第4話 いとしのブリトニー(小説/下品/狂気)
「死ね死ね、役立たずのくされチンポ」
壁に貼ったポスターのブリトニースピアーズが言った。その時俺はビールを飲み、タバコを吸い、「クージョ」という小説を読んでいた。突如鼓膜をついた声に振り向くと、ブリトニー・スピアーズは腰に両手をついたポーズを決めながら俺を睨みつけていた。
目の錯覚か、幻聴か。
俺は顔を両手で覆い軽くなでさすった。大きくいきを吸っては吐き、指の間からふしゅるふしゅると異様な、しかし、妙に落ち着いた音を発した。
「お前だよ、お前にいってんだよグズ。死ね。いますぐそこにあるひん曲がったエレキギターを喉穴に突っ込んで死ね」
ブリトニーはしゃべりつづけた。
ポスターをじっと見る。二十年も前に手に入れたポスターで、例のスクールガールコスチュームのブリトリーが映っていた。
いまやスキャンダルや奇行で話題に上がるとこが多いが、昔は押しも押されぬアイドルスターで当代のカリスマといってもいいすぎではなかった。圧倒的な歌唱力、圧倒的なダンス、圧倒的なスタイルのよさ、そして圧倒的なセクシーさ。童貞少年だった私は恋に落ち、叶わぬ恋であるとどこかで知りながらいつか添い遂げて見せるのだとたいそれた夢を抱いたものだった。
「職場からのこぎりを盗んでこい。お前がお前自身でお前の首をぎりぎりと切り落とすためだ。はよ行けや。くされ大工どもはいま寝てんだろ。盗みにいけ泥棒。泥棒の息子。クズ。ゴミ」
アルコールの濃度を調べる。ビールの缶はアルコール5%を表示していた。いまはやりのストロングなタイプがビールにも登場していて、そいつを飲んでしまったのだろうか懸念したのだが、そうではなかった。こころの悩みなどもないから、向精神薬による幻聴という線も考えられない。あるとすれば、誰かが無差別テロで今日の昼食べたコンビニ弁当のなかに幻覚剤を埋め込んだかだ。
「ハゲ隠しの半端モヒカン。モヒカン族に謝れ。腹を切れ。その汚物を腹の中からぶちまけろ。汚物を出せ汚物。死ね。
「だせえジャージだな。お前の死に装束はそれでいいのか。お前はいますぐ死ぬんだぞ。そのチンコ汁で汚れきったくさいダサいジャージがお前の死に装束だ。
「父に詫びろ、母に詫びろ、妹に詫びろ、祖母に詫びろ、祖父に詫びろ、ペットのインコに詫びろ。生まれてきたことを詫びろ。生けとし生きるものすべてに詫びろ。ゴミ」
ブリトニーはとめどなくしゃべり続けた。
次から次へと汚言が放たれた。
案内音声のよう機械的で抑揚にかける口調。声色はブリトニーが流暢に日本語を使えるようになったら、こう聞こえるだろうものだった。
「グズ。まだ死んでないのか。なにをやらせてもだめなやつだ。勇気を出せ。死ね。自殺しろ。そこのテーブルの上のペン立てにあるだろ、たくさんの自殺道具が。ペンを目玉に突き立てろ。鼻穴に突き立てろ。歯茎に突き立てろ。苦しんで死ぬためにはそれぐらいやれ。勇気を出せ。死ね」
俺は狂ってしまったのだろうか?
寄り道だらけで順中満帆とはいえない人生ではあったが、心が壊れるほどの負担を感じたことはなかった。そこそこ友人もいるし、同居の家族ともうまくやっていると思う。飲み友達も多いし、性的な欲求だってそこそこ満たしてきた。
「棚にある焼酎のボトルはなんだ? 一気飲みして自殺するためにあるんじゃないのか? 薬箱にあるオキシドールはなんのためだ? 一気飲みして体を害するためだろ? なぜ早く飲まない?」
幻覚かどうかを見分ける方法がある。奥の部屋で眠っている両親を起こしてきて、ブリトニーを見てもらうことだ。しゃべるブリトニーが俺にしか見えないとしたら、俺が狂っているということになる。しゃべるブリトニーが両親にも見えているとしたら、俺は狂っていないことになる。
――だが、もし両親も狂っているのだとしたら?
その可能性だってゼロではない。
では、不特定多数に見てもらえばいいのではないだろうか。
充電器に挿しっぱなしだったスマートフォンを手に取った。カメラアプリを起動し、ブリトニーに焦点を当てた。スマホを向けた瞬間黙り込むのではないかという疑念はあったものの、ブリトニーは話し続けていた。ほっとするやらがっかりするやら。
ぼーっとブリトニーを見ていたら、その顔が別人のものに変わった。酒焼けしたような赤ら顔に口髭がひしめいていた。それが出るとこ出たブリトニーの体の上に乗っていたのであった。
「俺だよ、俺」
髭面は言った。
「誰⁉︎」
俺は声を張り上げた。
「百発百中のカウボーイ、ガス・ガス様とは俺のことよ」
髭面は言った。
「誰⁉︎」
俺の額を一雫の汗がつたい降りて行った。
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