第17話

「そういえば恭子さん、夏休みの件、大丈夫そう?」


 姫奈は何事も無かったかのように尋ねた。


「うん、モーマンタイよ。お盆は私の友達もお店を手伝ってくれるみたいだし、みみちゃんも他のバイトの子も、稼ぎたいからって日数を増やしてくれて」


「夏休みの件って、岡山に行くこと?」

 翔は姫奈に尋ねる。


「そうよ。それ以外ないでしょ?」


「そうだけど、もう話がついてるとは思わなくて」


「善は急げ。それが私の信条だから」


「あ、そうそうシフトの件なんだけど、」

 そう言いながらキッチンの奥に戻った恭子さんは、一枚の紙を持って戻って来た。


「姫奈ちゃんが7月の翔くんのシフトを組んでくれてるから、ちょっと見て確認してちょうだい。入れないところがあったら修正するから」


 差し出された紙を見てみる。

 翔の名前は、当たり前のように土日祝日全てに書かれていた。

 一瞬気が引けた。しかし岡山遠征は自分のための行事だ。姫奈にも付き合ってもらっておいて、今更引くわけにはいかない。


「これで大丈夫です。全部入ります」


 問題はない。だが、自分のシフト以上に気になることがある。

 それは、姫奈のシフトだ。土日祝日はもちろん、お店の定休日である火曜日以外の全ての平日も、夕方から閉店までの時間帯で名前が書かれているのだ。


「姫奈は大丈夫なのか?」


 しかし姫奈は首を傾げる。


「なんのこと?」


「シフトが、入れるところ全部に名前が書かれてる気がするけど」


「大丈夫に決まってるわよ。だって、8月1日までに二人で20万稼がなきゃじゃん」


「そうだけど……」


 今の姫奈には、それしか見えていないようだ。そんな彼女に「大丈夫?」と聞くことがいかに無駄か、翔は思い知った。

 恭子さんは頬に手を当て、うっとりした表情を浮かべる。


「いいなー、若いって。二人で岡山に旅行行くんだもんね。はー、私も高校時代、そういうことしたかったなー」


「えー、恭子さん可愛いから、絶対モテてたでしょー?」


「もう全っ然。どちらかというと大人しい方だったから、そういうのは全く無かったなー。今思うと、もっと頑張って男の子に話しかけるべきだったわ」


「えー、なんか意外かも。恭子さん、学生の頃から今みたいな親しみやすい人だったのかと思ってた」


「誰が『やかましいオバサン』ですって⁉」


「そういうのだよ、そういうの。ちょっと空耳がひどいよ!」


 それから三人でひとしきり笑った。


「はーあ」と息をついた恭子さんは、シフト表を仕舞った。


「うちはそこまで忙しくならないお店だから、シフトも柔軟に対応するし。翔くんも遠慮なく相談してくれていいからね、シフトのこと」


「分かりました。いろいろ迷惑かけるかもしれませんが、よろしくお願いします」


「恋愛のことも、アラフォー独身おばさんの私でよければ、相談に乗るからね」


「は、はい……」


「それと、いくら若いからって、無理はしないこと。特に姫奈ちゃん。分かった?」


「はーい!」


 姫奈は元気よく手を挙げた。

 恭子さんはため息をつく。


「ちゃんと寝て、栄養のあるもの食べて、できれば恋愛して、ほどほどに勉強して。そうやってみんなが楽しく過ごせるように、私も応援してるから。いつでも私を頼って。ね」


 恭子さんは微笑んだ。その顔を見て翔は、このお店でバイトをすることになってよかったと思った。恭子さんになら、今後もし何か大変なことがあったとしても相談できそうだ。


 そうして、今日の営業は終わった。

 初バイトの初日にしては、かなりディープな一日だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る