第7話 ジャンピング・ジャック・フラッシュ(小説/戦争)
キャンプはいつ敵襲に見舞われるか分からない緊張の中にあったが、それでも食事の時間だけは隊員の間にゆるやかな空気が漂っていた。
木製の簡易な長机が幾つも並んでいるなか、大柄な男達は机の上にところせましと置かれたステンレストレイを前に歓談したり、些細なできごとの交換をしたりしながら、思い思いの時間を過ごしていた。
メラミン製の食器に盛られた本日の食事は、ハニー・マスタードのトースト。チリソースのマカロニサラダ。マッシュポテト。クルトン入りのコーンスープ。ジャム入りのヨーグルト。
部隊のキッチン係は有能だ。マクドナルドよりは質が高く、シェーキーズにはやや劣るが、上等なできばえの食事を毎日味わえることができる。つまり、グルメじゃない俺tatiにとってはシャバよりもいいものを食ってるってこと。まったく戦場で健康になって帰国したら笑い話だ。
鼻先に漂ってくる食事のにおいに最大限の集中力を働かせながら座椅子に腰かけると、プラスティック・スプーンを手に取り、すぐさま食べ始めた。その大部分を食べ尽くし、水のおかわりにと席を離れたときだった。ウォーター・クーラーの手前に奴の姿を見とめた。
奴は両足をおっぴろげた格好で椅子に腰かけ、片手にもった文庫本に見入っていた。
「よう、ジャック。何しているんだい」
俺の声に気がつくと。ジャックは、こちらを
「見てわからないか。それとそのあだ名をやめるんだ、テソク」
彼は言った。
ジャックとは目の前にいる男のあだ名である。
ローリング・ストーンズの六十年代の名曲「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」から取られたネーミングで、その由来は彼の顔がボーカルのミック・ジャガーにそっくりだったことから。
北東アジア人にしては彫りの深い西洋人のような顔立ちに白い肌、薄い髪色。そして分厚い唇。とはいえ、ロックミュージシャン特有のお道化た感じというか、馬鹿げた魅力は欠片もなかった。ひたすら静的でそして冷酷で、暴力的な男だった。
「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」とはある男を歌った曲だ。
オレは銃弾の飛び交う嵐の中に生まれ、ムチで叩かれながら育った、頭を銃弾に撃たれた――だがそれは冗談だ。
難解で意味ありげな歌詞(怒るなよ? あくまで俺の見解だ)が、ワイルドなサウンドに乗せてがなり立てられる。
戦場をライフルを携えながら、素早い身動きで駆けまわり、何十人も虐殺するジャックのその姿は曲のイメージにぴったりだった。
血しぶきと硝煙の漂う戦場で笑いもせず泣きもせず殺しまくるミック・ジャガーそっくりの男。それは冗談(It's a gas)と言いたくなる光景だった。
「何を読んでいるんだ」
「オリバー・ツイスト」
それは19世紀イギリスの作家によって書かれ現在も多くの人に読まれている古典の名作であった。
どちらかというと繊細なイメージで語られることが多く、鉄面皮のこの男からはおおよそ想像もつかないような作品タイトルであった。
俺も大学時代に読んだことがあったから、こいつとその本について話してもよかった。
だが、やめた。理由のひとつは、やつの仏頂面に
ズドン。どでかい砲塔から放たれたと思しき爆音。それは我々に危険が迫っているのを知らせるのに十分だった。
食堂にいた隊員は非常事態に取るべき行動をとり、部隊長の命に従って速やかに武装すると、敵襲に立ち向かっていった。
それから、戦闘になった。味方はひとり死に、またひとり死に、周りには俺ひとりの姿しかなかった。
針葉樹の影に隠れていると、目の前にふたり連れの兵隊がやってくるのが、見えた。
灰色のヘルメットに、灰色の軍服。灰色のコートをはおっている。
一人は負傷しているらしく苦悶の表情をしたまま、コンクリートの陰で小さくのたうちまわっていた。
もう一人は、対照的にまだ活き活きとしていて、ライフルのスコープをのぞき込み俺たちを探しているようだった。黒光りする金属の引き金に手をかけ、鬼気迫る表情をしていた。
我が愛しのSIGの射程圏内に
命中に失敗したら、反撃される。確実にしとめるためには手榴弾の方がよかったが、なにしろ先手を打つのが肝要であったため、選んではいられなかった。
そして、次に起こった事態に驚愕した。
敵兵の体が、がくんと倒れた。二人ともだ。
電光石火のごとく物陰から現れたのは、あのジャックで、そのダガーナイフが敵兵のやわな首筋を切り裂き、あっという間に地獄送りにした。
一方で、俺の弾丸は、こちらに背を向けていたジャックの後頭部へと飛んでいくことになった――よりによって頭だ。ド頭を突いていった。赤い花を散らせ、膝から崩れ落ち、そして生き絶えた。
戦場での誤射は極めて珍しいことではない。こと乱戦によっては、じつにありふれた光景であった。
といっても、撃った当人には気持ちのいいものではない。当然のことながら。
俺は狼狽え、そしてものの数分もしないうちに平常心を取り戻し、再び敵兵へと意識を向けた。
結局この戦いはこちら側は数名の死者を出したものの、襲撃兵のほとんどを殺傷し捕虜にとることできた点で快勝と言えた。
こちらの被害はひどいものだったが、下されていた作戦は当然のごとく続行の運びとなった。俺たちは山を登りつづけることになった。
山を登り続けること数日後、俺は就寝中深い夢をみた。
場面はあの戦場、わたしがジャックを撃ちぬいたシーンだ。
後頭部を撃ちぬかれたジャックは「痛え」と叫んだあと、よろよろ立ち上がり、俺に視線を合わせた。
額には大きな穴があいて、そこから噴水のごとくあふれだしている。身体中血だらけだ。わたしは手ぬぐいを投げてやって、「使え」と叫んだ。
ジャックは手拭いを使った。
「この戦場を生き延びたら」ジャックが言った。「女の動画を見せてやる。日本人の女だ。日本人の男が撮影したものらしい。こいつがいい女なんだ」
そう言って、ジャックはライフル片手に森の奥へと走り出していった。
頭を打ち抜かれて何とも無いのかって?――問題なんて無いさ。
やつは言っていた、
「It's a gas」
そう、全ては冗談なんだって。
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