第31話
姫奈は深く息を吸ってから、話し始めた。
「私が翔くんに話しかけたのは、影が原因なのよ」
「うん」
「影の無い翔くんに好きな人ができて、影が色づいたら、私も幸せになれるってことの証明になると思ったの」
翔は、すぐには姫奈の言い分を理解できなくて、曖昧に「うん」と頷いた。
「だから私は、翔くんが誰かを好きになって、幸せになってほしいって思ったのよ」
「……ん? 姫奈は、オレのことを不幸だと思ってる?」
彼女の理屈で考えるなら、影の色が無い翔は幸せではないということになる。
「まあ、幸が薄そうではあるわよね。色白だし」
姫奈は冗談めかして笑い、すぐに続けた。
「最初はそう思ってた。だって、誰の告白も受け入れないなんて、幸せじゃないって思ったから。でも、言われてみれば、もし影が無い人が不幸なのだとしたら、私と翔くんだけが不幸だなんて、おかしな話よね。そんな理不尽な仕打ちはないわ。私はさておき、翔くんが不幸とは限らないのにね」
「……姫奈は、自分が不幸だと思ってる?」
少し間があった後、姫奈は「どうだろう」と答えた。
「親の愛っていうのを知らずに育ってきたから、小さい頃からずっと、私は不幸なんだと思ってた。愛を注ぐ器があるとしたら、私のは空だった。だから、それを満たすために、女の子らしくして、たくさんの人に話しかけて、友達をいっぱい作った。頑張ったのよ、私」
「すごいな、姫奈は」
影が無い者同士でも、翔と姫奈とでは向き合い方が違った。
翔は影が無いから、そらちゃんに縋った。他人の影の色が煩わしくて、不要な人付き合いを避けてきた。前を向いてと言われたのに、結果的には、前を向かないための言い訳として、そらちゃんを使ってしまっていた。
それに対して姫奈は、影が無いから、人とのつながりを求めた。翔には出来なかったことだ。いろんなものから逃げてきた翔と違って、姫奈はなりたい自分になるための努力を続けてきた。
そのことを、翔は素直に尊敬した。
「オレはもしかしたら、今まで手に入れられるはずだった幸せを逃してきたのかもしれない」
「ごめん、不幸とか幸せとかって話、私が考えた仮説なんだけど」
申し訳なさそうな姫奈の声が聞こえたが、翔は構わず話を続ける。
「姫奈がオレに声をかけてくれて、バイトに行くようになって恭子さんと知り合って、みみちゃんとも仲良くなれた。姫奈に比べたらほんの少しかもしれないけど、つながりが出来始めてる気がする。姫奈の狙い通り、オレも少しは幸せになれたような気がする」
抜け出せなくなっていた沼。溺れそうな翔に手を差し伸べてくれたのは、紛れもなく姫奈だ。
ふと、翔の左手が、ぬくもりを感じていた。
姫奈の手だ。気付いたときには、翔の指は全て、可愛らしい細い指に絡めとられていた。
暗闇の中だからか、肌の柔らかさをいつも以上に感じてしまい、翔は自分の手が少し汗ばむのを感じた。ハイタッチとか、手を繋ぐこととか、今までに何度もしてきたはずなのに。
「——姫奈?」
「つながり!」
「つながり?」
「そう! これがつながりよ!」
「あ、いや、さっきオレが言ったのは、物理的な繋がりじゃなくて概念みたいな……」
しかし姫奈は、まるで翔の言い分に耳を貸そうとしない。
強く握られたままの手を、上機嫌で前後に揺すり始めた。
「私、気付いちゃった!」
「何?」
「ねえ、この暗闇の中ならさ、影があるとか無いとか、分かんないね」
姫奈の声が弾んでいる。
当たり前のことなのに、妙に納得してしまう。あれだけ気にしていた影の色が、この暗闇の中では全く見えない。ただ、あるのは、繋がれた姫奈の右手だけ。
「この暗闇も、月の影が作ってるのに」
翔が言うと、姫奈は笑った。
「たしかに! 翔くん天才!」
「どうして、それは見えるんだろう。オレ、生き物以外の影は見えないはずなのに」
「さあ。太陽がいて、月が幸せだからじゃない?」
今の翔にとっての太陽は、姫奈のような気がした。
地球上にいるみんなを照らす太陽。誰にでも分け隔てなく光を与える。まるで翔とは正反対な。でも、光だけでなく、影もつくる。だからこそ目が離せなくて、近くにいなきゃと思わされる存在。
「いよいよ岡山だね」
姫奈は繋がった手をブランコのように揺する。
「分かるといいね、そらちゃんのこと」
翔は、あの日のことを思い浮かべた。
翔に声をかけてくれた、そらちゃんの顔を。彼女は今、何をしているんだろうか。もしかしたら翔のことを覚えてないかもしれないし、相手にされないかもしれない。
だがそんな不安も、姫奈と手をつないでいたら少し和らいだ気がした。
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