第6話

 翌日の放課後。

 いつも通り哲太と駅で別れた二人は、道中の公園に立ち寄った。東屋に入り、別々の木造ベンチに腰掛ける。


「なんだか今日は、ずっと暑かったわねー」


 翔も姫奈も、一日中ワイシャツで過ごしていた。もう上にブレザーを羽織っていられる暑さじゃない。

 二人とも制服の着こなしは常に模範的だが、さすがに校外では暑さに負けた。翔はシャツのボタンを上から二つ目まで開け、姫奈は学校指定の赤いリボンを外して、翔と同じようにボタンを外した。


「翔くんって、腕まくりしないわよね。他の男子はみんなしてるのに」


「日焼けするのが嫌だから」


 手にはしっかりと日焼け止めクリームを塗ってある。翔にとっては暑さ対策よりも日焼け対策の方が優先だ。だから他の多くの男子と違って、長袖シャツは腕まくりせずに着用している。


「で、人探しの方法なんだけど」

 リボンを通学カバンに仕舞って、姫奈が話を切り出す。

「何か手がかりはあるのかしら?」


「オレが知ってるのは、その子の名前くらい」


「それはなかなか有力な手がかりね」


「ただ、下の名前しか分からない。まだ保育園に通っていた時期だから、もう十年以上前のことだ。ほとんど情報が無いと言っても過言ではない」


「下の名前だけでも立派な情報よ。で、その子の名前は?」


「名前は、『そら』ちゃん。苗字は覚えてないけど。特徴は、ショートカットで男勝りな子だった、気がする」


 当時から人見知りで、いつも俯いていた翔に、そらちゃんは声をかけてくれた。

——下ばっか見てないで、わたしと遊ぼう!

 翔は今でも、落ち込んだ時にはその言葉に励まされることがある。


「このことを知っているのは、虹ヶ丘さんの他には哲太だけだ。女子に話すのは初めて。そらちゃんについては、今でもSNSなんかで調べてみたりするけど、それらしい情報は見つかってない」


 なぜ、そらちゃんと「結婚する」なんて約束をしたのか。それは思い出せない。幼い子特有の憧れだったのだろうか。それにしては本気だった気がする。そうしなければいけない義務のような。だから、今になってもその約束に執着しているわけで。

 だがどうしてか、その記憶は黒影にでも覆われているように、約束したこと自体は思い出せても、何があってその約束をするに至ったのかは思い出せない。


「その子が今どのへんに住んでいるかは分からないの?」


「いるとしたら、岡山」


「岡山⁉」と、姫奈は目を見開く。

「そんな遠くにいるのね……」


 姫奈が驚くのも無理はない。

 ここは東京都八王子市のお隣・九女川くめがわ市だからだ。


「オレは昔、岡山に住んでた。そらちゃんに会ったのも岡山だ。だけどオレは保育園を卒業するタイミングで引っ越したから、その後のことは分からない」


「それなら岡山に行ってみるしかないわね!」


「はぇ⁉」


 今度は翔が驚く番だった。姫奈はすっかりいつもの調子に戻っている。


「行って確かめてみればいいじゃない」


「そうだけど。……というか、さっき自分で『そんな遠くに……』って言ってたのに」


「遠いことには変わりないわよ。でも、大切な人に会いに行くのに距離なんて関係ないわ」


「でも、行こうって言ったって、そんな気軽に行けるようなところでもないだろ。新幹線を使って、往復で三万円くらいかかる」


 どれくらいの交通費がかかるかは、計算するまでもなくパッと思い出せた。翔は今までに何度も岡山に行きたいと思って、その度に調べていたからだ。

 しかし、調べるだけで行動に移そうとはしなかった。

 大金をかけて岡山に行ったにも関わらず、そらちゃんと会えなかったら。もし、そらちゃんが約束を覚えていなかったら。その時は小さくないショックを受けるに決まっている。それに、結婚は十八歳にならないと出来ない。

 本気だからこそ自分のなかで言い訳を重ねてきた。一歩が踏み出せなかった。


「大切な人を探すためなら、三万円なんて安いものよ」


 本気で言っているのかと、翔は問おうとした。だが姫奈の真剣な表情は、決して冗談を言っているようには見えない。


「もしそこで、そらちゃんを見つけることができなかったら?」


「その時はその時よ。また新しい場所を探せばいいわ」


 翔は思わず笑った。無茶苦茶だ、無茶苦茶なのは間違いない。だが、姫奈が自信満々に話すものだから、やけに説得力がある。出来る、と思わされてしまう。


「……行くか。岡山」


 半ば勢いに任せる形で、翔は岡山行きを決めた。

 姫奈は両手をパンッと合わせた。


「それじゃ決定ね!」

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