第45話

 翌朝。翔が目を覚ますと、隣に姫奈の姿はなかった。


「姫奈⁉」


 姫奈の布団は、部屋の隅で綺麗に畳まれている。まるでそれは彼女の抜け殻のようで。見守っていた蛹が蝶になって、自分の手が届かない遥か上空まで飛び立ったような感覚になった。

 いつか、こうなることは分かっていたのに。


 ──私も協力するから、一緒に探そうよ。で、その人と会って、選べばいいと思うよ。その人にするか、私にするか。で、それでも翔くんに未練があって、その人を選んだら、私はこうやって付きまとうのをやめる。もう翔くんには近付かないからさ。それならどう?


 姫奈との最初の約束を思い出す。

 彼女は、ほとんどその約束の通りに行動した。



 昨日、そらちゃんの手紙が見つかった後のことだ。

 曽良島たちと別れた後、翔と姫奈はまた喧嘩をしてしまった。そらちゃんの手紙が見つかって頬を綻ばせる翔の隣で、ずっと難しい顔をしていた姫奈は「嬉しそうね」と、翔の喜びに水を差した。


「そらちゃんに会いたい気持ちは変わらない?」

「どうしたんだよ、いきなり」

「いいから答えなさいよ」


 質問の意図が分からないまま、翔はありのまま「会いたい」と答えた。それが、その時の翔の素直な気持ちだった。それに、気になることもあったのだ。

 姫奈は「ふーん」と、難しい顔をしたまま俯いた。


「私、本当は翔くんに、そらちゃんと会ってほしくないのよ」


 そんなことを言われるとは思っていなかった。なぜなら、そらちゃんとの再会を果たすために翔を岡山まで導いてくれたのは、他でもない姫奈なのだ。


「なんで今更そんなこと言うんだよ」

「なんだっていいじゃない。……言わせないでよ」


 それ以上、姫奈は翔に喋らせなかった。昨夜、部屋で夕食を一緒に食べているときも、いつもの弾けるような笑顔を振りまく姫奈とはまるで別人のように、むすっとした表情でただご飯を口に運んでいただけだった。

 

 もしかしたら姫奈は、自分が選ばれなかったと思い込んでしまったのだろうか。だとしたら彼女の突然の行動に説明がつく。

 でも納得はできない。翔はまだそらちゃん本人に再会したわけではないのだ。それに、別に翔はそらちゃんと姫奈のどちらかを選びたかったわけではない。ただ、ここまで来たらそらちゃんの秘密を知りたいと思っただけだし、昨日の手紙に書かれていた「たすけてくれた」という言葉も気になっていた。翔は自分がそらちゃんに助けられた側だと思っていたのに、彼女は違うと思っていたらしい。そらちゃんは、まだ何か翔の知らない真実を知っている。


 これからという時なのに。姫奈は翔の隣から姿を消してしまった。

 もっと、自分の気持ちをうまく言葉で伝えられたら。

 昨日から、翔の胸中には戸惑いが渦巻いている。その渦は、疑問と怒りと悲しみを巻き込んで大きくなっていく。

 布団がかかった自分の両膝に顔が埋もれてしまうくらい、翔は俯いた。


 ——下ばっか見てないで、わたしと遊ぼう!


 こんなときに限って、頭の中でそらちゃんの声が鈴の音のように響く。

 あー! という叫びを布団の中に吐き出し、翔は顔を上げた。

 スマホには、姫奈からのメッセージが表示されていた。


『昨日はごめん

 ちょっと冷静にならなきゃよね

 私も、自分がやるべきことを見つけようと思うの

 だから、探さないで』


 こんなことを言われたら、今すぐにでも姫奈を追いたくなってしまう。深読みするなら、姫奈はそうしてほしいのかもしれない。そうすれば姫奈は、私を選んでくれたのね、と機嫌を直してくれるかもしれない。


 だけど、そらちゃんについて曖昧なまま東京に戻ってしまったら、モヤモヤとした気持ちのまま過ごさなければいけなくなる。何らか自分なりの結論を出さないと、これから姫奈に対しても顔向けできないような気がしている。


──そらちゃん探しを続けよう。可能な限り。


 鉛のプレートのように重かった布団は、翔が決意を固めた途端に軽くなった。翔はそれをはねのけて、布団から出た。


 途端に、部屋の扉がガタンと大きな音を立てて開いた。


「翔くん!」


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