第23話

 ベッド横、翔の隣にあるもう一つの丸椅子の上には、姫奈のスクールバッグが置いてある。


「使うなら開けてもいいわよ」


「? この前、この中は女の子の秘密がどうとかって……」


「ばか。私、ベッドから起きられないから、開けてもいいよって言ってるの」


 じゅうぶん姫奈からも手の届く範囲にあると思うのだが。

 彼女の変化を理解できないまま、翔はひとまずバッグのファスナーを開けた。封じ込められていた香水のような甘い香りが、真面目な匂いの病室内に溶け込んでいく。


「黒いポーチの中だけは見たら殺すからね」

「ん」


 よっぽど知られたくない秘密、身分証なんかが入っているんだろうと、翔は思った。冗談の口調ではなかったので、そのポーチを見つけたがスルーした。


 その隣に日焼け止めが入っていた。

 ピンク色のパッケージに、花の形を模した金色のキャップ。いつものローズマキアだ。

 そして翔はもう一つ、床に置いてある自分のバッグから愛用の日焼け止めを取り出した。こっちは白地に青色の文字で「アクアスキン」と書かれている。


「何するつもりよ?」


「この『ローズマキア』と『アクアスキン』、姫奈の両手にそれぞれ塗っていい?」


「いいけど」


 戸惑いの表情と共に、姫奈は両手を差し出す。翔は姫奈の左手にローズマキア、右手にアクアスキンを垂らし、二つが混ざらないように、自身の手と姫奈の手をそれぞれ組むようにして日焼け止めを塗り込んだ。


「もし今後、ちょっと疲れたとか心が苦しいって感じたときは、アクアスキンの日焼け止めを使って。オレのあげるから」


「あ、うん」


「で、普通に日焼け止めを使いたいときは、いつも通りローズマキアを塗る。とにかくアクアスキンを塗っているときは、姫奈がちょっと危険な状態だって分かるようにする。そうすれば、無理しなくなるでしょ」


「危険な状態って大袈裟だけど。……っていうか、そもそもローズマキアとアクアスキンの違いなんて分かるわけ? どっちも無香料だし、私にはさっぱり違いが分からないんだけど」


 翔は姫奈の右手を掴み、両手で握る。


「オレには分かる。日焼け止めマイスターをナメないでほしい」


 長年いくつもの日焼け止めを試してきた翔にとっては、その二つの違いを認識することは造作もないことだ。無香料といえども、どの日焼け止めも必ずその商品特有の薬品っぽい匂いを持っているし、塗ったときの肌ざわりや潤い加減、べたつきが全く異なる。

 逆に翔は、誰しもそれが出来て当たり前だと、ついこの前まで思っていた。哲太に指摘されて初めて、それが特殊であることを知ったのだ。


 翔は姫奈の反応を窺う。予想通り、姫奈は驚いて見開いた目をぱちくりさせていた。少しは動揺したかと、翔は得意げになった。


「どう? オレの策は」

「ごめん、ちょっと引いた」

「おい」

「嘘よ、うそ! でも、ありがと。これなら私も大丈夫そう」

「よかった」


 笑顔の姫奈は、翔の両手を包み込むように握った。


「私、ちゃんと休むから。絶対行こうね、岡山」

「うん」

「約束」


 姫奈は小指を立てて翔の顔の前に捧げた。

 翔もそれに応じて、二人は小指を結んだ。


 翔は病室をあとにした。去り際の姫奈は、熱で確かめるかのように、頬に手を当てていた。

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