第20話
そうして翔は今、病室にいる。
窓際の小さな丸椅子に腰かけ、眠っている姫奈の様子を見守っている。
翔がいるのと反対側、姫奈の左前腕には点滴の針が刺さっている。
「……ん、……」
ふと、姫奈がうなされるような声を出した。彼女の上向きな長いまつ毛が、ゆっくりと持ち上げられていく。
「姫奈!」
思わず声を張り上げてしまい、翔は慌てて息をひそめる。
「姫奈、」
「ぁ……、おはよう」
姫奈は力なく笑う。
「翔くん、うるさいよ」
「っ、よく言う。オレがどれだけ心配したか——!」
声を押し殺して翔は言った。
姫奈は細めた目で辺りを見回す。それから小さく「あー」と息を吐いた。
「そっか、私……」
姫奈は今の状況を察したらしい。取り乱している様子がないのをみるに、過去にも何度かこういうことがあったんだろう。何事も無かったかのように上体を起こそうとする。
急いで両手を添えようとする翔を、「大丈夫よ、これくらい」と手で制する。
「大丈夫じゃねえだろ」
「ごめんね翔くん、心配かけちゃって」
——オレがどれだけ心配したか。
つい口から出た、先ほどの自分の言葉を反芻する。
心配する資格なんて、あるんだろうか。たしかに姫奈のことが心配だったのは事実だ。だが姫奈がこうなってしまうまで何もできなかった。違和感は所々にあったのに、それらに触れようとしなかった。
これではまるで、被害者ぶった共犯者だ。
「オレは、姫奈が無理するのを見たくない」
胸に溜まっていた本音が、蛇口を一気に捻ったみたいに溢れ出す。
「だいたい姫奈はいつも勝手すぎる。いきなりオレに絡んできて、振り回して。岡山にまで一緒に行くって言い出して。そんなこと言ってくれる人はこれまでいなかったから、最初は戸惑ったけど正直嬉しかった。姫奈のおかげで、オレは今までよりも少しだけ、人に心を開けるようになったと思ってる。それなのに姫奈は、人の懐にぐいぐい入り込むのに、自分の心の中は見せようとしない。そんなの不公平だ」
「──ちょっ、翔くん?」
「オレが頼りないから、っていうなら仕方ない。人間関係とか難しくてよく分からんし、興味がない女子からの告白を断り続けてきたから、女心なんて全く分からん。でもオレは、少なくとも興味が無いわけじゃない子が、目の前で無理しているのを見たくない。見て見ぬふりするのはもっと嫌だ」
いつもの姫奈なら「それって告白?」なんて、悪い顔でからかってきそうなものだが、ただ目の前の一点を見つめたまま。
「……私はね、幸せにならなきゃいけないの」
呪いの言葉でも吐くように、姫奈は静かに言葉を紡ぐ。
「いろんな人と仲良くなって、いろんな美味しい物をたくさん食べて、いろんな場所に行って……。今しか出来ないことを逃したくないのよ。そのためには時間がいくらあっても足りない。お金だって必要よ。だからとにかく詰め込んで、詰め込んで、何事もお腹いっぱいになるまでやりたいの。腹八分目より、満腹の方が幸せでしょ?」
「どうして姫奈は、そんなに……」
すると姫奈は目線を上げた。
「これから話すことは、二人だけの秘密だからね」
翔はゆっくり頷く。
それを横目で見て、姫奈は口を開いた。
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