【尋ねて】
どこから来たのかは言える。だが、どこまで行くのかは言えなかった。なぜなら、自分にも分からなかったからである。
春。安芸にいる香宗我部親秦から、東部の平定が完了したという報告が来た。
東部に残存する敵対勢力を羽根で打ち破ってから、もう、一年が経過している。
「……あれから一か月か」
吉田重俊が亡くなってから、である。
国親の代より仕え続けた譜代の老将は、先月、天寿を全うした。その死に顔は、数多の戦場に立ち続けた侍にとっては似つかわしくない、安らかなものだった。
結局、岡豊への帰路の時に尋ねられた問いに元親は答えられていない。返事に窮していると重俊の方が、
「まあ。吉田家をないがしろにしないならば、如何様にでもするとよい。もし、ないがしろにするのであれば化けて出てやるからな」
と言い、笑って話を打ち切ったからだった。
最初からそれが言いたかったのか、それとも、本当に元親がどこまで行くのか聞きたかったのか。どちらだったのかは、もう、分からない。
戦国の世である以上、人が死ぬという出来事には慣らされている。しかし、国親以来の自分の正体を知る者の死に、元親は感慨を抱かずにいられなかった。
「『どこまで行くか』か……。……どちらかといえば『どこまで行けるか』なんだけどね……」
元親は日本史に詳しくない。精々信長が明智光秀に本能寺で討たれるというのと、千六百年に行われる関ヶ原の戦いで徳川家康率いる東軍が勝つという事ぐらいであった。当然、長曾我部という名に心当たりはない。滅んだのか、或るいは、江戸時代に藩主となり、明治維新が起こるその時まで名と領地を維持して来たのかさえ知らなかった。
ただ、未来を知る方法を、元親は一つ知っている。
そこへは馬を歩かせ、一時間弱で着く。
「あまり動かないようにねぇ」
昼下がりの日差しの下。元親は、同じ馬上に座る息子、千雄丸にそう声を掛けた。土佐駒の体高は他の種より低い。とはいえ、そこから子供が落ちたりすれば、怪我では済まない可能性は充分にある。
「はい!」
元気よく返事をする千雄丸の手には、毬が抱えられている。この毬の持ち主とは、毬を置いていったあの日以来会っていない。千雄丸も同じなようで、最近会ったか尋ねてみても首を横に振るばかりだった。
目的地に近くなると、建てられたばかりの
境内は煌びやかな装飾を身に纏った真新しい社殿があり、元親が神社に対してイメージする侘び寂びの様なものは感じられない。
境内を社殿の方に進んで行くと、声を掛けられた。
「これはこれは御領主様。出迎えもせず、申し訳ございません。せめてお供の方でもお連れしていれば事前に分かったのですが……」
元親に声を掛けてきたのは、この神社の神主である谷忠ただ純ずみであった。非有斎の義兄弟であり、神主に任命したのもその縁があってのことだった。
「いやまあ。何も言わずに来たこっちが悪いし……」
「いや本当にその通りですな!土佐を併呑へいどんしようとなさる程の大身の御方が、まさか共も付けず御嫡男と二人で出歩かれるとは!不用心過ぎてどこかの田舎侍かと思いましたぞ!そもそも、大名というのは……」
間髪入れず説教が始まった。
戦場でも通りそうな野太い声。ゆったりとしている服の上からでもわかる筋肉の厚み。細かな傷のついたごつい手。忠純が若い頃、一兵卒として戦場を駆けまわっていたという噂は本当のことなのだろうという事がうかがい知れる。
元親は、着物の裾が力強く握りしめられたのを感じた。忠純の声に怒気は殆ど含まれていなかったが、その迫力に気圧され、怖くなったの千雄丸が握ったのであろう。
そんな千雄丸の様子を見たからか、忠純の声量が、三段階程、落ちた。
「……ともあれ。本山、安芸、その他の多くの家。長曾我部を憎むに正当な理由を持つ者は大勢おります故、今後はこのような軽率な行いが無いようお願い申し上げます。少なくとも、七雄が割拠していた時よりかは、今の方が土佐の民は安らかに過ごせていますからな」
「……肝に銘ずるよ」
「……それより、こちらに来られたのはどのような御用件で?」
「……ただ単に参りに来ただけだよ」
まさか、この神社にいるであろう神霊的な存在に会いに来たともいえない。
「それはそれは。御信心深い事で。境内で血を流すような不届き者もおりますまい。安心してお参りください。……ただ、何かあれば私をお呼びください。すぐに駆けつけます故」
その忠純の言葉は、どんな神の加護よりも心強かった。
社殿に彼女の気配はない。それでもこの辺りにいるだろうと思い、元親は境内を歩き回った。
戦火を逃れた木々たちが身を寄せ合うように生えており、その足元を小川が流れている。境内はちょっとした森のようだった。その森の中には途方もない年月をかけて育ったのであろう大木が何本か生えており、それらには自然への敬意として注連縄が一つずつ巻かれていた。
現代の遊歩道の様な心安らぐ自然の中を、元親が息子と二人きりで歩いていると、行く手に、緑あふれる森の中でよく目立つ、温暖色が見えた。
大きな岩に腰掛けた赤い着物を着た少女。彼女に会う事が、この神社に来た目的だった。
「……よう来たの。二人とも」
「……久しぶりだね、葛。……千雄丸にとってはそうでもないみたいだけど……」
葛に駆け寄っていく千雄丸の様子は『久しぶりの再会を喜ぶ』というよりも『つい先日の遊びの続きを始める』といった感じであった。どうやら、葛は自分が来たという事を、千雄丸に口止めさせていたらしかった。
「……それで――これ!坊!裾を引っ張るでない!……暫しあっちに行っとれ。後で遊んでやるからの。――それで、ここに来た用は?」
自分と遊ぶようにせがむ千雄丸を引き離し、葛はそう言った。もはや出会った当初の怪しげな、神秘的な雰囲気は無くなりかけていた。
「……未来を……教えて欲しい」
これからの長曾我部家がどうなるのかについてもそうであるが、何より、今元親の近くを走り回っている千雄丸がいつ、どのように死ぬのかを知っておきたかった。それらの事を知っておけば、悲惨な未来を回避することができるかもしれない。
「……未来、いや、お主にとっては過去かの?それを軽々しく教えることは、できん」
じゃが。と言葉を接続して、葛は話を続けた。
「お主はここの再建に尽力してくれた。その功に報いるため一つ。一つだけ教えてやろう。詳しくは言えぬがな」
元親は、許された貴重な一つにありったけを込めた。
「それじゃあ『今から江戸期に至るまでの長曾我部家に起こる出来事と同時期の近畿以西の主な勢力の動向』を」
「却下。……ふざけるなら止めにするぞ?」
元親は真剣だった。だが、教えてくれるという者に却下されては改めるしかなかった。
改めて知りたいことを思い浮かべていくと、やはり『千雄丸の死について』を教えて欲しいと真っ先に思った。
「千雄丸がいつ……どこで死ぬのか教えて欲しい……」
葛はゆっくりと頷き、自分で蹴とばした毬を追いかけている千雄丸の方に一瞬目を向けると重々しく口を開いた。
「時は元服して以降。場所は四国の外。これ以上の詳しいことは、言えん」
思っていたよりも曖昧な情報だった。だが、前に言われた『千雄丸は若いうちに死ぬ』という情報だけしかない状態から『元服後に四国外にて』と限定されたのは大きな前進であると言えるだろう。
土佐にしか影響力の及んでいない現状、千雄丸が四国の外に行くようなことがあるのは、ずっと先の事だと言える。つまり、息子はあと数年で死ぬような命では無いという事だった。
「よかった……」
父親として、武家の当主として、元親は安堵した。
しかし、そんな緩んだ元親の気を葛がまた引き締めた。
「じゃが、それはあくまでお主がいない世界での話。ここではどうなるか分からんぞ。……早くに亡くなるかもしれんしな」
一見すると意地の悪い発言だったが、元親はその言葉の真意を見抜いた。つまり、元親の行動次第によって千雄丸の命が早くに失われてしまう可能性もあるという事は、逆もありえるという事だった。
「……そうなんだ。……ありがとうね」
「礼を言われるようなことはしておらん。……それより、いつまでここにおるつもりだ?」
気付けば陽が西に傾いている。葛を捜索していた時間も含めると、一ノ宮には思っていたより長居していたようだった。
「うわっ!もうこんな時間か!ごめん。帰るね」
さっきの問いの意味は『あまり長居されると困る』という意味だと思い、元親は謝り直ぐに返ろうとした。だが、次の言葉でその真意が分かった。
「……遊んでいかぬのか?」
陽が沈む直前まで三人は境内で遊んだ。
春から夏。夏から秋。秋から冬へと季節が移り替わり、また年が変わった。昨日まで今年だった去年は、上方の方でかなりの争乱が起きていた。
近江の浅井氏が反旗を翻し、三好氏が近畿に兵を寄せ、更に大名並みの戦力を持つ宗教組織の本願寺が敵になったことによって、信長そして将軍足利義昭は完全に包囲される形となっていたのだ。普通であればそれでカタがつく。元親がもし信長という人物を現代で知っていなければ、すぐさま信長にすり寄る外交を止め、身の振り方を変えていたであろう。
だが、信長はこの窮地を脱した。軍事だけでなく、謀略、政治、外交、その他ありとあらゆるものを駆使して。ここで負けるような人物では無いと元親は間接的に知っていたものの、それでも、驚かずにはいられなかった。
しかし、そんな畿内中が沸き起こったような争乱も、紀伊水道と四国山地に隔たれた土佐にはあまり影響がない。どちらかといえば、幡多で起きた事件の方が
年始。蓮池城の依岡左京進から送られてきた急報に元親は驚いた。
「土井宗珊が一条兼定の手によって手討ちにされた!?」
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