第37話

 明日うみかぜ公園に行く約束を取り付けた翔と姫奈は、自分たちの部屋に戻って夕食を食べた。女将さんが運んできてくれた、岡山の名物料理の数々。お腹がはち切れるほど食べた二人は、そろって布団の上に仰向けで倒れこむ。


「うー、さすがの私も食べすぎたわ」

 姫奈は浴衣の上からお腹をさする。

「逆に、よくそんなに食べれるな。感心する」

「翔くんは苦しくないの?」

「めっちゃ苦しい。姫奈は無理してない?」

「確かめてみる?」


 姫奈が手を差し出してくる。翔はいつも通り手を握った。

 日焼け止めの種類によって、手を握ったときの感触で姫奈が無理をしているかしていないかを判別する、いつもの方法。かと思ったら、姫奈は翔の手を自分のお腹の上に持っていった。


「どう? 妊婦さんみたいでしょ」


 驚いた翔が思わず手を引っ込めると、姫奈は「ししし」といたずらっぽく笑った。柔らかく、守ってあげたくなるような膨らみを、翔の手が覚えてしまった。


「そうだ! せっかくだし今日撮った写真をあの二人にも共有しましょ!」


 姫奈は、枕元でコンセントに繋がれているスマホを手に取り、操作を始めた。あの二人というのは、哲太とみみちゃんのことだろう。四人のグループに写真を送ったらしく、翔のスマホも連続で震えた。


 翔はスマホを開き、姫奈が送った写真を確認する。きびだんごパフェの写真から、二人で一緒に映った写真まで、必要最小限しか撮らなかったはずだが、そこそこの枚数があった。


 姫奈は写真に続き、メッセージも打ち込む。スマホのスワイプ入力全国大会があったら上位入賞は確実にしそうな、慣れた手つきだ。


『今日は翔くんと岡山!』

『美観地区できびだんごをたくさん食べたよ!』

『夕食も豪華!』

『私のお腹には赤ちゃんが出来ちゃったみたい。翔くんも、たぶん五キロくらい太っちゃいました!』

『みみちゃんがラブラビのシフト入ってくれたおかげで満喫できてます、ありがとう!』


 メッセージを見た翔は、すかさず「五キロも太ってない」と口頭で反論した。

 それに、さっきから満腹のお腹を「赤ちゃん出来た」と表現するのが気まずくて注意しようと思ったのだが、変に意識してしまっていることを揶揄われそうで言えなかった。

 姫奈のメッセージに対して、すぐに返信があった。みみちゃんからだ。


『ふわー』

『二人が楽しそうで、私もうれしいの』


 姫奈は彼女のメッセージを見て「受け答えまで天使だわ」とつぶやく。


『今日は、私からも報告があるの』


 翔と姫奈は顔を見合わせた。

「なにかしら?」


『今日、ラブラビに哲太くんが遊びに来てくれたの』


 続いて一枚の写真が送られてきた。


『恭子さんが撮ってくれたの』


 写真には、見るからに不器用な手つきでうさぎを抱く哲太と、そのうさぎに手を添えるみみちゃんの姿。おそらくみみちゃんが哲太にうさぎの抱き方を教えてあげているところだろう。

 肩が触れ合いそうなほど近づいている二人。みみちゃんは哲太を見つめて微笑んでいる。

 哲太は、手つきこそぎこちないが、いつも翔に見せるのとは違った柔和な表情だ。


 そして、写真に映る二人の影にも変化が表れていた。

 哲太の影は鮮やかな紅。以前までの薄いピンク色からずいぶん濃くなった。

 みみちゃんの影も、うさぎジャムパンを哲太が買ってあげた時より、かなり濃くなっている。


 女子のことより電車に興味があった哲太と、男子のことよりうさぎに興味があったみみちゃん。二人は少しずつだが惹かれ合っている。どこか内向的だった二人が、お互いに影響を受け、外交的な性格に変わった。


 隣で寝ころんだままスマホを見ている姫奈も、二人の変化には気づいたようで、「すごいわね、恋の力って」とつぶやく。

「いまの二人が幸せなの、写真からでも伝わってくるわ」


 相手に影響を受け、自分が変わってしまうもの──それが恋だとするならば、自分にとって姫奈とはどういう存在なんだろう。

 スマホを見つめる姫奈の嬉しそうな顔を、翔はふと盗み見る。


 初めは嫌々だった。強引にそらちゃんと姫奈との二択を迫られ、そらちゃんを見つけるという共通の目的のために一緒に行動するようになった。

 いわば、「仲間」だったはず。それが今となっては、手を繋ぐことに抵抗が無くなってしまったし、間接キスだってしてしまった。そもそも、すんなりと許容してしまったが、旅行するときの部屋が同じということも、普通の関係の男女なら間違いなくありえない。


 それに内面的にも、姫奈を通して人とのつながりを持てるようになったし、知らない人とも会話ができるようになった。なにより、今日岡山の街を一緒に巡ったときにも思ったのだが、姫奈と一緒にいる時間が楽しい。これは一体……。


「ねえ翔くん、さっきから私の顔見て、どうしたの?」


 姫奈が不敵な笑みを浮かべながら翔の顔を覗き込んでいる。


「もしかして、変な気持ちになっちゃった?」

「──違う」


 翔は姫奈から隠れるように慌てて布団を被った。頭まで隠し、完全な防御態勢をとる。


 ──違う、違う。オレは、そらちゃんに会わなきゃいけないのに。


 そらちゃんに会って、自分の気持ちを確かめる。そのために姫奈に協力してもらっているのに。姫奈を好きになるなんて、そんなこと、あってはならない。


「仕方ないよね、翔くんも男の子だもん。ねえ翔くん?」


 布団の上から姫奈が翔の体を揺する。


 ──姫奈はオレをからかっているだけだ。真に受けちゃいけない。本気になっちゃいけない。


「翔くん、寝ちゃったの? ねえ、ねえってば」

「だから違うって!」


 反射的なものだった。翔は声を荒げながら体を起こし、布団の上に乗る姫奈の手を弾き飛ばしてしまったのだ。


「あ……」


 慌てる翔の目の前には、尻餅をついて怯えるような表情でこちらを見ている姫奈の姿。謝ろうとしたが遅かった。

 逃げるように、今度は姫奈が自分の布団にもぐってしまった。


「……もういい、私寝るっ!」


 密閉された布団の中から、くぐもった姫奈の声が聞こえた。

 からかわれること自体は、姫奈と一緒にいる時間が長くなるにつれて慣れてきていたはず。だが、今のはなんだか自分の気持ちを軽んじられたような気がして強く拒絶してしまった。別に姫奈には悪気があったわけではなさそうだし、いつも通り接したつもりだっただろうに。

 翔は姫奈が入っている布団に手を伸ばす。が、力なく落ち、独りでに空を切った。


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