第65話
それから一週間が経った。
告白したはいいものの、翔は悶々とした日々を過ごしていた。
姫奈はいつも通り、登下校中やバイトへの道中もそばにいてくれるのだが、どうも距離を感じずにはいられない。ただでさえ告白の後だというのに、さらに姫奈の男性恐怖症のこともあるから、翔自身もどこまで今まで通りに振舞ったらいいか、加減が分からなくなっている。
姫奈からの返事は、まだない。
焦る必要はない。分かっているはずなのに、翔は毎日ありもしないことを考えてしまう。姫奈がこのまま告白の返事をしてくれないのではないか。普通にフラれたらどうしよう。
だが翔にとっては、自分のこと以上に姫奈のことが心配だ。
男性と接するのが苦手だと、何かと不便が多そうだ。日常生活すら満足に送れなくなるかもしれない。これから先の人生にも影響を及ぼしてしまうかも。
男性恐怖症はどうやったら治るのだろうか。そもそも治るものなのだろうか。
自分にできることは何か無いのか。
翔は頬杖をつき、教室の外を流れる空を見ながら考える。
しかし、アイディアが浮かんでこない。
まあ、何かをきっかけに急激に変わるものでもないか、と翔は一旦自分の中で結論を出そうとした。姫奈自身の変化をただ近くで見守り、待つのも手ではないか、と。
翔が最近ランニングをしていて学んだことだ。急に速く走ろうと思っても、なかなか走れるものではない。まずは準備運動をして、無理のないペースで走り出す。そこから少しずつ速度を上げていけばいい。何事も、助走が肝心なのだ。
助走が肝心。助走が。助走、じょそう……。
──あ。
「女装か」
自分が女装すれば、姫奈が男性に抱く恐怖心は少なからず減るのではないか。
空気中に溶けてしまいそうなほど小さな声でつぶやいたつもりだった。
だが翔のつぶやきは、凪いだ水面に小石を投げ入れたように、静まり返っていた教室に波紋を起こした。
クラスメイトの視線は、全て翔に向いている。もちろんその中には、姫奈と哲太もいる。
「それはナイスアイデアですよ、翔氏! 女装カフェです!」
哲太がいきなり椅子から立ち上がって声をあげる。珍しく興奮気味だ。
それと同時に、黒板の前に立っている学級委員長が「女装カフェ」という文字を濃い筆圧で黒板にメモした。
「……え、なんだ?」
思い出した。そういえば今は、10月半ばに行われる文化祭の出し物を決めるためのクラス会議の真っ最中だった。
皆が一通りアイデアを出し終わって、すっかり膠着状態になってしまっていたので、翔はつい別のことを考えてしまっていたのだ。
だが、今の翔の一言で、凍り付いていた教室が一気に熱気に包まれてしまった。
「それいいね」
「私、七瀬君の女装見たいかも」
「七瀬くんに可愛さで勝てる気しない」
「いや女装七瀬とか反則すぎんか? 惚れてまう」
そこかしこから翔の女装を期待する声が、男女問わず噴出している。
担任の先生が咳払いをして、少し教室が大人しくなった。この流れを止めてくれることを翔は期待したのだが、そうではなく、ただ静観しているだけだった。それどころか、委員長に目配せして、そろそろアイディアを一つに決めよう、と目で訴えている。
「えー、では、出た案の中から多数決を取ります」
そこからの流れは速かった。翔が出した女装の他に有力なものがいくつかあったのだが、終盤に驚異の末脚を見せた翔の案が圧倒的な差をつけて一位になったのだ。
「え、ちょ──、えぇ……」
翔が口を挟もうとした頃には手遅れだった。クラスメイトから惜しみない拍手が翔に注がれた。もはや、何も言わせてもらえそうにない。
翔は腹を括った。果たして自分の女装が姫奈の男性恐怖症の克服にどれほどの効果があるか分からない。だが、出来ることは何でもやる。女装だって、どんなに恥ずかしいことだって。
それに、みんなに支持されているなら、その期待に応えるしかない。今まで散々女子たちの告白を断って、男子たちとも積極的な交流をしなかったから、それくらいは償わないといけない。
しかし姫奈は、翔の案に手を挙げていなかった。
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