第9話
翌日の放課後。
姫奈に連れられて、翔は未知の場所に来ていた。
「ここは……」
普段翔たちが通るのと反対側の駅前通りを何度か曲がり、辿り着いた二階建ての小さなビル。
姫奈が指さしたのは、その一階だ。手塗りっぽい真緑のヒサシの下はガラス張りで、店内の様子が見えるようになっている。向かって右側には、テーブル席が2つとカウンター席が4つの、カフェっぽい空間。そして、向かって左側には間仕切りで囲まれたスペースがあり、小さなケージが10個くらい置かれている。ソファーも置いてあり、広々としている。
そして、ゲージの中で蠢く、それぞれ違う毛色をした、もふもふの愛らしい生き物。
「うさぎだ」
翔は見たままを呟いた。
姫奈は自慢げに、ふふん、と鼻を鳴らす。
「そう! ここが私の働いている、うさぎカフェ『ラブラビ』よ!」
「ラブラビ……」
姫奈は、自宅に戻ってきたみたいに慣れた様子でお店の扉を開ける。
「おはようございまーす」
翔も細々と「おはようございます」と、後に続いた。
「
「あら姫奈ちゃん、おはよう」
カフェカウンターの奥から、エプロン姿の女性が現れた。丸みのある鼻と長いまつ毛が、どことなくうさぎっぽい。目尻にうっすらと笑い皺のある、翔の母親より一回りくらい若そうな、優しげな雰囲気の女性だ。
彼女は翔の姿を見るなり、「まあまあまあ」と近付いてきた。そしていきなり手を握ったかと思うと、姫奈に尋ねた。
「この子が、新人の子?」
「うん! 七瀬翔くん。私と同じクラスで、バイト先を探していたから連れてきたの」
「……な、七瀬翔、です。よろしくお願いします」
「来てくれて嬉しいわー。ちゃんと挨拶もできるし、とってもいい子そうじゃないの。なによりイケメンだし。よし合格!」
翔の眉間に、わずかに皺が寄る。翔は「イケメン」と言われるのがあまり好きではない。その言葉は、翔の外面を肯定するが、内面を否定する。何かが出来たら「イケメンだから」と言わて片付けられ、出来ないことがあると「イケメンなのに」とからかわれる。
「よかったわね、翔くん、今日からここで働けるわよ!」
姫奈は嬉しそうだが、翔は急に不安になってきた。
「いい子を連れて来てくれてありがとう、姫奈ちゃん」
恭子さんは姫奈の頭を撫でる。「よしよしよし」と優しげな声と共に、顎の下を指でくすぐる。姫奈もまんざらでもなさそうに応じる。もう二人の間では、翔がここで働くのは確定のようだ。
撫でられながら、姫奈は気遣うように翔に視線をやった。
「私たち、いつもこんな感じなの。翔くんも気を付けた方がいいよ。恭子さん、人をうさぎみたいに扱うから」
「誰が、『うさぎばかり可愛がっているから結婚できてない行き遅れ女子』だって⁉ ねえ姫奈ちゃん⁉」
「誰もそんなこと言ってないから!」
恭子さんは怒っているような声色を演じ姫奈の髪を荒々しく撫でる。そして二人で笑いあう。
そんなやりとりを見て呆気にとられながらも、翔の眉間からは徐々にシワが消えていった。
恭子さんの影は、真夏の晴れ空のように濃い青色で、ところどころに雲のような白色が浮いている。あまり見たことのないタイプだ。男性への関心が強く、結婚を諦めていないということがひしひしと伝わってくると同時に、うさぎに対する愛も伝わってくる。
癖が強そうな恭子さんだが、裏表はなく、悪い人ではなさそうだ。それに、クラスメイトの姫奈と一緒に働けるなら安心だろう。
翔はここで働くことを決めた。
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