【繋がって】
岡豊城への帰路。元親が黒潮を左手にして街道を進んでいると、弟である吉良親貞が馬を寄せてきた。
「いやー!遂に土佐の半分を手に入れましたなぁ!」
快活にそう言い、豪快に笑う。明らかに元親とは違う人間性を持っていた。
「……まあ正確にはまだだけどね……」
土佐国は一条家、長曾我部家の境である仁淀川を基準に二分できる。つまり、まだ東部の全てを掌握していない現状では、厳密にはそういえなかった。
「……まっこと、兄者は細い(こまい)事を気にする性質やのう。まあ、やき、ここまで家を大きく出来たがやろうなあ……」
そう言った後、親貞は表情を変えた。眉間に皺を刻み、真剣味を帯びている。さっきまでの朗らかさは鳴りを潜めており、続けて発せられた低い声色には何処か影があった。
「……それで、中村の方はどうするよ?」
中村とは一条氏の本拠地である。つまり、親貞は、百年前に土佐に下向して以来指導者の様に土佐に君臨し続ける一条氏の処遇を尋ねてきたのだ。確かに、安芸氏と一条氏は姻戚関係に基づく同盟を結んでいるため、表面上は長曾我部家と戦争状態にある。しかし、それでも純朴な土佐人であるならば、そんなことを口に出さないどころか、思いもしないだろう。これまでも土佐の盟主は一条氏であり、これからもそうであることが当たり前だと思っているだろうから……。
「……どうするも何も、今まで通りだよ。何も変わらない」
元親のこれは本音であった。元親に一条氏を攻撃する気はない。今の不戦状態を維持し続けるつもりであった。そんな秘密裏に結ばれた不可侵条約を親貞は知らない。
「……蓮池城が労せず落とせるとしてもか?」
親貞は、元親に断りもなく何らかの策を弄しているようだった。親貞の居城吉良城は、蓮池城とかなり近い。仁淀川を渡ればすぐである。その気になれば簡単に仕掛けられるであろう。
このように各領主が独自性を持って動くことは、この封建制の時代ではありふれたものだった。
「……うん。しばらく動く気は無いよ」
故に、元親のような一番偉い立場の人間には、それらを制御或いは誘導し、上手く統御していく必要があった。それができなければ家中の分断、そして破滅を呼ぶ。
「簡単に獲れるもんを獲らんとはどういう了見ぞな?」
親貞がなおも食い下がってきた。その様子から、自分の策にかなり自信があるのがわかる。だが、それでも一条氏を攻撃する気にはならない。元親には元親なりの計画があるからだ。未だその計画の目途が立っていないため、口には出せないが。
「父……上の受けた恩があるから。それを無下にはできない」
そのため、先代の国親を引き合いに出した。そうすれば、現代よりも父親の存在が絶対的なこの時代の人間は引き下がると思ったからであった。だが、親貞にはこの考えは当てはまらなかったようだった。
「親父の受けた恩がある言うたち、もう受けたもんも与えたもんもこの世にはおらん。それに、ここ数年何度も加勢しちゅうろう?」
一条家から繰り返される援軍要請。それに答え続けた結果、恩は帳消しどころか逆に向こうへの貸しになっているはずだと親貞は言った。そしてその貸し分を徴収するのは自然な道理だとも。
親貞のその言は、確かに一理あるように思えた。鳥坂の戦いによって向こうの家中がぐらついている今、蓮池城を奪取し、その勢いで攻めたてれば、こちらに寝返る者は多くいるだろう。だが、それでも、完全に降すに数年は時間を要する。元親はその数年が惜しかった。
「……こちらにも考えがあるから。指示があるまで絶対に動かないように」
元親は、当主としてやや不足気味の威厳を持って、親貞の案を無理矢理却下した。
はっきりと却下されれば、親貞の方も引かざるを得ない。不承不承と言った感じで親貞は元親から離れていった。
「……よくよく注意しておかなくちゃね……」
暦の上では秋。体感的には夏と変わらない時期。元親は、商いとして上方に出向いていた大黒屋の主人から重大な情報を得た。
「……信長が上洛を始めたか……」
大黒屋が退出してから、元親は呟いた。
話によれば、三好三人衆に暗殺された将軍、足利義輝。その弟義昭を奉じて、畿内に親義昭派とも呼べる派閥を形成し、それらと共に京に攻め上っているようだった。その勢いはすさまじく、上洛は確実に行われるとみていいだろう。
「こんなに早いのか……」
自分はまだ、土佐の半分も領有できていない。競争しているわけではないと前に自分で言った気がするが、それでも置いていかれているような感覚に陥る。それに、歴史の表舞台から疎外されているようにも感じられた。
だが、今までの中央の情勢は田舎で小競り合いを続けている元親にも関係のある話であった。なぜなら、信長の主たる敵が三好氏であったからだった。三好氏は、主に畿内でその勢威を振るっているが、その本拠地ともいえる地は、土佐の隣国、阿波にある。
阿波は土佐と比べて豊かであった。土地は肥沃であり、畿内との海上交通の便を活かした交易は大きな富を生んでいる。今現在、三好氏が畿内を席巻しているのも、戦乱に晒されることなく商業活動を活発に続けられているこの国の存在が大きいだろう。
元親は阿波が欲しかった。そのために、足掛かりとして東部の安芸氏を攻撃したし、親貞の提案もはねのけたのだ。
土佐の東半分を獲れば、もう半分の西も獲るのが自然な流れかもしれない。だが、土佐の西には旨味が無い。全体的に山がちであり、その経済的価値は乏しい。発展性にしても、開発の甲斐はあまりなく、そこから攻め入れる土地も同じく山ばかりである。わざわざ結んだ不可侵条約を破ってまで攻める意味は見いだせなかった。
「……何とか、信長とよしみを結んでおきたい……」
そうすれば、連携して三好氏を挟撃できる。そうなれば、三好氏は政治的に重要な畿内を優先するはずであり、元親は手薄になった阿波を悠々と攻められる。個人的興味や憧れは抜きにしても、是非ともつながりを持ちたいところであった。
だが、
「伝手が……無い……」
京のことなら、ののの父親である石谷光政に頼めば何とかしてく・れ・た・。過去形になったのは、その光政が今は土佐にいるためである。彼は今年に、荒れる京都から土佐に落ちのびていたのだ。
「非有斎さんなら、どうにかなるかな?」
そう思い、馬を走らせてみる。
「無理ですな」
西国ならまだしも、尾張や岐阜に、頼めるような知り合いはいないようだった。
「……そうですか」
当ての外れた元親は落ち込んだ。折角見出した機会が活かせそうにないと分かると、誰しも同じような感情を抱くであろう。
そんな元親を、非有斎が励ます。
「そう、気を落とされますな。袖すり合うのも多少の縁……いや『縁に連るれば唐の物を食う』と言いますからな。思いが強ければ、きっと、奇縁に巡り合えましょう」
一日中探してみたが、奇縁には巡り合わなかった。近場に住んでいる家臣らに尋ねてみたが、誰も土佐の外に伝手がない。
「信長殿と縁えにしはあるか?」
そんなことを何軒も聞いて回っていくうちに、元親の中で信長という存在が段々と大きくなっていった。歴史に詳しくない者にもその名を知られている三英傑、その内の一人である信長。そんな英雄と折角同じ時代を生きているというのに、会うどころか関わりすら持てないことに、元親は苛立ちと焦燥感を覚えた。
信長、信長、信長。
「……信長」
「織田様がどうかされたのですか?」
閨。ののに不思議そうに顔を覗き込まれた。どうやらあまりにも信長のことを想いすぎてそれが口から漏れ出たようだった。
「いや、なんでも――……ののは信長殿と縁があったりしないかい?」
「ありますよ?」
奇縁は、青い鳥と同じところにあるようだった。
「本当に!?あの尾張の織田信長と!?」
その元親の食いつきっぷりに、ののが驚き、若干、引く。
「……ええ。といっても私の義理の兄が、織田様の配下、明智様にお仕えしているといったものですが……」
直接のつながりではないが、それでもつながりはつながりであった。
元親は喜びのあまり、ののの手を取り、礼を言った。
「ありがとう!」
その感謝は、教えてくれたことに対するものなのか、その明智家の配下と兄妹の関係であることに対してなのか言った本人にも分からなかった。
元親は、床を出て手紙を作成しようとした。だが、着物の裾をののに掴まれ、引き留められる。
「……あの。千鶴丸を産んでから、もう半年以上たっておりまする」
「もうそんなに経つんだ。早いものだねぇ。……ごめん。ちょっと用事があるから」
ののは、そんな分かり切ったことを伝えたいわけではない。しかし、思いというものははっきりと形にしなければ伝わらないことが多々ある。それは、この時にも当てはまっていた。
「……ですから!」
ののは裾を掴んでいた手を元親に解かれた。その動作は優しかったが、却って、つれない。
「……それじゃあ、お休み」
慎ましさを失わないよう、回りくどい言い方で誘ったのだが、旦那にそれが伝わっていないとみるや、ののは強硬手段に訴えた。
「……ええい!御免!」
武家の息女のたしなみとして習った組打ち。それを女性どころか男性を含めたとしても大きな体格ののが繰り出せば、戦場馴れした元親であっても簡単に引き倒すことができる。
こうして二人の男女も繋がることができた。
ほぼ無名の土佐の人間が、いきなり織田家と同盟を結びたいといっても、怪しまれ、受け入れられないだろう。そう思った元親は、まず、義昭の擁立に協力する立場であることを最初の書簡にしたためた。
上方へは、書簡だけでなく、進物も送る。その為ルートは、三好氏の領域である阿波や淡路を避ける西廻りルートである。時計回りに四国を廻って、中国地方沿いに進む。そのせいで、書いた時期と送りついた時期にかなり隔たりがあるようだった。
送って一月半後に来た返事の内容は好感触であった。三好氏の勢力は強大であるため、一人でも味方は多い方がいいという考えなのだろう。
まだ織田家単体と具体的な連携を取れるような関係性には至ってないが、それも時間をかけて発展させれば可能だろう。
「……ゆくゆくは、対等な同盟関係を……っと、いけない、いけない。おーい!千雄丸―!」
夕暮れ時。居館の縁側。元親は三歳になり自分で歩き回れるようになったやんちゃな息子を探していた。城内に危険な物や、不審な人物は、無い。だが、幼子故、何かの拍子に事故が起きることは充分考えられた。それに、葛の予言めいた発言もある。
「おっ、居た居――」
千雄丸は庭園にいた。赤い着物を着た少女と共に。
一瞬警戒したが、葛に害意はなさそうだった。ただ仲良く毬つきをしているだけである。
「よいか?坊。相手が受け取りやすいように――これ!反対の方に投げるでない!」
そう怒りつつも、投げた千雄丸の代わりに毬を取りに行く姿は、幼少の弟を可愛がる姉のようだった。千雄丸がなついているところを見ると、これが初めての出会いでは無いのだろう。
毬は、元親から離れるように転がっていった。つまり、葛がそれを拾い、千雄丸の方に目を向けると自然と元親も視界に入るようになる。
「やあ、葛。息子と遊んでくれてありがとう」
目が合った葛に、元親はそう言った。葛は返事をするでもなく、ばつの悪そうな顔をすると、毬を置いて走り去っていった。今から追いかけても、きっと既に消え去っているだろう。
「……結構人間味があるんだねぇ」
元親は、毬を持った千雄丸を抱えると居室に戻って行った。今度一宮に行くときにこの毬を返さなければ、と思いながら。
土佐は東西に長い。その為、元親は、領地の東の方を香宗我部親泰に、西の方を親貞に任せていた。その報告頻度は多い。元親は今日も、岡豊城で二人からの報告を受け取った。
東部平定の指揮官となっている親泰の報告では、その進捗は順調のようだった。安芸家を滅ぼした今、出涸らしみたいな勢力しかいない。当然の結果だった。
続いて、長曾我部家西方を取り仕切る親貞から報告が来た。
「えーっと何々……『我、蓮池城を攻め落としたり』……」
思わず、舌打ちが出た。
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