第18話 海を見に行こう(小説/青春)
突然何の目的もなく、行きたいという理由だけで海にやってきた。
ちょうど先週の土曜日にばっかりなのに我々はここにいた。
「やっほー」
いろはは何を思ったのか突然海に向かって叫んだ。
「やっほーは山でいう言葉だっけ?」
と僕達に訪ねてくる。
「知らないよ」
と僕は答えた。
「ふぁー。眠い」
渚は大あくびしたあと、不抜けた自分に発破をかけるかのように、表情を引き締めてみせると、
「よし、かけっこしようぜ」
と謎の提案をした。
「何のためにだよ」
「わからんか?」
「わからないな」
「この景色を見ろよ。素晴らしいだろ。何かしなくちゃイケない衝動に駆られたから、とりあえずかけっこだ」
まだ震災に会う前のことだった。
海は放射能の危険もなく、きれいな物だった。
太平洋の青々とした海が我々を飲み込むかのような迫力であたりに広がり、それに添えられたような白砂の海岸が視界の果てまで伸びている。手前には花火をやった後と思しき形跡が残っていた。これから完全に夜が明けて、太陽の独壇場となるとき、この海岸にはもっと多くの人であふれかえるのだろう。こんな早い時間にあっては、僕達四人だけしかいない。
「別に何もしなくていいんじゃないかな。この景色を見てるだけで十分だよ」
渚が何かしたいという気持ちもわかる。何だかうまく言えないけれど、猛烈に駆け出したい衝動のようなものを感じるのは確かだ。
何故そんな気分が湧いてくるのかは分からない。ただきれいなだけの海がどうして我々の心をこんなに掻きたてるのだろう。
もっともそこまで元気なのは男ふたりだけで、いろはと月川さんはふたりだけで何かを話しながら、海風に吹かれている。
のぼり立ての太陽が醸しだす赤色が月川さんの横顔を照らし出す。まるで夕暮れの様に錯覚したが、まだ空は青く、朝になりてなのだ。
眼鏡の縁からその短い髪まで、ロングスカートのキャミソールドレス、ビーチサンダルまでも赤く染め上げていた。
黄色に染め上げた長髪を風にはためかせながら、楽しそうに何かを喋っているいろは。長身の彼女と月川さんとの差は男女間の高低差を感じさせる。
「こうしてみると二人とも絵になるな」
ニヤニヤした笑いを貼りつけながら、渚が僕の肩にそっと手を置く。
「月川さんの美貌は言うにおよばず、いろはも会話内容が聞こえなければ単なる美人に見えるし」
「……」
何故か同意する返事が出来なかった。渚の言ったことに反発する理由はないし、素直に受け入れられる意見だ。なのに、何故か黙りこむのが最適な様に感じられた。
いろはが何か言ったらしい、こちらまで笑い声が届いてくる。こんなに楽しそうな月川さんの表情は初めてかも知れない。
「ん? おいおい、只春どうしたんだよ?」
「スタートラインにつけ」
初めは意味が分からないといった表情だったが、すぐに飲み込んだらしく、
「乗る気じゃねえか。何だよ。急に走りたくなったのかよ」
「よし、3、2、1、0でスタートだからな」
渚を無視して、僕は一方的に宣言した。
渚は僕の前にスニーカーで一本線を手際良く引くと、すぐ隣にならび、クラウチングスタートの体勢を取った。中学時代は野球部で俊足を誇った男だ。顔には負けねえぞって自信が溢れている。
「3」
僕は言った。
太陽が一段と強く照りつける。朝も終わりに近付いているのかも知れない。
「2」
渚が言った。
馬鹿馬鹿しいお遊びなのに腹の下がきゅっとなるような緊張感が湧いてくる。
同時に月川さんといろはの笑い声が聞こえてきた。面白い話はまだ続けられているらしい。
「1」
言うと同時に僕は走りだした。
シューズを砂浜に食い込ませながら、一目散に前へと走る。
「おい、ずるいぞ」
半笑い気味に怒鳴りつけてくる渚から逃げきるようにとにかく前に走る。
靴の裏が砂を、流れ着いた海藻を、転がる石ころを踏みしめる。
背後から猛烈な勢いで足音が近づいてくる。
まるで追いかけっこでもしているみたいだ。
追いつかれまいとする擬似的な恐怖感と、笑いが込み上げてくる不思議な愉快さ。
渚が飛び跳ねるように僕の背中を押し倒す。
僕たちは絡みあうように砂浜に転げ、そして笑いあった。
「なにやってるのよ~」
いろはたちが小走りで近づいてきた。笑顔を浮かべている。きっと僕と渚もおんなじ顔をしていたに違いない。
「面白そうなことなら混ぜてよう」
「走ってただけだよ」
渚が答えた。
「何よそれ。何で走ってたの?」
「何でだろう。わかんないよ」
「意味分かんない」
完
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