第39話
それから翔は、曽良島と同じゲージに入り、さっき姫奈が柳葉にしてもらっていたのと同じように、バッティングのやり方を教わった。曽良島は感覚で物事を捉える大雑把なタイプらしく、教えてもらうときのボキャブラリーがほとんど擬音語だった。
それでも、それなりに打てそうなフォームは作れたので、姫奈たちが使っているゲージから最も離れた場所にある80km/hのゲージに入って、何度か打ってみた。
だけど、とにかく難しい。
高速で向かってくる米粒みたいに小さなボールを細いバットに当てるのなんて、天文学的な確率だ。安定性に欠けると思っていた曽良島の打撃でさえ、130キロの球をほとんどバットに当てていたのに、翔は何度振っても掠りもしない。
ようやく一球前に飛んだ頃には、ワンゲームの30球が終わった。
姫奈は呑み込みが早いらしく、すでに何度もボールをバットに当てている。
翔も負けじとバットを振った。白いシャツが透けるくらい、汗まみれになった。
2ゲーム目が終わってゲージを出たとき、左の手の平が傷んでいることに気が付いた。見ると、薬指の付け根あたりに水ぶくれができてしまっていた。幸いまだ破れてはいないが、何もスポーツをしてこなかった翔の薄くて貧弱な皮膚では、今のままバットを振り続けていたら次のゲームが終わる頃には血だらけになっているだろう。
「大丈夫すか。とりあえずテープ巻きましょう」
曽良島がすぐにテープを持ってきてくれた。
翔は曽良島と並んでベンチに腰かける。
「初心者なら、誰もが通る道っすから」
おおらかに微笑む曽良島。彼は大柄な割に手先が器用で、あっという間にテープを巻き終えてしまった。さっきのバッティングの大味さとはまるで対照的だ。
「驚いたっすか? もう何回も手のマメ潰してるから、テープ巻くの慣れてるんすよ」
「曽良島くんにも、こういうときがあったんですか?」
彼は「ありましたよ」とはにかむ。
「ってか、そろそろ敬語やめていいっすか、同い年だし」
「……あ、うん」
翔の反応を確かめてから、安心したように曽良島は話を続けた。
「初めのころは、バットを振るのが嫌で嫌で仕方なかったなー。だって痛いし。試合で空振り三振したらコーチから怒られるし」
「それなら、どうして野球始めたの?」
「ただ、親が俺に何かをやらせたかっただけだよ。放っておいたらゲームばっかりやるから、家から出したかったんだと思う」
「曽良島くんがゲームっ子なのは、今の姿から想像できない」
「でしょ? 俺もそう思う。だって今は野球の方が圧倒的に楽しいし、野球やってる自分の方が好きなんだよね」
「どうして、野球を続けられた?」
「そうだなあ」
あごに手を当て、考える素振りを見せる曽良島。
その視線の先には、黙々と速球を打ち返す柳葉の姿がある。
「認められたい、って思ったからかな」
曽良島はうっとりとした眼差しのまま話を続ける。
「尚政は、俺より少し先に野球を始めてたんだよ。俺が始めたての頃は、柳葉に教えてもらいながら野球やってた。家も近所だから、野球以外のことでもよく遊んだんだ」
「そういえば二人は、幼馴染だった、のか」
だった、と言ったのは無意識だった。だが、曽良島が柳葉に向ける眼差しが、同性の幼馴染に対するそれではないことを、翔は内心気付いている。
「昨日と今日話して分かったと思うけど、あいつ、めちゃくちゃ厳しいんだよ。自分にも他人にも。だから野球だって俺より断然うまいし、人に教えるのも上手だから、例えば他の人が俺たちに何か頼みごとをする時は、たいてい尚政の方に頼むんだ。俺があいつに勝てる事って、ほとんどない気がする。だからこそ、俺は一回でもいいから尚政に褒められたいんだよね。尚政が教えてくれた野球で」
それから曽良島は翔の方を向いて、人差し指を立てた。
「今の話、尚政には内緒だからね」
「分かってる」
ゲージ内にいる柳葉が一瞬こちらを見たが、翔と曽良島はそっぽを向いてごまかした。柳葉は小首を傾げた後、またバットを振り始めた。
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