言っただけ」

「まったく……」


 俯いていた姫奈は顔を上げ、翔を指さした。


「絶対取りなさいよ、一位」

「もちろん」

「取れなかったら罰ゲームだから」

「……え」


 今度は姫奈が、翔の困り顔を覗き込む。さっきまでしおらしかった表情が、一転して活発な表情に戻っていく。まるで水を与えられた花のように。


「当然でしょ。私に恥ずかしい思いをさせた罰よ、罰」

「そんな……」


 翔は肩を落とす。

「罰ゲームって、何するんだ?」


 姫奈は少し考える様子を見せてから、いたずらっぽく笑う。


「私の約束を、なんでも一つ聞くこと。これならどう?」

「……分かった。やろう」

「おぉ、即答! いいね」


 男なら、ここは引き下がれないと思った。

 一位を取ると言った手前、実現させなければならない。


「オッケー、決まりね」

 姫奈は弾むような足取りで歩きだす。

「じゃ、バイト行こう!」


「だけど姫奈、言うことを聞くって言ったって、何かオレにしてほしいことでもあるのか?」


 先を歩いていた姫奈が振り返る。揺れるスカート。弾むリボン。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、人差し指を唇に当てる。


「うーん、秘密っ!」


 その仕草、その表情に、また目が釘付けになる。彼女の一挙手一投足で、魔法にかけられたみたいに心臓の鼓動が速くなってしまう。


──ああ、やっぱり姫奈には敵わない。


 こんなに可愛い人を目標にしてきたのだから、人気投票は一位で、「そらの旅」も大成功するに違いない。翔はそう思った。


 だが、このときの翔はまだ知らなかった。

 自分以外の人が一位を取るという未来を。

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