第3話

「今日は素敵な一日でしたね」


 下校中、隣を歩く哲太がつぶやいた。

 翔は反射的に「どこがだよ」と、敬語抜きのツッコミを入れる。


「朝に告白されて、さらにあの、虹ヶ丘姫奈さんにも話しかけられたんですよ。一般的な男子なら、明日死んでもおかしくないくらいの幸福です」


「大袈裟です。それに、虹ヶ丘さんは男女問わず色々な人に話しかけてました。哲太氏も帰るときに手を振られてましたし」


 姫奈のコミュニケーション能力は化け物レベルだった。二年生になって今日から新しいクラスが始まったばかりだというのに、既にクラスの中心人物になっていたのだ。

 男子たちは皆、自分が姫奈とどんな会話をしたのかでマウントを取り合っていた。

 女子たちの間では、誰が姫奈と一緒にランチを食べるかの争奪戦が起きており、最終的にはクラスの女子全員で輪になってランチを食べるという異常事態が発生していた。

 そして姫奈は下校時刻になると、挨拶をした人全員に満面の笑みと共に手を振る対応を見せた。もはや姫というよりも皇后さまのようだった。


「明日、小生が学校に来なかったら、事故に遭ったと思ってください」


「手を振ってもらっただけで、大袈裟な……」


「『だけ』って……。翔氏はモテるから何とも思わないのでしょうけど、小生からしたら一大事なんですからね」


 哲太の影は薄いピンク色に見える。鉄道などの乗り物が大好きな彼だが、女子に対する興味が全くないわけではない。他の思春期男子と違って趣味の比重が恋愛より重いだけで、クラスの姫様ともなれば、簡単にそのバランスが逆転するみたいだ。


「では翔氏、生きていたらまた明日もお会いしましょう」


「まだ言ってるんですか……。また明日」


 駅の前で、二人は手を振って別れた。

 この駅は翔の家の最寄り駅で、哲太の家とは逆方向だ。だが哲太は「電車に乗りたいから」という理由でこの駅まで歩いてくる。登校するときも、二人の待ち合わせはこの駅前だ。翔は「わざわざ遠回りをしてまで待ち合わせ場所に来てもらうのは申し訳ない」と、哲太との待ち合わせ場所を変更しようとしたこともあったが、哲太は「電車に乗らせてください」と言って聞かなかった。


 翔も電車をはじめとした乗り物は好きだが、どちらかというと見る方が好きだ。無機物は影が無い。だから好き嫌いを考える必要がなく、見ていて落ち着く。電車に乗るのが嫌いというわけではないが、乗客数が多いと無関係な他人の影の色が目に入ってきて、あれこれ考えてしまう。疲れるから、あまりそういう環境にはいたくない。


 翔は折り畳みの日傘をさし、最寄り駅から自宅への道を歩く。

 無機物の影が見えないということは、マンションや商業ビルが生み出す日陰がどこにあるかも分からないということだ。日差しの暑さを感じても避けることができないから、必要以上に日焼けしてしまう。

 そのため翔は、日焼け止めのクリームやスプレーをオールシーズン肌身離さず持ち運び、外出しているときには極力日傘をさすという対策を欠かさない。特技として「日焼け止めクリームのメーカーを当てること」を挙げられるくらいには徹底している。

 それにより、一般的な高校生男子以上の美肌をキープしている。人工的な白さの肌はまるで無機物で、翔はそれを保つことに喜びを感じる。

 ちなみに翔は、自分の影の色が分からない。分からないということは、見えていないに等しい。つまり無だ。


 家の前まで来た翔は、後ろに何者かの気配があるのを感じた。正確には、哲太と別れたあたりから、なんとなくそんな気がしていたのだが、気のせいだと思っていた。しかし比較的静かな住宅街に入って、その予感は確信に変わったのだ。


「出てきなよ」


 振り向きながら翔が呼びかけると、曲がり角の建物の後ろから制服姿の女子が姿を現した。


「見つかっちゃったー」


 虹ヶ丘姫奈だった。

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