第22話 白い悪魔とブラウニー(小説/ホラー)

 ロッジの外は雪が吹き荒れていた。

 それはか弱き精霊の命を持った子どもの兵隊などではなく、億兆の集団の力で地表を覆い尽くしてやろうという意思を持った破壊の軍勢である。それらはすでにロッジを囲むようにして立つ針葉樹の森を覆い隠していた。夏には美しい自然をながめることができた窓からの景色はいまや白一色の壁に覆いつくされ、ロッジを更なる白亜の密室で囲い込んでいた。

 身に迫る閉塞感を覚えた佑介は、不安に飲み込まれ埋もれてしまう前に窓から離れた。視線を移してみれば、茶色のシックな部屋壁には電気ストーブから放たれた煌々とした灯りが照り返し、キッチンからは肉を焼く匂いやコーヒーが放つ深みのある香りが流れてきて、部屋の中を漂っている。部屋の中央にあるテーブルには両親も、弟のケンジも妹のアキ子もいる。彼らは外の異界めいた光景などお構いなしに、小皿の上のケーキに夢中になっている。ブラウニーケーキだ。しっとりした茶色の生地は岩肌のような見た目よろしくそれなりの質量があるように見える。噛むと口の中にバニラエッセンスの豊満な香りがなだれ込んでくるに違いない。

 食指が全く動かないわけではないが、今の佑介にはいまいち食欲をそそるものではなかった。

「お兄ちゃん食べないの?」十も離れた妹はケーキの甘みが乗り移ったかのような微笑みを浮かべ、無邪気にゆうすけに尋ねてくる。

「お兄ちゃんはね、今はいらないそうよ」

 母親はコーヒーを口に運ぶ前にそう言った。ごくりと喉を鳴らしてから、

「今は食べる気分じゃないんだって」

「えー。どうして? お兄ちゃん?」

 アキ子はイヤミのかけらもなくただ純粋な疑問を佑介に向けてなげかけてくる。そうだ、まだ小学校にもあがらない妹はイヤミなんて極めて世俗的な会話手法はまだ身につけていないに違いない。

「それどころじゃないそうよ」母親が言った。

 佑介がさっきケーキを断った口実を取り上げてことさらオーバーに伝えている。どことなく悪意が感じられなくもないが、同調行動を取らない長男へのやっかみがにじんでいて、どことなく憎めない。佑介は聞き流すふりをして「コーヒーを」とぶっきらぼうに言うと、椅子の背を引いてアキ子の隣に腰掛けた。

 まもなくキッチンからヒゲのオーナーが姿を表し、トレイの上からコーヒーカップを佑介の前においた。

「コーヒーお待ち」

 口元に大きく皺を寄せてウインクするその表情はどこか演技的なところがあり、こういったオーナーのことが佑介は嫌いだったが、今は何故かイヤにならなかった。素直に例を述べると、オーナーの方を向いて目で挨拶した。オーナーは無意味に立てた親指を出して見せると、キッチンへと戻っていた。

 マスターが運んできたコーヒーカップは、白一色のようだが、よく見ると縁には金色の線が円筒を囲むようにして描かれ手織り、取っ手には同じく金色で文字が描かれていた。こだわって書かれたようなその細工は高級感を匂わせていて、このコーヒーカップがそれ相応の値段であることを主張しているようだった。おそるおそる持ち上げてみると、味自体はいつものマスターのコーヒーだ。舌の先を少ししびれさせるような、いささか苦すぎるコーヒー。それほど美味しいものではない。かといってまずいものでは無いが。

「そとの雪が心配だな」

 コーヒーの小皿を空にした父親はまだ湯気のさめないコーヒーを片手に、窓の方へと視線を向けている。

「そういえばそうねえ」

 父親に同調したように、母親も窓の方を見だした。やっと問題に気がついたというように、

「今日の夕方までに止むかしら」

「天気予報だと昼には止むってことだけど」

 ケンジが口を挟んだ。行動のトロいケンジはいまだにケーキもコーヒーも片付けていない。マイペースにちょっとずつ食べる彼は、この時もフォークの上に小指の先ほどのかけらを乗せて、ゆったりとした動作で口元に運んでいた。

「山の天気は変わりやすいからな……」

 父親は眉根を少しだけ寄せて、窓の外の化け物を見つめている。ぶあついセーターのせいか、着膨れしたように見える父親は何だか小説に出てくるハンプティダンプティのようだった。

「はい」

 佑介の目の前にフォークが差し出される。その先には二センチ角ほどのブラウニーケーキのかけらがつき刺さっていた。

「食べて」

 口元を茶色にそめたアキ子は、満面の笑みを浮かべて、幸せを分け与えようとする。

「あら、優しいのね、あきちゃん」

 母親は目を細めた。天気のことはもういいらしい。父親もケンジも何故かこちらを注視して、そして一様に顔をほころばせている。

 佑介は顔を突き出すと、幸せの刺さったフォークの先を口に含んだ。

 なぜかは分からないが、意味もなく母親が拍手を初め、父親がそれに倣い、ケンジも、それから当事者のアキ子も手を叩き始めた。やはりなぜかは知らないが、彼らは嬉しそうだった。だから佑介も交わるように手を叩いた。口の中の黒い塊を咀嚼しながら。そうしていたら何故か嬉しくなった。

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