第5話

 それからというもの、翔の登下校に姫奈が付きまとうようになった。

 始めのうちは、後ろからコソコソと尾行しているだけだった。だが、それが始まって一ヶ月経った頃くらいから、平然と、一緒に登下校をするようになっていた。


 姫奈は、登校時は哲太と同じ電車で駅前に集合し、下校時は翔の家の前まで付いてきた。

 姫奈と一緒に歩いているところをご近所さんに目撃され、付き合っていると勘違いされたことが何度もあった。誤解されて羨望の眼差しを送られることに、翔は苦痛を感じていた。


「最近、日が長くなってきたわね」

 今日も当たり前のように隣を歩く姫奈が言う。


「もう六月だから」


「二ヶ月近く一緒に登下校してるわけだけど、本当に誰のことも好きにならないのね」


「ああ」


「何人か放課後に告白してきた女子がいたけど全部断ってたし、仲良くしてる女子もいない。それどころか、哲太くん以外の男子とも全然絡んでなかった。驚いたわ」


「最初からそう言ってる」


「そっか……。──それなら、最終手段に出ようかな?」


 跳ねるように前に出た姫奈は、ふわりと身を翻して翔と向かい合う。


「好きになってみない? 私のこと」


 計算されたように、姫奈の制服のリボンが揺れる。一ミリの皺の無いブレザーとスカート。膝下の両脚とも同じ高さで履いている紺のハイソックス。誰よりも艶のあるローファー。

 それは試すような言い方だったが、私のことを好きにならない人などいない、とでも言いたげな響きを含んでいた。


「そう言われても」


「えー? 私、なかなかの優良物件だと思うよ? だってほら、可愛いし」


「それを自分で言うか……」


「だって事実だもん。——で、どうなの? 私じゃダメ?」


 姫奈は少し前かがみになって、翔の顔を覗き込む。つぶらな瞳から繰り出される挑発的な目線の攻撃は、翔にとどめを刺そうとしている。

 だが、翔は姫奈の横を素通りし、平然とそれを回避した。


「ダメだ」


 イケメンだからとか、男だからとか、そういう属性だけで判断されて、今まで散々嫌な目に遭ってきた。だが、影が無い姫奈だけは違って、自分のことをまっさらな目で見てくれるのではないかと期待していた。しかし、こうも迫られると、断らざるを得ない。


 だが姫奈は食い下がる。「どうして? ねえ、どうして?」と翔に問うてくる。


 しつこい。こうなったら、もう正直なことを言ってしまおう。それを言えば、おそらく姫奈は鼻で笑うか、相手にせず立ち去ってくれるだろう。今までは笑われることを恐れて、ほとんど誰にも言わなかった事だ。しかし、こうも迫られたら言うしかない。

 翔は足を止めた。そして、緊張で舌が乾く前に一息で言った。


「昔、結婚を約束した子がいる」


 姫奈の反応を見るのは怖い。だが傷つくのは一瞬だ。呆れられて、この付きまといも無事終わってくれることだろう。いや、終わってくれ。そう願う。

 隣に並びかけてきた姫奈の表情を、翔はゆっくりと横目で確認する。

 彼女は目を大きくし、口を手で覆っていた。そして、ふさいだ指の隙間から「え」という声が漏れ出た。

 やっぱり呆れられた。そう思ったが、姫奈の反応は意外なものだった。


「それって素敵!」


 今度は翔が「え」と、思わず少し大きめな声を出してしまった。


「……素敵?」


 姫奈は、まるでファンタジー映画を観る子供のように目を輝かせながら、大きく頷く。


「うんうん! とっても素敵よ!」


「……いや、高校生にもなって、恥ずかしいだろ」


 どうせバカにされると思っていたから、この話は本当に心を許した相手にしかしないと決めていた。これを知っているのは哲太しかいなかった。

 それなのに。姫奈は大げさに首を横に振って、それが恥ずかしいことではないと訴えかけてくる。


「だから翔くんは、次の恋に踏み出すことが出来ずにいるってわけね! 約束した、その子のことが忘れられないから。なーんだ、そういうことだったのかー!」


 翔は観念するように頷く。

 姫奈は「なるほどねー」と納得したような表情を浮かべている。


「笑わないのか?」


「どうして笑うの? すごく尊くて素敵なことだって、私は思ったけど」


 予想外の肯定を受け、翔の色白な頬はほんのり桃色に染まる。

 しかし、喜んだのも束の間だった。


「そんなに未練があるならさ、その人に会いに行けばいいじゃない!」


 翔はまたしても驚かされて、思わず姫奈の顔を二度見してしまった。


「いやいや、そんな、」

「私は本気よ。私も協力するからさ」


「会いに行くって言ったって、そんな簡単に……」

「もったいないじゃん。だから、一緒にその子を探そうよ。で、その子と会って、選べばいいじゃない。その人にするか、私にするか。で、それでも翔くんに未練があって、その子を選んだら、私はもう翔くんには近付かないからさ。それならどうよ?」


 氷のように淡麗なポーカーフェイスだった翔の顔からは、すっかり余裕が消えていた。広げられていく話についていけない。なぜ急に二択を迫られているのか理解できていない。

 だが、今はとにかく、この付きまといから解放されることだけを考える。そうしなければ、姫奈の付きまといはいつまでも続くだろう。


「分かった」


 さっきの話をするよりは、勇気を必要としなかった。だが、返事をしてから気づいた。結局、その二択を迫られる状況になるまでは、今と変わらず姫奈から離れられないということに。


「じゃあ、翔くんの初恋作戦、開始だー! おー!」


 姫奈は何も気にしてなさそうだ。とにかく楽しそうに、跳ねるように拳を突き上げた。そして翔の顔を見つめる。

 促されて仕方なく、翔は拳を突き上げた。


「お、おー」


 仕方ない。あの子に再会するその日まで、我慢するしかない。

 待ってて、そらちゃん。

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