第6話 スノー・ブリゲイド(小説/恋愛)

 その均整の取れた顔立ちに、心を奪われないわけにはいかなかった。

 眉のあたりで切りそろえられた前髪から除く二つの目は、切れ長。鼻梁の小さな高い鼻はどこか日本人離れしている。年齢は20歳ぐらい。落ち着いた雰囲気からは、年齢以上の経験を積んでいることを想像させた。

 白く厚い素材の上着を折りたたんで隣の座席に置き、その身には薄手のブラウスを身に着けていた。

 ほかに同席している人の姿は見当たらない。どうやら彼女一人のようだ。右手を伸ばしたぐらいの距離に置かれた白いコーヒーカップからは湯気が立っていた。


 僕は彼女のいる座席とは通路を挟んで向かい側に陣取ると、スキーウエアの上着を背もたれに掛け、パイプ椅子に腰掛けた。ポケットからスマートフォンを取り出して、イヤホンを耳にあてがうと、何くわぬ顔をして音楽に耳を澄ませる振りをする。

 彼女は、左手で頬杖を突きながら、もう片方の手で器用にスマートフォンをいじっていた。両目は液晶画面の光をうっすらと映しだし輝いていた。せわしない動きをみせる右手からはメールを打ち込んでいることが容易に見受けられた。ひどく熱中している様子だ。


 こちらに意識を向けるまいと断じた僕は、スマートフォンで文字を打ち込む風を装いながらカメラの機能をオンにする。液晶画面には、背面に付いたレンズを通した映像が現れ、彼女がいまだにメールに取り掛かっていることを教えてくれる。通常カメラの機能を立ち上げている時には、レンズの周囲にある赤いランプが点くことになっているのだが、僕のは秋葉原の違法改造屋に頼んでカスタムしてあるので、相手に知られることはない。もちろん、忌々しいシャッター音がこのヒュッテに響き渡ることもない。

 後ろ体重に椅子に持たれたり少し前のめりになるように体を動かしながら、彼女の表情を捉える。音もなく彼女の姿を捉えた画像が幾枚もスマートフォンの中に蓄積されていく。気付かれないように、不自然な体勢にならないように細心の注意を払い、僕は容量が限界になるところまで保存していった。彼女はまだ作業をやめる様子はない。余程の長文に挑戦しているのだろう。


 アニメーションのように、連続撮影した画像を表示し続けていく。夜のスキー場のヒュッテに一人で座る妙齢の女性。どこか表情に乏しい彼女の顔は、連続的に映し出すことで、微妙な笑顔をこぼしていることを示していた。白い肌は、さらに白く真冬の綿雪のように冷え冷えと写り込んでいるものの、その可笑しさをかみ殺した笑顔には、万年雪すらも溶かしてしまうような確かな熱が感じられた。

 僕は一人ほくそ笑む。

 僕だけが知る、僕だけの秘密を手に入れたのだ。そういう気分になった。


「ねえ」

 女の声が聞こえた。間違いない、彼女の声だ。

 背筋が凍りついたような気分になった。僕の行動はバレていたのだ。客観的に見て、僕の行動はどういう種類のものだろう? ただの変態だ。きっと顔色ひとつ変えない彼女の内側には憎悪が渦巻いているに違いない。

「ねえ、あなた」

 彼女は言った。

「何?」

 僕は言った。声は震え、不明瞭なものだった。スキーウェアの下は汗に塗れていた。心臓が高なっていた。糾弾される。僕は覚悟した。

 ところが、彼女から放たれた言葉は意外なものだった。

「ねえ、カオスに戻りたいと思わない?」

「えっ⁉︎」

 戸惑う僕に、彼女はにこっと笑いかけた。

「世界が神の支配から解放されてカオスに戻れたら素敵じゃない?」

 夢見るような口調で彼女は言った。

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